7. 駆けているそいつと欠けている僕と2
からん、と音を立てて、殆ど飲んでいないバーボンのグラスの氷が溶ける。僕はグラスに口をつけてだいぶ薄くなったバーボンを少しだけ飲んだ。
「実は、その律のことなんだけど」
携帯電話を取り出し、例の動画を見せる。店内には他の客は殆どいなかったが、あまり音量が大きくならないように、一度消音までボリュームを下げてから、また少しだけ上げた。
「えっ?これって…」
「律、だよなあ」
カケルは僕の手から携帯電話を取ってボリュームを上げてしまった。真夜中の空間的余白の多いバーに流れるその歌。最新の投稿動画の曲はplentyの「最近どうなの?」。その前はGalileo Galileiとかandymoriとか、他にも色々。一貫性はないけれど律が聴いていた覚えはあるアーティストの名前が並んでいる。
写り込んだギターを見て、カケルの表情は確信に変わっていた。
「律ですね…これ、いつの動画ですか」
「それがわかんなくてさ。その動画の投稿は1週間前」
「本人、じゃないですよね。上げてるの」
「そんなことはないよな」
それではユーレイの仕業になってしまう。インターネットを彷徨う死者の思念?そんなものはない。
あるのならいっそ出てきて欲しい。
「再生回数1.3万…登録者数0.9万…?プチパズってません…?これからもっと伸びるんじゃ」
カケルは「そら氏」と称されたその動画の投稿主のページをスクロールする。
「初投稿、1月半前…?どういうことなんですか?」
流石のカケルも豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「わからない。正直キャパオーバーで。だから連絡したんだ」
気付くとカケルは別の動画を再生し始めていた。僕の携帯電話は、なかなか手元に戻ってこない。
「瞬さんには?」
「いや…まだ話してない。あいつ院試の結果そろそろだろ。今心配事増やすのも悪いし」
「気にしすぎですって。あの人の鋼メンタル、舐めちゃダメっすよ」
僕達は律の葬式以降、3人で会う事は滅多になくなっていた。個々で会うことはあっても、集まるとどうしてもどこか横たわったままの傷に触れないようにしているようで。
「…そうだな。瞬にも近いうちに話すよ。そろそろ集まりたいな」
半分くらいは本当で、恐らくもう半分は嘘の言葉を口にしてしまう。僕はいつも、どこまでが自分の本心かわからない。
「で?」
「ん?」
「どうしようとしてたんですか?」
「どう、って?」
「引っかかるから話したんじゃないんですか?」
カケルに聞かれて、僕はその質問の答えを持っていないことに気付く。この動画をカケルに見せて、僕はどうしたかったのだろう。
「いや、どうする、とかはないけど」
ふうん、と呟きながらカケルはグラスに口をつける。僕も自分のグラスを手に取った。
「誰がやってるんでしょうね。身内?ファン?とか言ってコウちゃんの自作自演だったりして」
「いやいや」
僕の返事を聞く様子もなく続ける。
「どっちみちもっと伸びて収集付かなくなったら、『夜烏』関連も掘られそうじゃないっすか?多分、身バレは時間の問題っすし」
「僕もそう思ってる。それはできれば避けたい」
インターネットのアクセス数は基本的に相乗効果でどんどん増える。一度波に乗って仕舞えば、遠く高くどこまでも流されてしまう。インフルエンサーの投稿で、『夜烏』のギターボーカル天野律の名前が広まった時もそうだったように。
「俺も面倒は嫌なんすよね。単位取るのに必死なんで今」
それだけはカケルの今までの積み重ねの問題なのだけれど。
「つーことで」
カケルはようやく僕の携帯電話を突き返してきた。その不敵な笑みに嫌な予感がちらつく。
「調べて下さいよ。誰がやってるのか」
「ん?」
「案外色々やってたらコウちゃんさんも元気もりもりになるかもっすよ」
「はあ」
「そんで卒業ライブで俺を誘って涙の復帰、からの卒業!」
「なあ勝手に進めすぎじゃないか?僕のこのリアクション見てる?」
「いいじゃないですか、そろそろ引きこもるのも飽きてきたでしょ。つか、ぶっちゃけ暇でしょコウちゃんさん」
──まあ、それはそうだけど。
「俺もヒロキさんに何か知らないか聞いてみるんで。ね?」
気付くと完全にカケルのペースだ。そう言えば、先日のライブのチケットを買わされた時もこんな様子だったな。
「それに俺、このままコウちゃんさんが引き籠ったまま社会に出るの見てらんないっすよ。今のままだと完全に社会不適合因子っす」
「言い過ぎ言い過ぎ」
というか金髪ベーシスト野郎にだけは言われたくない。
その後もしばらくカケルの言い分は続き、僕は結局首を縦に振ってしまっていた。
やられた。
「てことは卒業ライブも同時予約っすか?そういうことすか???」
「そこまで言ってない。サークル戻るとか、ギターやるとかはまた別問題」
「くっそ、どさくさでいけると思ったんすけど」
全て持っていかれる前に何とかブレーキをかけた。カケルの勢いも一気に落ち着く。
僕はふと、自分が囚われているものの正体について考える。
この件について調べることで、僕は少しでもその答えに近づくことができるだろうか。その道に繋がる何かを得られるだろうか、なんて。
死んだ人物を自分が救われるためだけに利用するみたいで、僕はどこまで傲慢なんだろうと、自分の愚かさが嫌になる。
「まあ今日は飲みましょ」
カケルは楽しそうにそう言ってメニューに目をやる。
ちなみに今こいつの鞄には財布すら入っていないし、奢るのは僕なんだけど。
まあ良いか。
ただ調子が良いのではなくて、もしかしたらカケルなりに僕のことを元気付けようとしてくれているのかもしれない。そうだとしたら、僕としてもいつまでも不甲斐ない姿を見せ続ける訳にはいかない。
こいつは夜になると一人部屋で考え込んでしまう僕とは違って、いつのまにか自分の答えを持っていて、確実に前に進んでいる。僕には中々できないことを軽々とやってのける。それが羨ましく、頼もしいとも思う。
「ああ」
僕は少し残っていたバーボンを一気に飲み干した。
つくづく、僕はこいつに弱い。
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