猶予の終わり


 初春、冬を越え、緑の萌える森のなか、家を囲んでいくつものテントが建てられている。

 実際は真ん中に立つ家が、書庫の名残りだと、一見して理解できる者は少なかろう。


 ここは現・アダンの住居。


 かつての刻印退化事件以来、誰にも相手されなくなり、見抜きもされなくなった終わった家の本拠地だ。


 あの日から4ヶ月が過ぎた。


 大陸の神秘学全般を牽引するアーケストレス魔術王国では、ようやくある噂が囁かれ始めていた。


 それは、当事者たちからすればあまりに遅すぎる事件についてだ。


「どうやら屋敷が焼失したらしい」


 『堕ちた一族のその後』──その程度のゴシップとして、貴族や有力者たちに話の種程度にこのニュースは消費されていた。


 ただ、ある家は世間一般とはまるで違う新しい情報を追っていた──。


 ここはアーケストレス魔術王国内でも有数の、魔術師による統治がされた領地だ。


 この公領はサウザンドラ領と呼ばれる。


 領地の中心、深緑の森をわけ巨大なグリンデル湖のほとりに、堂々とそびえ立つ立派な古城の名はグリンダリッジ。

 35名からなるサウザンドラの一族と、分家ハンドレッドから選ばれた侍女・付き人、くわえて200人を越える使用人が暮らしている。

 ここはアーケストレス魔術王国にて強い権力を保持し、ドラゴンクラン大魔術学院や、魔術協会への発言力もある血の一族の牙城なのである。

 

 そんの巨大な城の廊下を、足早に歩くのは、銀色の髪と蒼瞳が精悍な印象をあたえる、整った顔立ちの青年だ。


 彼の名はアルソール。

 血の一族の現当主につかえる執事だ。


 彼はただいま届いた超速鳥便の報告をするために、主人の部屋の扉たたいて断りをいれてから入室した。


「フレデリック様、ジャヴォーダンからの緊急連絡です」

「見せろ」


 書斎机で執務にむかっていたフレデリックは、アルソールから優美な筆記体ですばやく正確に清書された便箋に目を落とす。


「またジャヴォーダンに放っていた使い魔が消された、か」

「正確には行方不明、ですが」

「……血の眷属は無事か?」

「そちらめ所定の時間になっても帰還していないとの事です」

「そうか……」


 血の眷属たちを使えば、諜報に使っていたことが発覚したら致命的だ。

 そのため、普段、アルソールはフレデリックの指示通り能力は劣ろうとも、秘術に属さない一般的な魔術であつかえる使い魔だけに使用を限定していた。


 今回、日に日に屋敷のまわりに使い魔を飛ばすことが難しくなって来ていることを受けて、フレデリックはより高精度な血の眷属を放っていた。


 しかし、結果はどうだ。

 サウザンドラが誇る最高の眷属でさえもはや諜報活動すらこなせなくなっている。


「アルバート・アダンめ、付近の森すべてに使い魔対策を施しているな。本腰をいれて、隠密眷属を20匹は送り込んだはずなのだがな……使役の分野はまだまだ進化の余地があるか」


 フレデリックは頭のなかで、【錬血式】とつながっている眷属たちの行方にかるく探りをかける。

 返答はひとつもかえってこなかった。


「最接近100m距離での諜報活動は長くて20分が限度のようです。それ以上の偵察活動は、必ず妨害されています」

「早いな。森のなかに使役したモンスターを潜ませている痕跡はあるのか」

「わかりません。広大な森全てをカバーできるとは思えませんが……」

「そうだな……言われてみればその通りだ。出来るわけがない」


 フレデリックは紙から目を離して、大きなため息をついた。


「だが、帰ってきてないのでは意味がない。やれやれ、本当に面倒な家だ。ワルポーロもろとも滅んでくれればよかったものを」

「ワルポーロ・アダンは死んだと思ってよろしいのでしょうか?」

「たぶん、だがな。過去数回成功した使い魔の報告でも奴の姿は確認できてない。全体の指揮をしているのは、いつもアルバートのほうだ。父親は死んだとみて間違いない」


 フレデリックは軽薄に微笑み、彼とともに生きていた時代をふりかえる。


「迷惑なガキをよくも残してくれたな、ワルポーロ……」


 フレデリックにとって、アルバート・アダンほど憎たらしい存在はいない。

 愛娘アイリスの心を奪い、いままで従順だった彼女に親に歯向かうことさえ教えたのだから。


 貴族として家の利益の最大化を考える立場にあろうと、フレデリックはあの若干10歳の少年に嫉妬を抱かずにはいられなかった。


 私怨を抑えるフレデリックに、アルソールは提案をする。


「いかにアルバート・アダンが優れた魔術に目覚めていようと、暗殺の実行者までは追えていないはずです。今更ではありますが、もう一度、あの力を偉大なるサウザンドラに取り入れるべきでは、と愚考します」

「ははは、それはまさしく愚かな考えだ、アルソール。サウザンドラがアダンとの婚約をみずから絶ったのは、魔術家のあいだでは周知の事実。面子がたたん。それに、すでにウォルマーレ家のところの子息とアイリスの間で縁談を勧めているしな」

「ウォルマーレ……たしか、エドガー後に成立した魔術家のひとつですね」

「ああ。今、血の魔術のさらなる発展に使役術が必要だ。エドガー・アダンの【怪物使役式】をあのガキから切除できれば最良だったが……この際、質にこだわってられん」

「アイリス様は納得されるでしょうか」

「必要ない。子が親の言うことを聞くのは当たり前だ。考えを改める時間はやった。そろそろ潮時だろう」


 フレデリックはそう言うと重たい腰をあげて、アルソールを連れて部屋をでる。


「魔術協会に連絡をしておけ。一族の者を軟禁する狼藉者を制裁しにいくとな」

「では、ジャヴォーダンに?」

「眷属がバレた以上、猶予はない。1週間先までの予定を修正しておけ。馬車の用意と、血の騎士たちを召集しろ」


 その夜、大貴族家当主の号令により、サウザンドラの牙城から20台もの馬車が出立した。


 

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