決別
湖のほとりに建てた小屋で、アルバートは資料の作成にあたっていた。
「手書きするのも面倒になってきたな……印刷ギルドを懐柔して技術をもらえれば……」
「マスター」
「……なんだ」
悪巧みにふけるアルバートのもとへ声がかかる。
灰色の髪をした少女の片割れ、姉のユウが扉のそばに立っていた。
「トレントの森に落ちてた」
ユウの渡してくるのは、赤い翼をしたコウモリだ。
体に穴が空いており、およそトレントに仕留められたのだとわかる。
アルバートはコウモリを見て我が意を得たりと鼻で笑った。
「ハッ、サウザンドラめ、ついに尻尾を出したか……わかってはいたが、確定だな。準備しておいてよかった」
小馬鹿にしたようにケラケラ笑い、アルバートは鋭い目つきでユウを睨む。
ユウは目を合わせないように静かに瞑目するばかりだ。かつての禍根はそうすぐには無くならなそうだ。
「……まあいい。引き続きお前は森を見張っておけ。サウザンドラが来たら報告をしろ」
ユウは黙してうなづき小屋を出て行った。
アルバートは資料から目を離して筆を置く。
そして、かたわらに積まれる銀の鞄のひとつに手を伸ばした。
──数日後
月が綺麗な夜だった。
夕食の終わりにあわせて、最近では口数の減ったアルバートだが、腹ごなしにアイリスを散歩に提案するにはうってつけのムードだ。
アイリスはサアナと服を選び、着替え、散歩するには気合いが入りすぎな赤いドレス姿で待ち合わせ場所へむかう。
「ふんふふん♪」
「アイリス様、ご機嫌具合がもれてます。アルバート・アダンに舐められてしまいますよ?」
「っ……(キリッ)」
想い人に誘われてうかれる少女から、凛と澄ました貴族令嬢にもどったのを見て、サアナは満足げに微笑む。
待ち合わせ場所はモンスターハウスの隣にある裏門であった。
「しかし、すっかりこの施設も大きくなりましたね」
「アルバート・アダンが調整を施した特殊なトレントたちのおかげで勝手にレベルがあがるらしいですね。日に日にモンスターの増える早さが堅調に増しています」
「モンスターたちは毎日、たくさん生産されていますからね。最近では湖のほとりに牧場をつくる予定だとか。わたしにはまだ秘密らしいですけど」
アイリスはクスッと幸せそうに笑う。
勝手に偵察して、サプライズと暴いたうえで、それを待ち遠しくする、ひとり焦らしプレイを楽しんでいるのだろう。
サアナはそんな主人な態度に怪訝な顔をする。
「自分は研鑽を積んでいないのに、私としてはいかがなモノかと思うのですが……。剣をふって己を鍛えてこその経験値なのに」
「効率的で手を汚さない魔術師らしいシステムです。流石はアルバートと言ったところでしょうか」
否定派のサアナと全肯定のアイリス。
アルバートに対する温度差のある2人は、そんなこんな話をしながら、裏門にやってくる。
そこにはアイリスの愛馬と、アルバートのブラッドファングが用意されていた。
もちろん、礼服に身をつつんだアルバート自身も待っている。
「お待たせしました」
「いえ、僕もちょうど来たところです」
アルバートはそう言いニコリと微笑む。
一言、二言ドレスの賞賛をして、アルバートは「しかし、夜はまだ冷えます」と自身のジャケットをアイリスの肩からかけてあげた。
隙をつかれたアイリスは頬を朱色に染めて「あ……」とだけ声を漏らすことしか出来ない。
「では、参りましょう」
「ぁ……はぃ」
完全にアルバートのペースになった空間にサアナは不機嫌になりながらも、これまで通り彼らの時間を邪魔しないために、騎乗して湖へとむかう2人の背中を、一礼して見送った。
──しばらく後
湖にやってきたアルバートとアイリスは、馬と獣でゆっくりと徐行しながら、魔術師らしく普段の研究についての会話に花を咲かせていた。
「イクス・トレントについてですか? キメラと言えばキメラですけど……一応試験的に200体ほど普通のトレンドに紛れ込ませて放ってますよ」
「あれはどういった原理なのですか?」
「地から吸い上げた魔力を『熟知の粉』に幹のなかで変換してるんです。それを定期的にブラッドファングが走って集めて、僕が摂取してるんですよ」
「どうりで白い粉がたくさんあった訳ですね」
「ええ、将来的にはこの粉を……。いえ、まだ言わないで置きましょう」
アルバートは膨らむ夢を語ろうとする己を律した。
今日死ぬ敵に話しても仕方ない──。
「見えて来ましたね」
「あれは」
会話しながら、湖のほとりの小屋がある船着場に到着した。
「実は内緒で船を用意したんですよ」
「っ、なんと!」
「アイリス様といっしょに乗りたくて」
アルバートの邪気の無い──ように見える──笑顔を受けて、アイリスは大変嬉しそうに頬をほころばせる。
彼はブラッドファングから降りて、アイリスが馬から降りるのを手伝い、そのまま船まで完璧な所作でエスコートした。
順調に進む計画。
すべては時間をかけて立案した作戦に狂いなくしたがっている。
しかし、アルバートは作戦が終局にむかうに連れて億劫さを感じ始めていた。
冷静な自分。
うきうきしてる想い人。
彼女の細い指をそっと導いて、死地となる木製の棺桶のなかへ誘う。
パドルを漕ぐ腕が重い。
船着場から遠ざかるのが怖い。
「なんとロマンチックではないですか……っ、アルバート、わたしはこういうの中々好きですよ!」
「……」
「? アルバート?」
湖の真ん中に来たところで、アルバートは漕ぐ手を止めた。
「ここならサアナもすぐには来れないでしょう」
そう言いアルバートは立ちあがり、小舟のはしっこで、アイリスに背を向けて立つ。
「アルバート? どうしたのですか?」
「……もうとぼけなくていいですよ。僕はとっくに気がついてるんです」
「え?」
怪書を召喚し、船底に隠してあった銀の鞄を手にとる。
アイリスはそれを見て、はじめて強張った表情になった。
「僕たちは信頼しあっていると…通じ合ってると…ともに魔術の深淵にいたるため、絆を結び、この身体の体重すべてを預けられると……信じていました」
「なにを言っているんですか、アルバート。これは冗談…なのですよね?」
「そう思いたかった。だけど、もう無理です。僕はアイリス様、いえ、アイリス、あなたを信用できない」
アルバートはおもむろに赤い羽のコウモリの死骸をとりだして、アイリスの足元に放った。
「これは……血の眷属……?」
「付近の森に放たれていました。これまでトレントを使って多くの使い魔を撃退したんですよ? まるでアダンを監視するかのように飛び回ってました」
「ッ、ご、誤解です! これは……きっとわたしのお父様が、わたしの事を心配して動向を見張る目的だったに違いないです!」
「そうでしょうね。実の娘は大切でしょう。それが、秘術強奪のスパイならばなおさらだ」
「っ、スパイなんかじゃないです! わたしはただアルバートの力になりたくて──」
「嘘はもうたくさんだッ!」
アルバートは身体強化された脚で、船底を思いきり蹴る。
船体に穴が空いて急速に水に沈みはじめた。
「俺はもう騙されない。偉大なるアダンの魔術工房に侵入して秘術の全てを強奪し、あまつさえ俺が進めていたキメラの研究、そのすべてを奪う──それがお前のミッションであるはずだ! 歴史ある屋敷を焼き払い、生まれに恵まれずとも立派に従事していた使用人たちを惨殺し、はてには父さんを殺した。それだけじゃ飽き足らず、まだ足りないのか?! よくもこれほど汚いマネができたな!」
「アルバートのお父様……? ぇ、殺されたというのは、どういう──」
「とぼけるな女狐ッ! 俺をこれ以上怒らせるな!」
アルバートは胸の内から湧き上がるマグマのごとき憤怒に震えて、アイリスを睨みつける。
そして、萎縮するアイリスと視線をあわせたまま船を飛び降りた。
アイリスは「あっ」と驚いて手を伸ばす──が、その必要はなかった。
なぜなら、アルバートの足元──湖には2メートルほどの大きな魚ドン・シャークが彼のことを支えるために頭とヒレを貸していたからだ。
アルバートはドン・シャークの背中にバランスよく立ち、水面をスライドするように動いて、沈んでいく小舟から離れる。
「俺は誇りある貴族だ。お前とは違う。夕食に毒を盛ることはできた。腕利きの暗殺者に寝首を掻かせることもできた。だが、そうはしない。なぜなら、俺はお前ら薄汚いクズとは違い、ホンモノの誇りを、矜持を、正義をもっているからだ」
アルバートは10メートルほど離れると、怪書に刻まれた文字が蒸発しはじめた。
「──記録焼化。お前を殺して、その首をサウザンドラに届けてやる」
「アルバート……っ」
アイリスの悲しそうな顔が見えた。
だが、もう止まれるはずなどなかった。
湖の底からすさまじい勢いであがってくる怪物が、日夜想いをいだいた彼女を喰らおうとわかっていても……アルバートはアダンを守らなくてはならなかったのだ。
アルバートの怪書を持つ手が震える。
瞳からしずくが溢れる。
「さようなら……」
アルバートは最後の瞬間を見届けないためにまぶたを閉じた。
瞬間、沈む小舟は湖底から這い上がってきたニア・リヴァイアサンによって粉砕され、丸呑みされてしまった。
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