第3話 きらきら星
キャリーケースの中身をそっと開き、一つ丸く小さな手のひら大のボールを転がした。
私は手品が得意、というか基本的に器用なのだとか。親友は不器用だが想像力にあふれている。
良いことだ。お陰でとても都合の良いものが出来上がったのだから。
二つのボールで軽くお手玉をしてみせる。手を交差させてみたり、小指の先でスピンさせてみたり。
この世界は娯楽が少ないのか、隠れていた少年は少女と共に私の手のひらの上に見入っていた。
少女は顔を上げると思っていたよりも幼く、可愛らしく見えた。中学生くらいだろうか。少年と同い年くらいの印象を受ける。
「お嬢様」
「待って。あと少しだけ、」
彼女の制止を聞かずその細腕を掴もうと四人の黒服のうちの一人が手を伸ばした瞬間、その黒服の男の顔面にボールが埋め込まれた。
当たっただけ、ではある。当たっただけなはずだ。しかしここは夢の中だ。
そして私はこの夢の中では普通の人間と違う、らしい。
「お前っ!お嬢様をお守りせよ!」
「ひっ捕らえよ!ひっ捕らえよ!」
少年が撹乱の声を飛ばせば、撹乱の声に誤魔化され三人の黒服がこちらへ向かってきた。
ボールに当たった黒服は使えない部下を持ったらしい、苦々しい顔で声の主を探すが、そのボールが突然煙を噴き出した。
「な、に」
「こっちだ」
「え、!」
少女は少年に手を引かれ煙幕の中から消えてゆく。
黒服は少女を追おうとして、第二のボールに当たり身動きが取れなくなる。
粘ついた足が動かず苦戦する黒服一人と、少女が消えたことに気づかぬ黒服が三人。
こうなると私の敵ではない。親友の出すものが私に危害を与える訳も無い。
私の前髪に隠れた左目はもくもくと依然煙を映し出すが、右目はそうではない。
親友の出してくれたボールに惑い上手くハメられた黒服四人がはっきりと見える。
「よ、っと」
私は左目を瞑り、キャリーケースの中から大きな太刀を取り出した。抜けば玉散る三尺の氷。ゆらりと冷気が漂ってくるのは幻覚ではない。
現実、私の左目にはそういう風に見える。ここは現実ではなく夢、胡蝶の夢、だが。
一人目の黒服の弾丸が軽く降った太刀に吸い込まれるように切り落とされる。
二人目の黒服のネクタイが裂け、砂がざらりと落ちた。
三人目の黒服の両足首がスコン、と消えたと思えば水銀がでろでろと流れ落ち、四人目の黒服の両手首が切れた途端四人目の黒服は断末魔を上げ腕からざらざらとざらめを落とした。
「さて。残りは君だけだが」
足をネバネバとした納豆に取られ黙りこくる黒服はこの中では一番偉そうだった。
ので私は聞く。
「この夢はどういう夢だ」
黒服はサングラスの奥で瞬きをした、ような気がした。
「お嬢様が。王子様のところへゆく、夢、だ」
「それにしてはすごく落ち込んでいたように見えたけれど」
親友ががたり、と笑った。どの道殺してしまうので喋っても構わないと思ったのだろう。
私もそう思った。ここは夢の中だ。ヒト殺しでさえ、吉夢の要因となり得る。
「王子様、が。この後結婚の約束を破り、お嬢様を処刑台にかけるから、だ」
「ほう」
漫画ではなかったのだ。私ははっ、と思った。
マリーだ。マリー・アントワネットだ。
かなり飛躍した思考だが言わないだけマシだろう。これも妄想のうちの一つだ。
「では、攫っていって構わなかったのだな」
「...とある少年がお嬢様を攫うまで、この夢は繰り返されるのだそうだ」
親友は居心地が悪そうに身じろぎをした。がたり、というキャリーケースの音を高級な革が吸収する。
「では、もう終わりだな」
きらきら星のピアノが聴きたかったな、とふと私は思った。
少女がマリー・アントワネットならば、少年は或いはピアノを弾けただろう。それも、素晴らしい楽譜を作れたはずだ。
黒服ははあ、とと息を吐き出した。指先がさらさらと砂鉄の粒へ変化し、落ちてゆく。
「これでここは終わり、だね」
「まだお前は戻らないのか?」
「そうみたいだ」
キャリーケースは相変わらずキャリーケースのままだ。私の親友の姿は残念ながら人間なので、まだ我が親友は戻っていない。
旅は続けられる。灰色の空は暗い、しかし星の明るい夜空へと一変した。鉄塔はあいも変わらず私たちを見ている。
「行こうか」
「行こう」
カラカラと親友の手を引いて、私は鉄塔の方へ歩き出す。
「『ああ、話したいのママ 私の悩みのわけを』」
親友はくすくすと微笑んだ。悩む少女はもういない。夢は醒めなくてはならない。
「『パパは私にもっと大人らしく 分別を持って欲しいみたいだけど』」
私と親友の声が揃った。ピアノの音が聞こえてくるようだった。
「『そんなのよりあの子の方がよっぽどいいわ』!」
さあ、彼らの幸せを願おう。私たちはただ、歩くだけだ。
夢境の旅人 たかっちゃん @naoto0423
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