さては好感触…?


 

 その日、アイリスはサアナとともに書庫のまえをうかがっていた。


 立派な両開きの木製扉のまえには、常にメイドがひとり張りついており、何度話しかけようと通してはくれない。


「アルバートの危機に参上すらさせないとは、なんたる徹底ぷりなんでしょう!」


 少女は鼻を鳴らして怒っていた。


「ですが、アイリス様、書庫は知識の保管庫。魔術師にとってやすやすと覗かれたくないのは当然の事なのでは?」

「そうだとしても許せません、だってアルバートはティナというメイドを毎晩あそこに連れこんでいるんです」

「っ、まさか、いかがわしい事を?」

「そのまさかに違いないのですよ。ぬぐぐ……羨ましい…」


 サアナはアイリスがむくーっとふくれ面になっているのにため息をついた。


 この主人はかの少年のことが大好きだ。


 建前をつかって上手いことアダン家に住み着いたはいい。

 だが、そのおかけで四六時中アルバート・アダンのことを追いかけるストーカーに変わってしまった。


 最近は日に日に行動がエスカレートしている。

 この頃はすこし目を離すとアルバート・アダンの物品をもってきては、ベッドの下に隠すという習性まで身についてしまった。


 サアナが「これはなんですか」と問いただしても「知らないです」と言って、ぷいっとそっぽを向くばかり。


 このままではまずい。

 品格あるサウザンドラの令嬢が、言うことを聞かない子どもに退行してしまっている。


「アイリス様、ずっとアルバート・アダンの事を追いかけていては、彼にこそそっぼを向かれてしまいかねません。もしかしたら、日々の収集癖にも気がついているやもしれませんよ?」


 サアナはアイリスがアルバート相手に、自分を賢く優れた魔術師として見せようとしていると知っている。


 ゆえに、2人の関係がなかなか深まらない周知の事実をつかって、さりげなく距離をあけさせにかかった。


「あ、それは無いでしょう」

「ぇ」

「わたしの気配遮断を純魔術師であるアルバートが予防なしにつかむのは困難です。犯行の瞬間は『不可視化』すら使っています。目撃者も誰もいないはずですよ、ふふん♪」

「そんな事のために高等魔術を……!」


 サアナは目元をおさえる。

 これは先祖が泣く。間違いなく。


 それに、アルバートの前だと無駄な思考をするくせに、自分の場合はやけに冷静だ、とサアナは内心で舌打ちすらする。


「あ、見てください、アルバートが出てきました!」


 アイリスは嬉しそうにつぶやいた。


 視線をむければ、くだんの少年が羊皮紙の束に目を通しながら、なにか考えごとをしながら出てくるではないか。


「なんだこの報告書は。アイリスがストーカーを……? 脱ぎ捨てたジャケット紛失の犯人? ……ティナめ悪質ないたずらをするようになったか」


 ボソボソとつぶやきながら「あのアイリスが、まさかな」と、だけ聴こえてくる。

 自分のことを考えていると思うだけで、アイリスは頬が緩みそうになった。


 見て、あれがうちのアルバートですよ! 智略に富み、千手先を呼んで貴族の戦いすら指先であやつる魔術師なのですよ! ──と、彼女は声高に自慢したい。


 が、それはたぶんアルバート受けは良くない。


 ゆえに、


「んっん! アルバート!」

「っ、アイリス様、おはようございます」


 手記をパタンと閉じて、アルバートは笑顔でおうじる。


「ええ、おはよう。今日も良い朝ね!」

「そうですね、雲ひとつない空。今日は太陽が気持ちよい日になるでしょう」

「そうね…こんな日は大好きなアルバートとお散歩でもできたら良いのだけれど…………ん?」

「そうですね! ──ん? ありがとうございます……ん? あれ?」


 アイリスがニコっとしたまま、顔をこわばらせていた。


 しまった。

 直前でカッコいいアルバートの事で脳内盛り上がってたせいで、つい本音を口に出してしまった。


「……アイリス様?」

「…………あはは、ちょ、朝食にしましょうか!」


 アイリスは張りついた笑顔のまま、テントのなかへはいっていった。


 ──しばらく後


 朝食の席はなんともぎこちない空気で満ちていた。

 穴があったら入りたい、否、いっそ殺して欲しい、そんな心持ちのまま、アイリスは味のしない朝食をいただく。


 アルバートに好意がバレただろうか?

 あるいはアルバートのそばにいるためだけに、家を捨てた魔術師失格の女だと気がついてしまっただろうか?


 アイリスはチラッとアルバートの表情をうかがう。


 深刻な表情をしていた。

 いまだかつてないほどに、人生で最大の選択を迫られているかと思うほどに、頭を働かせているのが見てわかった。


 じきに食事が終わった。


 給仕のメイドたちが食器をかたづける音だけがテントにひびく。


 しばらく難しい顔を続けていたアルバートは、なにかを決めたようにスッと顔をあげた。


「すこしお時間をいただいても?」


 アルバートのスマートな笑顔がほほえみかける。


 ──しばらく後


 アルバートと散歩しに森のほうへやってきたアイリス。


 遠巻きにサアナ、そしてブラッドファングが付いてきているが、2人の周囲には誰もいない。


 目的地は一応、アダン屋敷近場の湖ということになっている。


 歩いて三刻ばかりの距離で腹ごなしにはちょうどよい。


「アルバート、お誘いしてくれるなんて珍しいですね」


 基本的、彼からこういう類いの誘いはこない。継承の儀のまえに会ったときも、アイリスから声をかけたのだ。


「いえ……なんというか、もしかしたら僕は何か思い違いをしていたのかもしれない、と思いまして」


 アルバートは早口でそういった。

 視線は空を泳いでいる。


「思い違い? それはどんな?」


 話をつづけなくては、湖から屋敷まで往復するあいだ、ずっと黙ってるわけにはいかないっ、と、アイリスとしては冷や汗をかきながらの返答だ。


「いや、もしかしたら……ああ、いや、なんでも、その、ないんですけどね? ええ」

「はぃ?」


 アルバートの舌回りがよろしくない。

 ひどく狼狽えているみたいだ。


「アイリス様……ひとつ質問してもいいですか?」

「ええ、まあ、ひとつくらいなら……?」


 なにを聞かれる。

 アイリスはドキドキしながらアルバートの横顔を見つめる。


「あの、アイリス様って僕のことが…………ぇぇ、その、なんといいますか……好きですか?」


 そんな質問する……ッ?!


 アイリスは動揺をかくせない。


「え? ぇぇ? そりゃ、ま、まあ、ええ、はぃ…じゃなくて、もちろん、婚約者ですし……多少は、いえ、全然、多めの多少ですよ? 全然嫌いなところはないです!」

「……そう、ですか」


 アルバートは言葉に押し返されるようにのけぞった。


 そして、迫真の表情でボソボソとつぶやく。

 なにか納得いったのか、今度は確信した顔で話しかけた。


「アイリス様、僕も好きですよ」

「…………そ、そうですか?」

「はい。普通に、建前とかなしで」

「…………あはは、それは、なるほど、うーんと、そうですねぇ……」


 アイリスの顔がみるみる赤くなっていき、アルバートの言葉の意味を考えるためのキャパシティが消失していく。


 ダメです、鵜呑みにしては!

 アルバートの言葉には深い意味が込められているはず!

 この一見開き直って、本心を伝えてきてるような表情もきっとなにか──。


「アイリス様、手、繋ぎますか?」

「……すね」

「?」

「……そうですね、それも良いかもしれません。お天気もいいですし」

「ですね、お天気もいいですし」

「うんうん、そうですよ、お天気がいいですから」


 アイリスは思考をやめて、心地良い天気の空にすべてを任せる事にした。




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