暗殺ギルド編 Ⅵ
影をつかった限定的な空間跳躍に、少年の反応は遅れる。
「クソガキ、世の広さを知れ」
アルガスの凶刃は、音をたてずに少年の背骨を背後から思いきり突き刺した。
──と、数百の暗殺をこなした達人が確信を得た瞬間
「グジュるるる!」
彼の身体は巨大な質量のタックルによって壁に叩きつけられていた。
「かすめたか……あとわずか押し込むだけだったのに、惜しかったな」
少年は人生初の暗殺未遂の経験に肝を冷やし、首筋をおさえる。されど優勢の態度をくずさない。
「ぐ、はぁ……っ」
アルガスは全身の骨がくだける音を、自分の耳で聴きながら、光でチカチカとする視界にモンスターの姿をみた。
おぞましい姿のモンスターは、暗殺者のなかでも特に優れた眼前暗殺能力をもつアルガスを、確かに複眸でとらえていたのだ。
愚鈍そうな見た目なのに、ソレは見た目を遥かに上回るチカラを秘めている。
「残念だ。アルガス」
少年は言う。
アルガスは白目をむいて地面に崩れ落ちた。
しかし、驚くことが起きた。
驚愕に瞳を見開いたのは少年のほうだ。
今しがた数百キロの体重によって、確実な死をおくられたアルガスの肉体が、なんと塵芥となってしまっていた。
そのさま、燃えつきた灰のごとし。
「妙な二つ名だと思ったが……っ、──動くなお前! 殺されたいのか?」
「ヒィっ、ご、ごめん…、なさい……」
怪物がリンを履き捨てたことで、さりげなく部屋から逃げようとしていた双子を少年は叱責する。
しかし、それが隙となった。
灰塵となったそれは一瞬で、ベッド下の隠し通路へと吸い込まれていったのだ。
ほぼ空気のようなそれを、少年や怪物はとらえることは出来ない。
「おい、あれはなんだ?」
少年は質問と同時に醜悪な怪物をうならせて答えさせせる。
「…………アルガスはずっと昔に、魔術的な肉体変態を受けたらしい。彼は死なない、無敵……なの」
「死なない? 灰…不死…魔術…人体変態……ああ……あの家か…」
「そんな強そうなモンスター連れてるからもしかしたら、と思ったのに……。だから言った……彼は誰にも殺せない。どんな優れた暗殺者だってアルガスだけは殺せなかった……もうおしまい、私もあなたも殺される……」
少年は弱音をはくユウをみて、ため息をつく。
「──分裂命令」
「?」
少年がそれだけ言うと、途端に醜悪な怪物の無数にある頭が、だいたい同じ数になるくらいで、身体ごと真っ二つに引き千切れた。
臓物をこぼれ落とし、怪物たちは悲鳴をあげながらも分かれていく。
やがて、完全に2グループに分かれると、大量の潜血をさらす千切れた断面から木の根がたくさん生えて体をささえた。
「お前はアルガスを追いかけろ。残ったほうは女たちを見張れ」
「も、もういいでしょ……私たちは敵対しない……」
「アルガスに逃げられたお前たちに話を聞く。お前たちも″灰人″ということは、アルガスから相当に目をかけられていた幹部なんだろしな」
「……! いつからそれを……!」
「本当に灰人だったのか? いやはや、当てずっぽうだったんだが、当たってたのか」
「くっ…!」
「という訳で、なおさらお前たちを逃せなくなった。死にたくなきゃ待ってろ」
少年はそういって「灰人ねえ……」と心当たりがある風につぶやきながら、モンスターとともに隠し通路へと降りていった。
─────────────────────────────
──しばらく後
アルガスには隠し通路の途中で追いついた。
「っ、もう追いついて来やが──」
「攻撃命令。もう一回殺してみろ」
キメラ23号の半身は、不格好な身体からは想像もつかないほどのパワーで突進してアルガスを破壊した。
「ぐは……っ!」
後ろから跳ねられたことで、口から吐血して、胸から胸骨がとびだして確実に死に至る。
しかし、またすぐに死体は灰になってしまい、それは意思を持ったように隠し通路の奥へとむかっていく。
「不死などあり得るか。そんな魔術が開発されてるならとっくにアーケストレスの英雄だ」
アルバートは頭を抱えて、二度殺した所感からおおよその能力をわりだす。
「アーサー」
「はい、ここに」
我らが執事長は一礼して、アルバートのとなりに靴音をたてて出現した。
「もうしばし殺しつづけて様子を見てこい。ああ、それと灰を見失うな。外に出たらしいからニャオに追わせてるが、空へ逃げられると、どこでリスポーンするか分からん」
「かしこまりました。ところで、キメラの試用はよろしいので?」
「ん、ああ、もう十分だ……というかこれ以上は耐えられないみたいだしな」
アルバートはかたわらで崩壊して、くずれ始めているキメラを憐む目で見つめる。
「元々3日たたずに自壊するほど不安定な生命体だったんだ。怪書にも登録できてない。不完全な命なのさ」
「残念です」
「ああ、非常に残念だ」
アルバートは瞳をとじて、苦しそうに息をして死せるキメラを横にしてやった。
アーサーは瞑目して一礼すると、風のような速さでその場から消えた。
「じゃ、る、るる、ぅ……」
「ご苦労。よく仕えてくれたな」
「ぐ、るぅる、ぅぅ…」
闘うため強き怪物として鋳造されたキメラは、最後の瞬間甘えるように不格好な手をアルバートへ伸ばした。
アルバートは黄色い液体で汚れるキメラの手をとって、ゆっくりと撫でるのだった。
──────────────────────────────────
── 一方、アルガスは。
「た、頼む……殺さないで、くれぇ……っ!」
「もう限界ですか?」
「ニャオ」
肩に金属杖をさして木に固定されたアルガスは、なんとか楽な姿勢を保ちながら、老紳士とちいさな四足獣を見やる。
「灰になって逃げないのですね」
「も、もう限界だ……っ、降参するから、依頼主のことも話す! 頼む、だから命だけは……!」
「そうですか」
アーサーはちいさな四足獣にすこし離れているよう指示をだす。
そして、木に磔にされたアルガスへ近寄った。
その瞬間、
「──老いぼれが……ッ!」
「!」
アルガスは身体の一部を灰に変えることで金属杖をするりとぬけた。
手首に仕込まれた短剣を突きだす。
刃は艶々として液体に濡れている。
アーサーはとっさに飛び退いた。
「はははっ! 甘く見たなじいさん」
「毒ですか」
「喰らってから気がついたんじゃ遅いぜ。ブラッドファングすら食する、タイラントゲイルスコルピオンの激毒。そいつは針先ひとつ分の量で、死に至らせる──剣でかすめりゃ致死量の数十倍さ!」
「それはまた貴重な毒を持って来ましたね。いやはや恐ろしい」
「俺を甘く見たのが運の尽きだ。訳の分からねえモンスター相手じゃなく、人間相手ならやりようがあるってもんさ」
嬉しそうにするアルガスをよそに、アーサーは、仕込み刃でかすめられた手首を見やる。
わずかだが出血している。
かつての自分なら、こんなヘマはしなかっただろう。そんな落胆のため息がつい漏れでる。
「それに、俺は知ってるぜ。あんたの名はアーサー・アルドレア。ずいぶんな逸話を風に聞くが……ふふ、ふはは、俺はまたしても古い伝説を獲っちまったか」
「暗殺は対象の死を確認するまでですよ。爆破や毒をもちいた暗殺は、えてして未遂に終わることが多いですからね」
「バカいうな。毒が体内にはいれば話は別だ。そっからの流れはいつも同じ、悪いが、あんたでも死からは逃げられない」
「さて、どうでしょうか──」
アーサーは袖をまくり、ぎゅっと前腕に力をこめた。腕はまるで不可視の気迫さえ見えそうなほど硬く、硬く、硬く、筋肉は収縮してりきんでいる。
「一旦はこんなものでいいでしょうか」
「……は?」
「では、参ります」
「っ」
徒手のまま突っ込んでくるアーサー。
アルガスは驚愕に目を見張りながらも、迎え討たんとするべく腰を落とした。
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