共同研究


 

 湖までの道のりはいまや花色だ。


 どう一呼吸あとの間を気まずくさせないか頭を働かせるのではない。

 ただ沈黙でもって手のひらを交換する温かさに想いを乗せれることは、ふたりにとって至福だ。


 ただ、血の令嬢アイリスが、あわや本当に俺のことを好きだなんて思ってはいけない──アルバートは戒めるように頭の中で唱えていた。


 あくまで仮定の話だ。

 まだ確定ではない。


 アルバートは今までの思考が間違いであり、アイリスはわりと自分のことが嫌いではないのではないか? と思えるようになっている。


 ただ油断は禁物だ。

 これはいわば側にいれるだけでよかっま俺の心が、さらに一歩近づける可能性を見出しただけのこと。


 焦っては事を仕損じる。

 まごついていても好機を逃してしまう。


 アルバートは邪智暴虐の魔女であるアイリスに見限られないよう、彼女の好意を無駄にしないアプローチをこころみる。


「アイリス様、デートをしましょう」

「……ッ! そ、それは、いったい全体、どういう──」

「僕たちは魔術師です。もちろん、研究デートですとも」


 アルバートとしては渾身の提案だった。


 本当は現状の、のほほん日和の湖畔の散歩こそ理想的なシチュエーションであったが、これは神秘の学徒としては平和すぎる。


 魔術的インテリジェンスとは、魔導の研究のなかでのみ、はぐくまれるものだ。


「共同研究ですか。それはもしや、わたしを信頼してくれるという事ですか?」


 アルバートは瞑目して、今一度考える。


 アダン家が守ってきた秘密、そして、自分がエドガー・アダンから受け継いだ禁忌の研究。その中枢へ、彼女を招き入れても良いものか、と。


 だが、先に自分が信頼しなければ、可能性がでてきたアイリスとの相思相愛関係も水泡に帰るだろう。


 迷いは一瞬だった。


「もちろん。当家もアイリス様も、ともに尋常な状態にはありません。魔術世界で居場所をうしなった者同士、ともにさらなる深淵をのぞく契りをかわしましょう」


 あっけなく破られた秘匿。


 誰が言ったか、恋は盲目という。

 それは、かの天才アルバート・アダンさえ例外ではなかったということだ。


「はぅ、はぅん…」

「?」


 アイリスはアルバートが自ら近づいて来てくれた事に、人生の目標を達成したような多幸感につつまれていた。


 魔術家の秘密の輪に仲間入りさせてもらえるということは、それすなわち最も近しい仲といっても過言ではない。


「あ、アイリス様? 大丈夫ですか?」

「へ、平気です! さぁアルバート、ともに神秘の最奥へせまろうじゃないですが!」

「は、はい」


 アルバートはやけにテンションが高いアイリスに気圧される。


 穏やかな湖面を望むみさき、2人の天才魔術師は、はじめて真の協力者となった。


 

 ──しばらく後


 アルバートとアイリスは、生温い沈黙をかかえたまま、されど手を繋ぎながら屋敷へ戻ってきた。


「おかえりなさいませ、アルバート様」

「アーサー、俺の同伴ありきでアイリス様に魔術工房への入室を許可した」

「かしこまりました。では、以降はそのように」


 アーサーはうやうやしく一礼をした。

 サアナがブラッドファングと隣たって獣道から出てきた。


「彼女には許可をだしてくれるのですか、アルバート」

「……いえ、あくまで現在取り組んでいる研究には、アイリス様にだけご参加をいただきましょう」


 アルバートとしては、せっかくの2人の時間に余計な客人を混ぜたくはなかった。


 とはいえ、素直に納得するサアナではない。


「アルバート・アダン、私を受け入れないとは貴様どういう了見だ!」


 アルバートは「フッ」鼻で笑ってあしらう。


「貴様ぁああ!?」

「まあまあ、落ち着いてサアナ……!」


 こいつはサウザンドラ家の腰巾着だ。

 正式に魔術の修練を積んでもいないのに、デカイ面をされてはこまる──と、アルバートなりの基準において、サアナは尊敬するに値しない人間なのだ。悪いな。


「ぐぬぬっ、このこの、アルバート・アダンめ……!」


 サアナはジタバタしながら、アーサーに連れていかれた。


 邪魔者を消しさったアルバートは、さっそくアイリスを連れて書庫をぬけて、魔術工房へおりてきた。


「では、まず今取り組んでいる魔術を見ていただきましょう」


 アルバートは彼女へ、刻印【観察記録Ⅱ】について、現状、判明している多くを話した。


「え、それは魔術協会の禁忌に抵触してるのではないですか?」

「そうでしょうか? 僕はそうは思いません。解釈の違いだと思いますよ、ええ」


 アルバートはしらばっくれて話を進める。


 アイリスとしては、この先に進んでいいのか少しだけ不安であった。

 ただ、それでもアルバートが重大な機密を打ち明けてくれたことが嬉しかったので、彼女は共犯者になる覚悟を決めた。


「とても難しそうですね。これまで使役学は専門としてきませんでしたが、アダンとの仲を深めるために勉強はしてきたつもりです。なにか力になれるかもしれません」


 ──3日後


 アイリスとアルバートは、1日のほとんどを書庫と魔術工房、モンスターハウスのなかで過ごしていた。


「この黒い液体は、我が家の学問領域でいうところの『錬成血液』に類するものな気がしますね」


 数日間の観察と検証をへて、アイリスは結論づける。


「血の研究者たるサウザンドラの魔術なら、崩壊する怪物の自壊をふせげるかもしれません」

「それは……実に興味深いですね」


 アルバートは邪悪な笑みをふかめる。

 アイリスが好きな顔であった。


「? どうしました、アイリス様、ニヤニヤして……」

「んっん! 何でもないです。と、とりあえず黒液に、わたしの血を混ぜて見ましょうか! なにか変化が起こるはずです」


 ぐつぐつと煮える湯のようにうごめく黒い液体へ、アイリスは短剣をとりだして、指先から血を垂らした。


 瞬間、黒い液体は大爆発をおこした。

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