第10話 見習い天使も楽じゃない その4


「悪魔退治スプレーはですねー、悪魔が嫌がる純度百パーセントの誠実イオンを精製して作ってあるんです。それを普通の人間が直接大量に吸い込むとですねー、簡単に言うと、隠し事ができなくなったり、嘘が付けなくなったりするんです」


 俺と柊木は顔を見合わせた。柊木の顔にも「それの何が悪いの?」と書いてある。正直俺も何が悪いのか分からない。ちょっと困った表情でユアは続けた。


「つまりですねー、考えたことをそのまま喋っちゃったり、考えるよりも先に行動しちゃったりするようになるんですー。まあ、その人の本性が出るだけっていえばそうなんですけどねー」

「なるほど。本性がダダ漏れするってことか。そりゃあまずい」

「まずいね。けど……、なんか楽しそうかも」


 思わず苦笑いが出てしまった。柊木は川田さんの身体に悪影響がないとわかって緊張が緩んでいる。やれやれといった表情で肩をすくめたユアが、柊木をたしなめた。


「ちいちゃん、笑い事じゃないですよ。人によっては暴れ出したり、歌い出したり、脱ぎ出したりしますからねー。ほっとくと自然と治るけど、しばらくあんな感じです。仕方ないですけどねー」



「やっぱりBLのだいご味は男の子が攻められて苦悶の表情を見せるとこなのよね、ね、ね。それがかわいい顔のガチムチマッチョだったりしたら、もう、ちょーヤバい。それだけで死ぬ。死ねる。尊すぎて昇天する」

「それ、分かります! とっても分かります!」

「でもね、でもね、でもね、だからといって露骨にエロけりゃいいってもんでもないのよ。そこ大事なとこよね、ね、ね。分かるでしょ? 分かるでしょ? 分かるでしょ? ちひろちゃん!」

「もちろんです!」


 圧倒的会話の速射力。杉高ダンス部四天王の一人、刺さるようなキレと優美なしなやかさを併せ持つダンスパフォーマンスで校内でも人気の高い川田由乃さんが、こんなぶっちゃけた、いや、正確にいうとネジの外れた話をする人だとは思わなかった。


「ケン、あのおねーさんとちいちゃんの話してること、わたし、ぜんぜん分かんないですー」

「子供は分からなくていいよ。そもそも教育上悪すぎる」

「……悪いんですか」

「うん。悪い。この上なく。少なくとも天使が喜んでする話じゃない、はずだ」

「そうなんですかー」


 俺たちは夕暮れの町の中を並んで歩いていた。川田さんを一人で歩かせるのはこの上なく危険だ。今の川田さんはスプレーの副作用でスーパー歯止めなしモードに入っている。話が暴走するだけならまだ恥をかくぐらいですむが、行動が暴走すると危険だ。最悪他人に危害を加えかねない。ユアによると脱ぎ出すこともあるらしい。常識的に考えて、それはマズい。……ちょっとだけ見てみたい気はするが。

 とにかく、俺と柊木、それにユアの三人は、保健室でしばらく休んだ川田さんを家まで送っていくことにしたのだった。


「ユア、あの川田さんの暴走モードはどれぐらいで終わるか、分かんないのか?」

「うーん、効き具合に個人差ありますし、どれぐらい吸い込んだかでも変わりますから、なんともいえませんねー。ただあのおねーさん、行動はそれほど暴走してませんよねー。いきなり殴りかかったり、服を脱ぎ出したりするよりかはマシな感じですー」


 夕暮れ、街並み、灯り出す家々のともしび、歩道に落ちる街灯の影、道行く車のヘッドライト。

 前方に二人並んでいる柊木と由乃さんは、女子高生らしい華やかな笑いとともに歩いていく。はた目には楽しそうに笑いながら下校する女子高生二人組。しかし、話の内容はエグいなんてもんじゃない。


「でね、でね、でね、ちひろちゃん、体育の小坂先生知ってる?」

「あ、知ってます。一年の時教わりました」

「その小坂先生とね、糸田しずくの弟くん、知ってる?」

「糸田すぐるくんですか? 同じクラスですけど、彼がどうかしましたか?」

「実はね、ちひろちゃん、その二人のカップリングがね、今サイコーに熱いのよ。私の中で。今、超絶ホットなの。でね、でね、でね、みんなに勧めてるの!」

「え? 本当ですか? でも、その組み合わせ斬新で、ちょっといいかもしれないです。糸田くんが攻めで小坂先生が受けですよね?」

「そうそうそう! わかってるじゃない、ちひろちゃん! あのアスリート体型細マッチョの小坂先生がだよ? ニヒルでクールな雫の弟くんにびんびんに攻められてるとこ想像すると、もーっ、たまらないー! きゃー!」

「きゃー! それいいです!」


 きゃーじゃねーよ、川田さんも柊木も。顔赤らめてまでしてなんちゅー話をしてやがるんだ。しかし、糸田も災難だな。まさか自分が三年女子のカプ厨の餌食になってるとは思ってもみないだろう。これも雫さんという稀代の美形の姉を持った宿命なんだ。我慢しろ、糸田。でも、心底同情する。同情はするが、実のところざまみろという思いもある。


「攻めるって何ですか? 攻撃することですか? わたしもお話に入れてほしいですー! わたしだけ仲間外れですー!」

「ユア、それはやめとけよ。ただでさえユアの姿は柊木にしか見えないんだから、ユアが出ていくと話がこんがらがるだけだ」

「えー、わたしもちいちゃんとおねーさんとお話で盛り上がりたいですー」


 気持ちは分かるが、話題があまりにアレだからな。ホントのところは、すこぶる情操教育に悪いこの柊木たちの会話は、あまりユアには聞かせるもんじゃない。

 しかしねー、あの柊木がこういう話題でクソ盛り上がりするとはねー。なんか女子が信じられなくなってきたなあ。糸田がニヒルでねじ曲がった性格になった理由がなんとなく分かった気がした。


「ところでもうすぐ日が暮れるけど、ユアは家帰んなくていいのか? そもそも、ユアはどこに住んでるんだ」

「あー、言ってませんでしたっけ。天使はですねー、太陽が沈んでいる間は、能力と体力が半減しちゃうんです。だから夜の間は、天上界の光を濃縮した光が出る『天上界特製 ポップアップきらりんダウンライト』のあるところで休むんです。『天使のすみか』って言うんですけどね。研修場所の近くに学園が手配してくれてるんです。見習い天使は、夜は必ず『天使のすみか』に戻らないといけないんですー」

「へえ、そういうもんなのか。この近くに『天使のすみか』があるのか」


 前方で盛り上がっているBL大好き女子二人とはまったく無関係の話題をユアに振ってみた。いつも夕方になるといなくなるユアに、いつか聞いてみたいと思っていたことだ。


「そうですよー。『天上界特製 ポップアップきらりんダウンライト』が付けてあるだけの、普通のマンションの一室なんですけどねー。毎回研修生の何人かは体力不足で倒れちゃって、研修中止で天上界に強制送還になるんです。意外に天使が人間界で活動するのって、楽じゃないんですー。ユアもこの街のどこかのマンションで夜は休んでますよー。細かい場所は個人じょーほーなんで、ナイショですけどねー」


 いろいろツッコミたいところはあるが、要するに見習い天使には天使学校が手配した宿舎があるってことがなんとなく分かった。


「へえ、ユアはそこらへんの普通のマンションに住んでるのか。じゃあマンションで隣は空き家だと思ってたら、実は『天使のすみか』だったってこともありえるのか」

「ありますあります、結構ありますー。『天使のすみか』はマンションじゃなくて一軒家の場合もありますよ。普通の人には姿が見えないから分からないんですー。わたしはなんとなくマンションよりも一軒家の方が好きですけど、今回の研修ではマンションでしたー。ま、それは自分で選べないからしょーがないですねー」


 そりゃ面白いな。空き家なのに全然汚れない家とかたまにあるけど、そういう家は天使のすみかなのかもしれない、ということなのか。


「あー、私、なに初対面のちひろちゃんに自分の性癖もろにぶっちゃけちゃってるんだろう。いやだあ、ちょっと恥ずかしくなってきたなあ」

「うふふ、いいじゃないですか、川田先輩。でも糸田くんと小坂先生の組み合わせは思いつきませんでした」

「隙あれば交配しなきゃね。特に雫の弟くんはキャラが立ってるのよ。だれを受けにしてもいい線行くという万能攻めキャラだから。例えば、ほら、あそこのリーマン、ちょっと雫の弟くんに攻められてもらいたいと思わない? 弟くんがニヒルに迫って、あのリーマンがひいひい言ってるみたいな。きゃー、興奮するー!」

「すごい、ステキです!」


 川田さんがあごをしゃくった先を見ると、長身のがっしりした堂々たる体躯の若いスポーツマン風サラリーマンが帰路を歩いている。川田さん、まじですか? 柊木もなに嬉しそうにはしゃいでんだ。ステキとか喜ぶな。こいつら、危なすぎる。少し距離を取りたくなってきたぞ、物理的に。実際に前を歩く柊木たちとの距離がだんだん離れてきた。怖くて近寄れねーよ、こいつらには。


 日没の赤い影はいつのまにか宵の暗がりに染まってきている。


「ケン、見てください。あそこ」


 川田さんの後ろの地面をユアが声を潜めて指さした。見るとごく小さいカタツムリが柊木たちとほぼ同じスピードで這っている。


「お、また悪魔カタツムリじゃねーか。柊木は気が付いてないな。ユア、スプレー貸して」

「ただのスプレーじゃないです。『めっちゃよく効く♡ 悪魔退治ころりんちょスプレー お買い得特大サイズ』ですー」

「いや、商品名はなんでもいいからさ」


 俺はユアが取り出した悪魔退治スプレーを手に取ると、そっと柊木たちに向かって忍び足で近づいた。五メートルほど柊木たちの後方の地面を這っている悪魔カタツムリのそばに駆け寄る。

 そして、一瞬の躊躇もなく缶の頭をプッシュした。スプレー缶から噴出した霧状の液剤によって、カタツムリはたちまち黒い煙となって消え去る。元の大きさがゴルフボールよりも小さい悪魔カタツムリだったので、煙の量も知れていた。いっちょ上がり。悪魔退治も慣れてくれば簡単なもんだ。


 ユアは黙ってシュッシュッとスプレーボトルを手に持って周囲を除魔剤を撒き始めた。その表情がいつになく深刻だったので、気になって聞いてみた。


「ユア、どうした?」


 ユアは除魔剤を吹きながら珍しく真剣な顔をしている。


「おかしいです、絶対。どう考えても悪魔、特に小さい悪魔の出現回数が多すぎます。これは、近くに悪魔に魂を食べられちゃった人がいるってことですか? でも、そんな人、見かけませんし……」


 除菌のスプレーボトルをポシェットにしまいながらぼそりとつぶやいている。


「とにかく、このままだとイーヴィルパンデミックになっちゃいます。ケン、ちいちゃんのこと、お願いしますね。これ、持っておいてください!」


 ユアは顔を上げると険しい表情のまま言った。そして踵を返して、すっかり陽の落ちた街の中を走り出した。


「ん? なんだこれは?」

「『天使のお守り』です! わたし、ちょっと天使のすみかに戻ります。『めっちゃよく効く♡ 悪魔退治ころりんちょスプレー お買い得特大サイズ』もケンが持っておいてください。ちいちゃんたち、守ってあげてくださいね! 絶対ですよ!」


 それだけ言い残すと、ユアは走り去ってしまった。うーむ、あの慌てよう、どうも非常事態っぽいニュアンスだ。イーヴィルパンデミック? 穏やかじゃない。どうしようか。柊木には顛末を話しておいた方がよさそうだ。

 俺は少し先を歩いている柊木を追いかけて、横に並ぶ。柊木は背後で何が起きていたのか、まったく気が付いていない様子だ。この調子じゃ、おそらくユアがいなくなったことにさえ気付いてない。


「柊木、あのさ……」

「で、やっぱり私、純粋な愛はBLでこそ表現できるもんだと思うんです。だって、男女の恋愛って、どうしても肉欲が絡んできちゃうじゃないですか。そんなのピュアじゃないです! 愛とはピュアであるべきなんです!」


 ……なに先輩に向かって熱弁してるんだ、こいつ。握りこぶしで目が据わってるじゃん。俺の話なんか全然聞いちゃいない。まったく、どうしようもないな。


「でしょ? でしょ? でしょ? やっぱりそう思うよね? ちひろちゃんなら分かってくれると思ったよ」


 川田先輩、なに、煽ってるんですか。BLだって肉欲丸出しのエロシーン連発してるんじゃないんですか。読んだことないし、読む気もしないから別にどっちでもいいけど。

 しかし、この二人の話にまるでついていける気がしない。今日の柊木は暴走しすぎだ。


「あ、ここ、私の家なの。送ってくれてありがとね。二人ともお茶でも飲んでって!」


 歩みを止めた川田さんが指さす先には、モダンな家が建っていた。はたと足を止める俺たち。冷静になった、というか正気に戻ったというべきか、ふと顔を見合わせると柊木の視線が「どうする?」と問いかけて来ている。そんな俺たちの逡巡をまったく意にとどめないで、川田さんは柊木の背中をずいっと押した。


「ほらほらほらほら、ちひろちゃん。私のとっておきのウルトラディープコレクション見せてあげるから。なんなら十冊ぐらいまとめて貸してあげるからさ。もう、ホントすっごいんだよー。人生観変わっちゃうよ? ほらほらほら、ケンくんも。さ、早く入った入った」


 川田さん、やめてください! そんなんで人生観変わりたくない!

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