一人目 千里Ⅲ

 監禁生活一日目、起き抜けに悠一は千里からいくつかの約束事を強いられていた。


 一、千里には絶対服従すること。

 二、外へ出ようとしないこと。

 三、千里以外の人間と口を利かないこと。

 四、千里以外の女性を視界に入れないこと。

 五、絶対に千里を拒絶しないこと。

 

 わざわざ紙に書いて貼っておくという律儀さ。目覚めたばかりでぼんやりとしていた頭には、大きすぎる衝撃だった。

 リビングで呆気にとられた表情をしていると、千里がムッとした表情で釘を刺した。

 

「なんだよ、何か文句あるわけ?」

「いや、文句って言うか……」


 まるで奴隷のようだね―――とは言えなかった。千里の目は真剣そのもので、自分の言葉に疑いを持っていない。

 煮え切らない悠一に、千里はさらに不機嫌さを露にする。

 ソファからテーブルへ足を投げ出し、かたかたと揺らし出した。そのまま、彼女は立ち尽くす悠一を睨み付ける。

 

「文句、ねーよな?」


 鋭い眼光が射抜く。

 千里が持っていたテレビリモコンがぎしりと軋んだ。

 

「……ないよ」


 おし、という言葉とともに、千里は満足する。

 悠一は心の中で息を吐いた。安堵と悔しさが入り混じって、なんとも言えない感情が出来上がる。

 だからといって表に出すことも出来ず、それ抱え込んだまま部屋を出た。


 洗面所を探して、家の中をうろつく。

 やたらと広いこの部屋は、部屋も廊下も無駄に広く感じる。

 白を基調とした室内や廊下は、生活観が一切感じられない。いくつかのドアを開けて、やっと目当ての洗面所へたどり着いた。

 どこかの高級ホテルのような洗面台は、水を流していいのかと思うくらいぴかぴかに光っていた。

 一瞬躊躇ってから冷水で顔を洗って、鏡に映る自分を見る。

 

(酷い顔……)


 憔悴した、疲れきった顔だった。

 置かれている状況が、思いの外ストレスに感じているようだ。

 なんとなくこの現状が、まだ旅行に来ているような感じであった。見ず知らずの相手ではないことも、それに拍車をかけている。

 よく危機感が足りないと言われるのは、こういった部分だろう。

 なにせ監禁など、普通に暮らしていれば無縁の言葉だ。ましてや後輩の女の子にされるなど、誰が想像できようか。

 実感はなくとも、精神的には辛いと思っているのか。

 はは、と乾いた笑みを浮かべ、悠一はもう一度顔を洗った。

 


                    ♪




 バスルームからシャワーの音が流れ出すのが聞こえてくる。

 バラエティ番組に飽きてきた千里は、欠伸をしてからテレビを消した。

 日はまだ高く、遮光カーテンから柔らかい光が降り注いでいる。この家は窓が開かないようになっているため、気持ちのいい風までは取り入れられないのが残念だ。

 時間はお昼を過ぎた頃。三連休の二日目、「楽しむ」には十分な時間がある。

 既にシャワーは一度済ませたし、色々と処理もした。

 微かに香るよう薄く香水も振りまいた。当然、この日の為の勝負下着もばっちりだ。

 

 自分が酷いことをしているのは分かっていた。

 いくら好きだからといって、監禁するなんてやり過ぎどころの話ではない。

 挙句に雁字搦めに束縛するような決まりごとなんて、自分が男だったらこんな女ごめんだった。

 だからといって、今さら引き返すことも出来ない。賽は投げられたのだ。何も無かったことになど、出来るはずがない。


 何でこんな事になってしまったのだろうかと、ふと思い返した。

 自分でも分からないことが多くて、でも状況だけは進んでいく。

 後悔していないと言えば嘘になる。だが、これ望んでいなかったわけではない。

 揺れる心に渇を入れて、千里は一歩を踏み出した。

 

「負けてらんねーだろ……」


 脳裏で高笑いする姉妹の姿。見下したバイト先の女。薄ら笑いを浮かべる人形。

 悠一との距離が一番遠いのは自分だ。だから、いつも彼女たちは自分を見下している。

 それを今日、ひっくり返す。

 

 それができる唯一のチャンスなのだ。ここで逃げては女が廃る。


 「ハハッ、あいつはアタシのモンだっつーの」

 

 行くも引くも、どうせ変わらないのだ。

 

 千里は覚悟を決めて、水音の響くバスルームへと歩いていった。

 

 

                    ♪

 

 


 温めのシャワーが、汗と疲れを流していく。

 どちらかといえば熱い風呂は苦手な悠一は、浴槽に張った湯も温く設定していた。

 真夜に子供みたいと言われたことを思い出して苦笑する。温い風呂好きで何が悪い。

 

(灯も姉さんも、大丈夫かな……)


 頭からシャワーを被り、思案する。

 きっと姉妹は今頃怒り狂っているのではないか。

 以前帰宅がかなり遅れたときは、長時間の説教の上しばらく外出禁止になったほどだ。

 あの時はテーブルを叩き割る程度で済んだだけだが、今回はどれだけ怒るのだろう。

 家が滅茶苦茶になっていない事を祈り、悠一はシャワーを止めた。

 

 浴槽は彼の自宅のものよりも広く、ジャグジー付きであった。

 スイッチひとつで幾通りかの設定が可能で、浴槽に埋められたLEDライトからカラフルな光が光り出すスイッチもあった。なんだか落ち着かず、結局ジャグジーもライトも消してしまった。

 手足を十分に伸ばして、ぬるま湯に肩まで浸かる。置いてあった発泡性の入浴剤を入れ、しゅわしゅわと浮かぶ泡を眺めていた。

 細かい泡が弾ける音を聞きながら、本日何度目かの溜息を深く吐く。


(なんかすごい久しぶりに落ち着いた気がする……)


 天井を仰いで、深く息をつく。

 体の芯から疲れが抜け出ていくような感覚に、悠一は目を瞑った。


(ほんと、これからどうしよう……)


 また大きくため息をつくと、脱衣所で物音がした。反射的に体が跳ねる。

 乱暴にドアを開ける音に足音。次いで、曇りガラスのドアにゆらりと人影が映った。

 入浴剤が放つ発砲音だけが、浴室に流れていた。何故か悠一は息を潜めて、ガラスの向こうに揺らめく人影を見つめる。

 洗面台に用があるなら、慌てる必要もない。

 そんな希望は、やがて聞こえた衣擦れの音に打ち砕かれ、悠一は慌てて声を上げた。

 

「千里ちゃん!?ごめん、僕お風呂今入ってる!」

「ん?あぁ、いいよ別に。ついでにアタシも入っちゃうから」


 だから何?とでも言いたげに、千里は手早く服を脱いでいった。

 白いシャツが取り払われ、どんどんと褐色の割合が大きくなっていく人影。

 静止の言葉を投げ掛けようとしたときには、浴室のドアが開いていた。

 

「ちっ、千里ちゃん!」

「なんだようるせーな。響くんだから大声だすなよ」


 タオル一枚を片手に、千里は全裸で浴室へと入っていく。

 何にも覆われていないその褐色の肢体は、同年代の少女たちよりも飛び抜けて扇情的だ。

 元々運動が得意だったためか、無駄な脂肪はほとんどない。よく締まった腰や脚は、健康的な色香を振りまいていた。

 まじまじと見かけて、慌てて顔を伏せた。跳ねた水滴が顔に掛かる。


「せめてバスタオル巻いてよ……!」

「なんでだよ、アタシ風呂でバスタオル巻くのとかダメだし」

「なら水着とか……」

「今年まだ買ってないし。つーか先輩、うるさすぎ」


 肌を晒すことになんの抵抗もなく、千里はシャワーで体を流し始める。

 湯船に浸かっていた悠一は、顔を伏せたままじっと目を瞑っていた。

 後輩女子が一糸纏わぬ姿で、目の前でシャワーを浴びているという現実が、悠一の羞恥心を刺激した。

 そんな頑なにこちらを見ようとしない少年を見て、千里はぴくりと眉を動かす。スタイルにはそれなりに自信があるのだ。

 

「別にさ、変なもん見せてるわけじゃねーんだろ。そこまで興味持たれないと傷つくんだけど。なに、アタシそんなに魅力ない?」


 湯船に顔を埋めんばかりの悠一へ、体を流し終えた千里が非難を浴びせる。

 顔は上げないまま、悠一も小さな声で抗議した。

 

「そういう問題じゃないんだってば……」

「じゃあどういう問題なんだよ」

「そりゃ、千里ちゃんは魅力的だとは思うけど……僕には刺激が強いし……」

「……ほほぅ?」


 千里の目がきらりと光る。

 玩具見つけた猫のような、悪戯心を擽られたような目。

 俯いたままの悠一には、その目に狙われている獲物が自分だと気付けなかった。

 

「なんだよ、興味あるなら見ればいいじゃねーか」


 水滴滴る指先が、悠一の顎を捕らえる。

 細い指の何処にこんな力があるのか、少年の抵抗はあっさりと破られてしまった。

 力ずくで上げられた視線の先、瑞々しい肌を晒す美少女の姿を見て、悠一の熱は一気に吹き上がった。

 咄嗟に目を瞑ろうとしたが、先に千里に釘を刺されてしまう。

 

「目、閉じないでちゃんと見ろ」


 有無を言わさない、はっきりとした命令。

 ハスキーな声が一層低まって、逆らう気すら失せていく。

 閉じかけた目を開き、見下ろす千里の肢体を見た。濡れた髪から滴る水滴が、健康的に膨らんだその胸に零れ落ちている。

 軽く弾んだ千里の息に呼応するように、その双丘が微かに揺れる。

 引き締まった腰から足にかけてのラインは美しく、彫刻のようにすら思えた。

 恥ずかしいと思う気持ちは何処へ行ったのか、一個の芸術品を見るかの如く、悠一はその裸体に見蕩れてしまった。

 じんわりと熱を帯びた視線を受けて、千里の体温も上がっていく。火照った体が息を荒くした。

 

 数分経って、千里は顎を手放した。強制するものがなくなっても、悠一はその少女に見蕩れたままだ。

 ぽつんと、どこからか落ちた雫が湯船に波紋を広げる。

 その音を皮切りに、少女はゆっくりと身を屈めた。

 

「いいよな?」


 何が、と聞く前に、千里が悠一の唇を捕らえた。

 いつかの噛み付くようなキスではなく、そっと触れるようなキス。

 そっと触れて、すぐに離れていく。

 悠一は抵抗する間もないまま、唇に残った感触の余韻に浸っていた。


「……いいってこと、だよな」


 不安が混じった、彼女に似合わない声。

 それを振り払うように、肩を掴んで押し込む。

 爛々と光っていた瞳は濁って、今では泥が渦巻いていた。

 千里は広々とした湯船に脚を入れ、惚けたままの悠一に圧し掛かる。

 柔らかな感触を胸に、脚に、全身に感じて、悠一は約束通り少女を拒むことはしなかった。

 それとも拒めなかったのは、少女が微かに震えていたからだろうか。

 


 拒むこと勇気も受け入れる覚悟もないまま、少年はただ何も言えず、為すがままにその身を差し出した。

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