5.量産型LEDは星の代わりになれない


 基本的には順風満帆だった僕達の活動の雲行きが怪しくなり始めたのは去年の夏頃のことだ。


 新歓コンパで出会った僕達は、いつのまにか学年が一つ上がっていた。カケルは常にギリギリの単位数をキープしていたが、なんとか進級には成功した。


 大学3年生と2年生。人生で最も自由な2年間。モラトリアムの安全圏。


 律は意外と作曲ができた。意外と、というか、凄まじく。初めは4人で作っていた会場販売用のCDの曲も、2枚目以降は殆ど律が持ち込んだデモを元に作られたもので埋まっていった。

 まあ作曲はセンスがある奴がやった方がいいし、その結果として集客が増えるなら尚いい。

 ちなみに僕も何曲か作ってみたが、CDに入ったのは一曲だけだ。1枚目の、5曲ある中の3曲目。僕は自分のセンスのなさを自覚し、作曲からは早々と手を引いた。


 大学3年生の夏休み。涼しいと言われる北海道の夏も、近年は普通に30度を超えたりする。それなりに暑い。夜には過ごしやすい気温まで下がるけれど。


 律はその頃、狸小路で弾き語りをすることに熱中していた。9月に出す3枚目の会場限定ミニアルバムの宣伝も兼ねて、と週に何度か1人で出かけて行って歌っていた。狸小路の2丁目のシャッター前。そこが律のお決まりの場所だった。

 出会った頃のどこかパッとしなかった印象は、少し伸びた髪と徐々に趣向が変わった服で一転して垢抜けた。元々顔立ちが整っていることに本人はあまり気付いていなかったが、その無防備さも相まっていわゆる「顔ファン」と呼ばれる囲みが形成されるのは時間の問題ではなかった。


『最近狸2丁目で歌ってるイケメン、推してる。撮影許可もらってます』


 札幌で活動しているらしいとあるインフルエンサーが、そんなツイートと共に律の動画をSNSにアップしたことで、趣味程度の範囲に留まっていた弾き語りの見物客が一気に増加した。ローカルタレントがその地域で持つ力とは恐ろしいものだ。

 僕達のライブの集客率も徐々に上がり始めていた。元々人気の要素は律の力が大きかったが、この頃になるとバンドの人気を律個人の人気が上回っていくのを感じてきていた。


『夜烏観たけど推ししか勝たんな』『律くんさいつよ』『律くんの弾き語り見に行く!』『律くん』『天野律以外のメンバーの名前をいまだに覚えていないワイ』『作曲も律くんってすご』『律くん次いつ狸いるんだろ』『律くん同い年やば〜リアコなりそう』『すでにガチ恋、、かっこよすぎ、、』『律くん』『りつくん』『りつ』


 律の歌と律の曲、天野律という人間の全て。それが僕達のバンドを構成する全てだった。


『なんか、バッグバンドみたい』


 気にしていなかったはずなのに、ふとした瞬間から自分の脳内で気にするな、という言い聞かせの言葉を繰り返す。


 凡人は凡人らしく、長いものに巻かれ続けているべきなんだ。凡人で生まれたものは、持ちうるものが生まれつき持つかがやきを手にできることなどないのだから。


 小さな弾みで、物事はバランスを崩す。


 この頃から、瞬の家に集まる頻度が減っていった。みんな忙しくもない日々に理由を付けて、少しでもバンドのことを考えない時間を欲しがった。自分がいる意味を見出そうとしなくてもいい時間を。

 人は誰しも、自分は平均よりも少し上の能力を持ち合わせていると思い込んでいるらしい。精神衛生を保つための防衛本能。凡人であることを実感することは、大抵の人にとって苦痛だ。


 僕はそれをよく知っている。

 


 大学3年生の冬、クリスマスが近づいたその頃。大通り公園のホワイトイルミネーションの明かりが、歳の夜空で星のかわりに輝いていた。「年内で活動終わろか。俺らも就活、せないけんし」終わりは唐突だった。けれど多分みんな、心の何処かで、そう遠くないうちに誰かが切り出すことを予感していた。


「そっか。そうですよね」


 その時も律は同じように笑っていた。「曲を作ろう」と誘ったあの時と同じように。


 年が明けたその日、僕は顔を隠すために伸ばしていた前髪を切って、業界研究の本とか、SPIの問題集とか、ESの書き方の参考書とかを抱えて歩いていた。

 瞬からの着信と、律からの『ごめんなさい』というメッセージに気付いたのは、ほぼ同時のことだった。


 それからのことはあまり覚えていない。信号の音がやけに大きかったこと。駅前に降り積もった雪は泥水を含んで濁った色をしていたこと。就職活動よりも前に葬式で着たスーツが、やけに動きにくかったこと。線香の匂い。睡眠薬を大量服用したらしい律のその顔は、いつも通り綺麗だったこと。


 涙を流す余裕はなかった。人の脳のキャパシティは思ったよりもずっと小さいらしい。息をすることを忘れずに消化できるように、知らず知らずのうちに取り入れる情報の量を選り好んでるのだろうか。その時の僕はなぜか達観しきってしまっていて、人は本当に呆気なく死ぬのだということだけを悟った。


 どうしてだろう。


 凡人の僕とは違って、いろんなものを持っていた律を追い詰めていたものは何だったのだろう。


 僕達は、何か重要なことから目を逸らしていたのではないだろうか。

 そう考えるのを防ぐように、思考に隙を作らないように、僕は企業の説明会でスケジュールを埋めた。瞬は大学院に進むために院試を受けることにしたらしい。カケルはバイトをするか、どこで出会ったのかもわからない女の子と遊んでばかりいた。


 逃げるように応募した冬季のインターンシップは、全て落ちた。御祈りメールすら来ない落選を世間の学生は「黙祷」というらしい。


 黙祷。

 

 僕は目を閉じた。天に祈ったところで、死んだ者は蘇らないし、救われた気にすらなれない。書きかけの履歴書の空欄に、空っぽの人生の言い訳を並べるなと言われている気がした。

 

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