一人目 千里Ⅴ

 千里は夢を見るとき、決まって悠一と一緒に過ごす夢を見る。


 現実よりも口調は柔らかく、服装から仕草まで随分と女性らしくなった千里が愛する少年と過ごす夢だ。少年と千里から笑顔が絶えることはなく、それは千里が望む幸せの形そのものだった。


 左手の薬指には千里の願望の一つでもある銀の指輪が光る。こういった恋人らしいことも、心の奥底に閉じ込めていた願いの表れだろう。

 肩を寄せ合い、手を繋いでは笑い合う。自然と交わされるキスも手馴れていて、誰がみても幸せいっぱいといった光景。久しぶりに訪れた夢の空間だった。


 しばらくして太陽が沈み、夕闇が辺りを包むと、二人は手を繋いだまま寝室へと向かった。

 いくつもの間接照明に照らされた室内は幻想的で、彼女が見知った部屋ではなかったが、当たり前のように千里はベッドへ腰掛けた。

 いつの間にか千里は下着姿になっていて、それも普段の自分なら着けるはずもないような扇情的なランジェリーが魅力的だ。

 褐色の肌に似合った黒いレースのブラに、ほとんど下着としての機能を果たしていないようなショーツ。ガーターベルトなど着け方も知らないのにばっちりと着こなしていた。

 夢の中の千里は違和感も覚えず顔を赤らめる少年の手を引く。抵抗する素振りもなく少年は千里に覆い被さった。

 二人分の重さにベッドが深く沈む。同級生よりも軽いだろう少年の体重が心地良い。

 千里は腕を広げ、少年を迎え入れた。目を瞑ると唇に柔らかい感触。夢では積極的になる少年は、舌で千里の口内を弄った。

 千里も負けじと舌を返す。現実なら逃げ惑う彼の舌も、今は喜ぶように激しく蠢いた。


「んっ……ふぁ、ちさとちゃん……」


 少年の甘ったるい声が千里の興奮を煽った。

 胸が締め付けられると同時に、蕩けた目をした少年を滅茶苦茶にしたくなる衝動に駆られる。

 千里は体制を入れ替え、少年を組み敷いた。いつもは怯えた顔をする少年も、ここでは照れくさそうに笑うだけ。

 先程のキスよりも荒々しく唇を奪った。息継ぎもままならない程貪ってしまい、千里は大いに興奮した。


 十分に口内を楽しんだ後、千里は少年の首に狙いを変えた。最初は優しく噛み付き、舌を這わせ、少年の反応を楽しんだ。

 擽ったそうな声を上げた少年がまた笑う。それが嬉しくてさらに欲情した。唾液塗れの首筋に思い切り歯を立てて、噛み千切るぎりぎりの瞬間を楽しむ。

 少年の口から悲鳴が漏れたが、すぐに嬌声を含むようになる。少年には痛みすら快感となるよう、千里が夢の中でそう躾けたのだ。

 くっきりとした歯型に満足して、千里は少年の服を少しずつ脱がせていく。色素の薄い肌に似合った桜色が目に入った。

 突起を口に含むと、少年の身体がびくりと跳ねた。舌で転がせば身を捩って逃げようとする。逃がすわけがない、と千里はより激しく攻め立てた。

 ぐにぐにと歯で甘噛みを繰り返しながら、少年のベルトを外す。かちゃりと小さく音を立てて、少年のズボンがベッド脇へと落とされた。

 張り詰めた少年自身に触れ、手で可愛がる。既に準備万端のようで、涙目の少年が無言で懇願する。

 

 千里に焦らす趣味はないし、求められれば応えてやりたいと思っている。少なくとも、今は千里も我慢できそうになかった。


 身を起こして、蕩けた少年を見下ろす。

 荒い息と涙ぐんだ瞳が千里を見上げる。


 庇護欲と嗜虐心を同時に擽られて、千里は少年の頬を撫でた。少年は目を瞑って手を受け入れた。

 

 千里は腰を浮かして、自身に怒張をあてがった。粘っこい水音と共に、少年と千里の顔が歪む。

 下唇を噛んで一気に腰を降ろした―――同時に、腰から背中、頭にかけて電流のような衝撃が走った。

 堪えた口元から嬌声が漏れてしまい、慌てて意識を引き戻す。少年の前では凛とした、余裕のある女でいたいのだ。受け入れただけで意識を飛ばすようなはしたない奴だと思われたくなかった。

 それは少年も同じようで、声を上げないように手で口元を押さえていた。だが彼は衝撃に耐え切れず、数秒の我慢の後に千里の中に精を放ってしまったようだ。

 火傷しそうなくらいの熱が千里の中を暴れ回った。何度も経験したはずなのに、こればかりは慣れる事はない。

 何度も脈動し、やっと収まったところで少年の手を引き剥がす。空いた唇から呼気が漏れ、彼は肩で息をし始めていた。

 やりきったような顔をしている少年に千里は不満を覚えた。彼女はまだまだ満足していないのだ。

 

「先輩、まだ、できるよな……?」


 乱れた息の隙間を縫って、少年は大丈夫、と言葉を搾り出す。その一言が嬉しくて、千里はゆっくりと腰を動かし始めた。

 

 両手を繋いでベッドへ押し付けて、背中を逸らす少年を見つめる。スプリングが壊れそうなくらい軋むが、今はそんなことどうでもいい。

 

 程なくして二度目の絶頂を迎えたとき、少年は心底幸せそうに笑っていた。

 





 

 千里はゆっくりと目を開け、ここ数日で見慣れた寝室を見渡した。差し込んだ朝日が眩しい。

 汗をたっぷりと吸い込んだシーツを払いのけ、自分の下着を確認―――いつも着けているブラを見て、夢から現実へ帰ってきたのだと理解した。

 

 なんとなく損をしたような気分になって、千里は大きくため息を吐いた。どうせならもう少しあの空間と時間に浸っていたかった。

 悠一と出会った頃から見るようになった夢は、ここ数日で一気にリアルなものとなっていた。

 経験したことないことは夢でも実現しないらしいが、やっと少年と結ばれたことで、今までは行為の寸前で終わっていた夢も最近は満足のいくところまで続くようになった。

 とりわけ彼女の願望が色濃く反映されたそれは、彼女にとっては桃源郷のような世界だ。望む自分に、望む相手と環境。彼の反応も何もかもがパーフェクトに思える。

 普段の自分では恥ずかしくてできないようなことも、夢の中では自然にできた。漫画で見たような甘い関係に憧れているなんてガラじゃないため、表立って求めることもできないが、本当はああいう関係が好みなのだ。


 幸せな気分から一転、軽い自己嫌悪に陥った千里だったが、すやすやと寝息をたてる悠一を見ればそれも吹き飛んだ。

 さらさらとした髪を撫で、その頬にキスを落とす。ん、と呻く反応が琴線に触れた。

 そのまま暫く撫でていると、少年は目を覚ます。子猫のように目を擦って、ぼうっとした表情で千里を見た。

 微笑ましい光景に、自分でも驚くくらい優しい声が飛び出した。


「おはよう、先輩」

「ん、おはよう……」


 朝は強い方だと聞いていたが、ずいぶんと寝ぼけているようだった。そういえば昨夜は随分虐めたんだと思い出してはくすくすと笑う。


 昨夜の嵐が嘘のように、外は快晴となっていた。雲はほとんど見当たらず、気温もそれなりに高そうだ。

 連休も終わり、今日から学校へ行かなくてはならない。やっと真面目なイメージがついたのだから休みたくはなかった。

 時計を見れば、まだ午前六時を回った頃だ。ゆっくりするだけの時間の余裕はあるし、不完全燃焼のような体が疼いて仕方がなかった。

 我慢する必要も理由もない。千里は相変わらずぼうっとしたままの悠一をそっとベッドへ押し倒した。

 

「んー、え……ちさとちゃん?」

「な、まだ時間あるし、いいだろ?」


 答えは聞かない。夢と同じように、悠一の唇を優しく奪った。閉じたままの歯列を抉じ開け、目当ての舌を絡めとる。苦しそうな息を感じながら遠慮なく蹂躙を始めた。

 夢とは違い、感触がよりリアルに感じた。当たる息も、体温も、絡みつく舌の熱も比べ物にならないくらい気持ち良かった。

 興奮した千里は悠一のシャツを捲くり上げ、夢で見た通りの突起を口に含む。乱暴に吸い上げて唾液を塗りたくれば、悠一は愛撫に合わせて楽器のように嬌声を上げた。

 

 千里はできるだけ夢での出来事を再現するように行為を進めていった。あの理想を手に入れるために監禁などという暴挙に出たのだ。行為をなぞっていくのは、今その夢が手に入ったのだと実感するためだった。

 噛み付いても、舌を這わせても、手で愛撫しても、悠一の反応は夢とは少し違うものの概ね変わりはなかった。潤んだ瞳と嬌声は夢以上の破壊力もあった。

 

 それでも唯一つ、決定的に違うものがあると、千里はまた気付いてしまった。

 気付かないフリをして、目を背けていた事実。受け入れることなんて出来ない悪夢。

 浴室で一人になったとき、襲ってくるあの恐怖。

 理想の夢と目の前にある現実を目の当たりにして、改めて再確認させられた違いだった。


(先輩、なんで笑わねぇんだよ……)


 夢の中での少年とは違い、悠一は一切笑うことはない。行為中どころかここに来てから一度も笑顔を見せていないという現実に、今度は少年の目の前で、千里は言い表せない感情に飲み込まれた。


(なんでだよ……やっぱりアタシじゃダメだって言いたいのかよ……)


 考えれば当たり前だ。攫われて監禁されて、挙句レイプまがいに犯される日々。悠一の気持ちも聞かないまま好き勝手にやっているのだから、笑顔を見せるほうがどうかしている。自分を好きになる要素なんて欠片もないのだ。

 頭ではそう理解していても、心がそれを拒絶していた。


 生まれて初めて好きになって、全てが欲しいと思った相手なのだ。今までそんな気持ちになったことすらなかった。どうすれば彼が自分だけを見てくれるようになるかなんて、当然わからない。

 最初は心のどこかで、きっと悠一も自分を好きでいてくれると期待していた。体を交えればきっと情だって沸いてくると。スタイルも良いし顔だって悪くないと自負している。迫ればそれで勝負を決められると思い込んでいた。

 

 そんな思いは日々の生活によって疑問に変わり、いつしかどす黒い感情になってしまったと、千里は気付かなかった。


 彼の周りには自分と同じような女性がたくさんいて、自分よりも強固な関係が出来上がっていた。同居している姉妹に、よく自宅へ招く同級生、親身に相談に乗ってくれるバイト先の女子大生などに比べれば、自分はただの後輩というポジションだった。

 加えて、女らしさで言えばダントツで負けていた。言葉も粗暴で、暴力的であると自覚している。男性にとってプラスになるとも思えなかった。


 だからこそ、千里には彼女たちより一歩先へ進む必要があったのだ。自分だけを見てくれる環境と、選ばざるを得ない状況が不可欠だった。でなければ、彼が自分の手の届かない場所へ行ってしまうという恐怖があった。

 無理矢理こちらを振り向かせる行為だということは、それが彼の望むはずのないことだとも、失敗しれば全てが終わるとも理解している。

 悠一が手に入りさえすれば、後はどうでもいいと思っていたのだ、今までは。

 だから犬のように扱う妄想をしたり、彼に酷いことをして奴隷のようにしてしまえばいいとさえ思ったりした。思い通りにならないなら人格すら変えてしまえばいいと、あの女に唆されてその気になっていたピエロだ。


 結局のところそんな覚悟は無く、今はただあの夢を見るたびに心がおかしくなりそうだった。

 心から望んでいたのは、そんなことじゃなかったのに。

 

 色々な感情が千里の胸を抉る。恐怖、焦燥、悲哀、恋慕、躊躇―――どうすればいいのか、自分がどうしたいのか、見失ってしまった。

 悠一を見下ろしたまま、千里は動けなくなっていた。目の前の光景が夢での場面へとフラッシュバックする。幸せそうに、照れくさそうに笑っていた彼が、涙を溜めて悲しそうに千里を見上げていた。

 

 それが、たまらなく悲しかった。

 

「……ああああぁぁァァッ!!!」


 右腕を振りかぶって、思い切り振り下ろす。鈍い音と共に少年の顔が弾けた。

 続いて左腕で横薙ぎに拳を振るう。まともに当たって鮮血が飛び散った。口内を切ったようで、口端から血が流れている。

 悠一は痛みよりも驚きの感情が勝っていた。起き抜けに襲われたかと思えば、突然殴られたのだ。なにがなんだか分からなかった。

 考える間もなく、千里は次々と拳を振り下ろした。逃げようにもマウントポジションを取られていて身動きがとれない。腕で顔を守れば腹部に拳がめり込み、腕が下がれば顔に振り下ろされる。止まない暴力にただ耐えるしかなかった。


 千里の暴行は暫く続き、不意に終わりをみせた。

 女の子の力とはいえ、抵抗の隙間を縫ってひたすら殴られた悠一の状況は酷いものだった。腫れた顔に切れた口元、鼻血もまだ止まっていない。ベッドは飛び散った血で酷い有様だ。

 腫れた目で悠一は千里を見上げた。恐る恐る、見づらくなった視界が千里を捉える。

 右手を振り上げたままの千里の体が震えていた。嗚咽のような声に、彼女が泣いているのだとわかった。

 その声が次第に大きくなっていき、大粒の涙が零れる。半分捲り上げられたシャツに沁みていく。

 突然の涙に、悠一は時間が止まったような錯覚に陥った。

 

「ち、千里ちゃ……」

「なんでなんだよ!!なんで……っ、なんで先輩はそんな顔すんだよッ!」


 泣き喚くように、千里が叫んだ。

 手を悠一の胸に叩きつけるが、先程までのような力はなかった。ただ縋るように、弱々しく叩き続けた。

 初めてみる千里の涙に、悠一は痛みを忘れて聞き入った。

 

「どうして……なんで、アタシじゃダメだってのかよ……」


 悠一は何も言えなかった。彼女がこうなってしまった理由はが、その言葉でわかったからだ。その原因が自分にあることも、喉を凍りつかす原因となった。

 叩きつけられる手を握って、悠一は千里を引き寄せた。千里は抵抗できないまま悠一の胸に飛び込む。

 少女を胸に抱きかかえる形となった悠一は強く彼女を抱き締めた。これ以上泣いて欲しくなくて、流れる血も無視して千里を優先する。


 初めて少年から求められたように感じて、千里は悠一の胸で子供のように大声を上げて泣いた。

 堰を切ったかのように泣きじゃくる千里を胸に、悠一は彼女の言葉を考えた。なんで、と何度も言っていたことが一番気になっていた。

 そういえば最近笑ってないな、と思い出す。それはそうだ。笑える状況じゃなかったのだ。

 監禁されたという事実以上に、千里を巻き込んだ呪いや乱れた生活のことで頭がいっぱいだったのだ。なにせ経験ゼロ(意識のあるときは)だったのが一転、一日中行為に耽る生活になってしまったのだ。さすがの彼でも、この環境では余裕がなかった。

 

 ともあれ、自分の態度が彼女を傷つけたのは明らかだ。彼女が精神的に追い詰められていたのは分かっていたはずなのに、配慮できなかった。

 リリィとの会話を思い出して、悠一は迂闊な自分に腹が立った。なにが呪いを解いて彼女を救ってみせるだ。自分のことで精一杯で、たった数日で決意を忘れてしまっていた。

 その結果がこのザマならば、甘んじて受け入れよう。殴られて当たり前、当然の報いだ。

 

「ごめんね、千里ちゃん……本当にごめん」


 もう二度と失敗はしない。

 悠一は心に強くそう誓って、千里の頭を撫でた。

 もっと笑おう。別に彼女と一緒にいることに苦痛なんて感じてはいないのだ。

 ここから出られないのは嫌だし、灯や真夜のこと、学校のこと、バイトのこと、色々と心配はあるが今は千里のことが第一だ。

 自分を慕ってくれる少女を呪いで巻き込んだ挙句、泣かせてしまったのだ。こう見えても男なのだから、その責任はとらなければならない。

 

(呪いを解いて千里ちゃんを救う。そのためなら、僕がどうなろうと構わない)


 彼女を選んでも選ばなくても、彼女が前を向いて歩けるように。

 少年は覚悟を決めて、千里を抱き締めた。

 

 その決意が自分も千里も壊していくことになると、悠一はまだ気付くことはできなかった。

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