第2話 少年

 夢はいつだって理不尽で唐突なものだ。この灰色の空を背景に聳え立つ鉄塔を見上げると、フィクションというか、とある人気漫画家のデビュー作でこんな話があったなと思い出す。

 化け物を狩る商売人たちの話だ。欲しい。欲しい。欲しい。欲深い彼らは怪物の現れるショッピングモールを登っては、素直に求める。常に化け物を殺し、刈り取り、元の物言わぬ美しい時計や宝石や洋服、美味しい食べ物や家電を手に入れる。

「としてもここは世紀末すぎない?」

「原作の漫画もこんなような感じだったがな、こんな鉄塔はなかっただろう」

 実際この夢の中で化け物を見てはいない。がしかし、あまりにも貧富の差のあるような光景を見せられてはどうにもできない。

 そんな感じかな、という妄想程度の話だ。貴人と見える少女が大通りを通れば、皆はギラギラとした瞳で跪く。

 敬意を表しているのではなく、良いカモが来たからとりあえず降伏の意を見せておくだけなのだろう。

 その証拠に、護衛と見える四人の男たちに組み伏せられている人数は相当な数だった。

 おもむろに遠巻きに見つめている私の腰あたりにぶつかった少年の首根っこを掴み引っ張り上げる。

「少年。それはくれてやるから、ここの案内を頼めるか?」

 少年はぷらり、足を中に放り投げたまま悔しげに手の中の林檎を見つめた。

 我が親友の食べさしである。キャリーケースの身ではどうにも果実は美味しくないようだった。

「銀二枚ないと無理だ」

「私たちは旅人だぞ。金になりそうなものはあるだろうが、金があるとでも思ったか」

 言外にお前にやる金はないといい含めれば、少年はそのまま肩をすくめた。

 妹が腹を空かせているんだくらいの咄嗟の嘘は言うかと思ったが、そうでもないらしい。

「いーよ。教えてやる」


「ここは夢ん中だ」

 少年は俯き加減に歩きながらも言い切った。

 瞠目する私と微かに揺れる親友を尻目に、少年は続ける。

「誰だってつい一週間前の時の記憶がなきゃビビるだろ」

「なるほど。君はどうやってそれに気づいたんだい」

「日記がなかった。近所のおっさんの家の壁に日記を書くんだ。書いてたはずだ」

 少年も可哀想なことに、この夢の中の人物はやけに想像豊かだったらしい。

 皆大抵こういった夢の中のエキストラは自我がなく、私もとりあえず駄目元で引っつかんだ首根っこは大暴れして離さざるを得なくなるだろうと思っていたのだが全く違ったようだ。

 夢の中のエキストラ自体に自我を持たせていたのだろうか。

「ああ、君の家族にーー」

「意識があるかどうか、とかは分からん。オレは他人の頭ん中は分かんねえ」

「哲学的ゾンビだね」

 親友が小さく、少年に聞こえないように呟いた。

「例えば『悲しいこと』と定義されることが起きたら悲しむ、『嬉しいこと』と定義されることが起きたら喜ぶ、けれどそれは人間が熱いものに触ったら熱い、と手を離すのと同じようなことで、主観的な『魂』みたいなものは持ってない」

 親友はこういった小難しい話を延々と話すのを好む。比較的親友は私より頭が良く、理系だ。でも親友は謙遜が上手いから、私の方がずっと頭が良いと言う。

 堂々巡りになることをよく分かっているので、この議論は十数年前から停止している。何せ私は頭がいいし、親友は私よりずっと頭がいい。

 私より頭がいい親友が私のことを頭がいいと言うのなら私は頭がいいはずだし、その私が言うのだから親友は私より頭が良いはずだ、と卵と鶏のどちらが先かというような話をするのに飽きた。私たちはもう小学生ではない。

「では、君が夢を見ているという感覚はないんだね?」

「おう。オレは夢見ねえし、そもそもみんな眠ったトコを見てねえ。産まれた時からそうだったから普通だと思ってたけど、ずっと寝て起きない奴もいる。今考えてみりゃ普通におかしい」

「なら、この夢の主は」

「お前らがぼけっと見てたろ」

 ああ、と手を打つ。今回夢を終わらせなければいけないと伝えに行かねばならない相手は、あの美しく着飾った貴人らしき少女だろう。

「では、行ってこなければ」

「バカかお前、ああなるに決まってんだろ」

 『ああ』、というのは要するにあの少女に何かしようとした不届きものたちのことだろう。

 しかし少女は俯き加減で顔まではよく見えなかったし、何より私には親友がいる。

「君も行くかい?」

 少年は一瞬黙って、口を開いた。

「行く」

 少年の足の向きが変わった。

 確固たる足取りで、決して清潔ではない大通りを目指す。

「そうだ」

「なんだよ」

「暇なんだ。歌の一つでも歌ってはくれまいか」

 訝しげに少年は歌を歌った。きらきら星だ。旋律のアレンジが効いていて、普通の歌ではない。

 ピアノでも引いてくれればなあ、と親友が小さく呻いた。音楽は素晴らしい。

 そこがどんな場所だろうと、我々に希望を与えるのは、突き詰めれば暖かい食事と音楽だということを私はよく知っている。

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