暗殺ギルド編 Ⅴ


 ソレは悪魔と形容するにふさわしい。


 まず、一見していくつあるのかわからないほど頭があった。

 そのすべては、まるで全身の毛が抜けて、腐敗の病にかかっているような──生理的嫌悪感を隠せない皮膚をしている。


 目がない頭、牙がない頭、黄色い液体を垂らす頭、口の中に目玉がついてる頭、首から先が無い頭──。

 すべての頭は廊下を圧迫するほどのサイズの四足獣のボディに繋がっており、ただし余計な足が腹部から生えている。


 これは命の冒涜だ。人ならざる悪魔が命を弄んで生まれた怪物だ。

 暗殺者であるユウでさえ、そんな道徳を語りたくなるほどその生物には恐怖を禁じ得なかった。


「に、逃げ、て……ユウ……」

「リン……っ!」


 廊下いっぱいになるほどのサイズの得体の知れないバケモノ、その頭たちが灰色の髪をした少女をくわえていた。


「今、助ける!」

「だ、め……逃げて……、戦っちゃ…いけない……」


 リンは血でかすんでるだろう綺麗な瞳を、怪物の視線がとらえた姉へむける。


 ふと、怪物の足がとまり、その背後からひとりの少年が歩み出てきた。


「あくまで拘束する意味合いで四肢と頭をほどよい力加減でくわえている。見たところ姉妹のようだが……彼女を殺されたくないなら、動かないほうが賢明だろうな」


 少年は古びた本を片手に持ちながら、片手をポケットにつっこんで余裕そうに話をつづける。


「『灰塵のアルガス』はどこだ」

「くっ……」

「別に答えなくても構わないぞ。この女を殺すだけだ」


 少年がそういい、醜悪な怪物へ視線をわずかにむける。

 怪物はすこしだけ噛む力を強めて、少女の体からミシミシと嫌な音を鳴らさせた。


「ぃ、ぅぐ……っ!」


 涙を流し、少女は悲鳴をこらえる。

 姉の冷静さを欠かせないために、自らの苦しみを飲みこむ。


「暗殺者のくせに……」


 少年は困惑した表情をして、短剣を構えるユウへ向き直る。


「俺だって歳の近い少女なんて殺したくないんだ」

「そんな醜い怪物を操っておいて、よくもぬけぬけと!」

「……なるほど。たしかに。これはすこし見た目が悪すぎる。一般的に見れば俺は極悪非道なんだろうな」

「それ以外になにがある。今すぐにリンを解放して!」

「クズどもが。調子に乗るなよ。お前らは他人の家族を殺し、すべてを奪い、絶望を植えつけ、のうのうと自分たちだけ幸せになろうとする人間だろうが」


 ユウは目を細める。

 この手の敵は『アルガス』にはごまんといる。

 暗殺者の被害者。

 彼らは、この世の全てを恨んで焼き尽したいほどの憎しみを持っている。

 なのに誰に復讐したら良いかもわからないまま、多くが葬り去られた事実を知らずに一生を終える。

 

 もし仮に目の前に、復讐の対象がいたのならば、被害者にはどんな行為をしても許されるだけの余地がある。


 ユウでさえ、そう思っていた。


「だからって……どうしようもない……これしか無かったんだから……」


 ユウは一瞬迷い、怪物を静観する。


 勝てない。

 生物的な本能がつげていた。


 組織の内情にせまったプラチナ等級の冒険者ですら暗殺した経験をもつユウでさえ、絶対の敗北を肌で確信してしまう。

 

 さらに嫌なのは、噛み砕かれそうになっている妹が目にはいることだ。

 

 『灰塵のアルガス』を裏切れば、かならず殺される。

 組織を離脱しようとして死んでいった仲間をユウは何人も知っていた。


 ただ、そんな絶対の死があたえてくる恐怖と、彼に感じる恩義より、苦難を乗り越えてきた妹を失うほうがはるかに怖かった。


「…………奥の部屋。階段を降りた先がうちのボス、『灰塵のアルガス』の寝室」

「案内しろ。妙な素振りをしたらこの女は殺す」

「くっ……ひとつ、お願いがある……」

「出来る立場だと思ってるのか? はやく案内しろ」

「…………恨みがあるのは『灰塵のアルガス』だけ?」

「?」

「属性魔術じゃない魔術……つまり、あなた魔術王国の貴族なんでしょ……暗殺者を雇う気はない……?」

「はあ……くだらん交渉するな。敵だぞ。貴様は三流か」

「お、お願いします、話だけでも──」


 ミシミシッ。


「きゃああああ! ぅ、ぅぅ、……ッ」

「リン…ッ!」


 ユウは殺意溢れる眼差しで少年を見つめる。

 少年はアゴをくいっと動かすだけを返答とした。


 ──しばらく後


 4つの口にくわえらえ、よだれまみれの人質となったリンと、脅されて道案内をするユウは、『アルガス』の長の部屋へとやってきていた。


「開けるんだ、罠があったら困る」


 少年に指示されて、ユウは特殊な機構の扉を手順にしたがって開けた。

 この扉は右に捻って押しこんだあとに、左に回さないと開かない仕組みだ。

 手順を間違えれば、その時点で扉前は火属性の属性爆発をもって破壊される。


 部屋に入ると男がひとりいた。


 野性味のある無性髭をたずさえた、彼はベッド下の隠し通路から、ちょうど這い出てきたところだった。


「は……?」


 彼はなにが起こってるのか理解できない顔で、飛び上がると、剣をぬいて部屋の入り口から距離をとった。


「ご、ごめん……リンを人質にとられて…」

「チッ、どいつもこいつもクズばかりが」

「お前が『灰塵のアルガス』か」


 少年はたずねる。

 男は眉をひそめた。


「本当にアルバート・アダンが乗り込んで来てたのか。まあ、動機は聞くまでもないわな」

「その口調、余計な問答をする必要はなさそうだ」


 少年は深く息を吸いこみ、震える唇を噛みしめる。


「アルガス、チャンスをやる。俺はお前も憎いが、本当に殺したいのは雇い主だ。どこのどいつにアダンを襲うよう金を積まれたのか吐け」

「ああ、誰だったかなぁ……はは、すまん、忘れた」

「二度は言わない。後悔したくないなら今すぐに言え。命は助けてやる」


 男は少年のすぐ横で、日替わりで夜の相手をさせていた少女を見やる。


 リンをくわえる凶悪な怪物。

 それを見て、彼のだした解答は──。


「いらね。さっさと殺せよ」

「っ、ボス!」

「俺たちゃ闇の世界の人間だ。人質とられて降伏したんじゃカッコつかんわな」


 男──アルガスがそう言うと、ユウは悔しそうに眉をひそめた。


「ところで、アルバート・アダン」

「おしゃべりをする気はない。主導権はこっちにあるんだ」

「? 何を言ってる。そのモンスター1匹で本気でダイヤモンド級暗殺者の俺様をどうにかできると思ってるのか?」

「ダイヤモンド……たいそうな等級を自称してるんだな」

「はは、クソガキが。礼儀がなってない」


 アルガスは脱力したようにたって「時に」ときりだした。


「アダンのガキ──お前、まさか今、自分が優勢に立ってるとか思ってるか?」


 アルガスがそう言った瞬間、場の温度が変わった。彼の姿は揺らめき、カゲロウのごとく消えてうせる。

 超常的な身のこなしの次段階、凶刃を構えた最高峰暗殺者は、一瞬にして移動し、直剣のバックスタブで少年の首を落としていた。

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