一人目 千里Ⅱ

 国崎 昇は、君島 千里の熱狂的な信者である。


 街一番の不良を自負していた彼は、彼女と出会うまでは自分の腕っ節のみで意見を通してきた。

 振り回せば周りは言うことを聞いたし、敵対するものにはただひたすら牙を剥く。気付けば、誰もが畏怖するような存在となっていた。

 この町では敵がいなくなると見るや、行動範囲を広げては喧嘩に明け暮れる毎日。

 それでも彼を屈服させるに至る相手はいなかった。

 

 そんなとき、片田舎の街で出会ったのが千里である。

 派手な金髪に褐色の少女。だが、目は虎やライオンのそれと同じだ。

 そんな千里に、昇は大いに興味を持った。

 スタイルも良く、顔立ちも整っている上に、彼女は喧嘩も強いと聞く。彼自身が箔を付けるにはぴったりの少女だった。

 声をかければ、案の定喧嘩腰の返答が返って来た。が、その内容は彼の想像を超えていた。

 

「アタシに勝てたら、お前の女にでもなんでもなってやるよ」


 一も二もなく、彼は彼女に挑んだ。

 喧嘩が強いといっても相手は女の子。負けるつもりはさらさらない。

 

 そんな彼の常識を打ち破ったのが、今では彼にとって神にも匹敵する千里だった。

 蛇に睨まれる蛙どころか像に踏み潰されるアリのようで、圧倒的な実力差に、瞬く間に彼はボロ雑巾の如く蹴散らされる。

 自分の世界を塗り替えた千里に、彼が心酔していくまで時間はそう掛からなかった。

 

 それからと言うもの、千里の命令は何でも聞いた。

 彼女の敵は真っ先に蹴散らし、欲しがるものはなんでも手に入れた。

 ただ今回彼女が欲しがったものだけは、彼の心をざわつかせた。

 

「こいつを明日、この住所まで攫って来い」


 住所と共に手渡された写真には、中性的な少年が写っている。

 昇は彼女がこの少年に心奪われていることを知っていた。

 近頃はストーカーまがいの行動に出ていることも、自分以外の舎弟に彼の私物を盗んでくるよう命令しているのも。

 少年を見る目は蕩けて、虎から雌猫の目になることも。

 彼女の欲しているものは、自分以外の男なのだ。苛立ちは募ったが、口にはしなかった。

 

 昇は大いに葛藤した。

 それが嫉妬だと気付いたときには、悔しさで涙が出た。

 

(結局、俺はただの舎弟の一人か)


 掃いて捨てる程いる下僕の一人。いてもいなくても、きっと千里は気にも留めない。

 神に見捨てられた昇は、それでも彼女の役に立ちたいと思った。

 

 言われていた通り、少年はその日外出した。

 友人と遊び、暗い夜道を一人で帰る。千里からのメッセージ通りだ。

 渡された薬品をタオルに染み込ませ、彼は黒いマスクを目元まで上げる。帽子は深く被り、闇に紛れるように黒で統一した服にした。


 そこから先は簡単だった。

 音も無く忍び寄り、後ろからタオルで口元を押さえつける。暴れる間もなく、少年の体から力が抜けていった。

 二ブロック先の駐車場に停まっていたセダンに押し込んで、彼の仕事は終了した。

 運転席でタバコを吸っていた黒服の男は、何も言わずに少年を連れ去っていく。車は山道を進み、すぐに見えなくなった。

 

 緊張感から解放され、彼はその場にへたり込む。気付けば汗でじんわりと濡れていて、息は少し荒い。

 震える手で千里へ一言、メッセージを送った。終わりましたと、簡素な一文。

 

『おつかれ。礼するからいつもんとこに来い』

 

 昇はメッセージに従うまま、いつもの溜まり場へと向かった。

 

 彼らは普段、無人の一軒家を溜まり場としている。

 廃屋という割には中は小綺麗で、どこからか持ってきたソファやテーブルなどが置かれている。

 月明かりが照らす暗闇の中、昇は二時間ほど千里を待った。

 ぎし、と錆付いたドアが開く音が、彼の心を躍らせる。

 なにせ千里が直々に礼をすると言ってくれたのだ。平静を取り繕っても、内心は狂喜していた。


 やがて暗闇の向こうから、金髪の少女が現れた。いつもの制服に薄手のカーディガン。紛れも無く、彼の女神だ。

 小さく頭を下げて挨拶する。千里は何も言わず、手で返した。

 

「誰にも見られてねぇか?」

「はい」

「そっか……」


 ぴりぴりとした緊張感が彼を包む。言い知れぬ迫力が、今日の千里にはあった。

 吸い込まれそうな瞳が、昇を捉える。

 

「君島さん、俺……」

「誰もいねぇんだな」


 反射的に、はいと返事をした。

 ゆっくりと近づく千里に心臓が高鳴る。廃屋に似つかわしくない花の香りが舞った。


「目、瞑れ」


 一瞬呆気に取られ、しかしすぐに言われた通り目を閉じた。

 強くなった香りに、昇の思考は奪われていく。

 

 礼とは、こういうことか。

 崇拝する女性から、至近距離で目を瞑れと言われたのだ。考えられるのは一つしかない。

 心臓の音が廃屋中に響いてるのではないかと思うくらい、鼓動は高鳴っている。

 手に握った汗を噛み締め、目の前に感じる気配に集中したとき。

 

―――がつんと、側頭部に強い衝撃を感じた。


 衝撃は頭を突き抜けて、彼は横っ飛びに吹き飛ばされる。鈍い音を立てて床へと激突した。

 瞼の裏がちかちかする。脳が揺れているようで、平衡感覚が保てない。立ち上がろうとしても、目の前に現れるのは床だけ。

 

 千里を見た。月明かり纏う彼女は相変わらず美しく思える。

 その手には金属バット。彼女に殴られたと気付き、彼は混乱の極みに達した。

 何で、と言う前に、金属バットが鼻を砕いた。今度は後ろに飛ばされ、鉄の匂いが鼻を満たす。

 千里は容赦なくバットを振り下ろした。

 無言で、無表情で、なんの感情もなく打ちのめした。

 抵抗も無くなり、ぴくぴくと蠢くだけの男を見て、ようやく千里はバットを捨てる。

 赤黒い液体が木目のフローロングを染めていった。鉄分の匂いが鼻につく。

 ぐちゃぐちゃになった口が、かすかに動いた。なんで、と掠れた声。

 千里は忌々しげに答えた。

 

「なんで?なんでって?死に際の言葉がそれかよ」


 鼻で笑って、千里は元・舎弟を踏みつけた。

 昇だった塊は、静かに涙を流す。

 

「当たり前だろ。お前はアタシの先輩に触ったからだよ」


 捻じるように踏み締める。原型の無いそれは、もう何も言わない。

 千里は構わず言葉を吐き続けた。

 

「先輩に触っていいのはアタシだけ。攫えとは言ったけど、触っていいなんか一言も言ってねぇよボケ」


 そう言って、千里は事切れた男の頭を蹴りつけた。


 千里は丁寧にバットの柄をタオルで拭くと、隠してあった灯油缶のキャップを開いた。

 鼻をつく臭いに顔をしかめ、手早く家中に撒いていく。わずかに残った分は、転がる少年に掛けてやった。


 呻く彼を無視して、安っぽいライターで廃屋に火をつける。

 この古い木造の廃屋には、数年前から千里は寄り付かないことにしていた。更生して、不良連中とは手を切ったと見せかけていたのだ。

 ここが燃えても、疑いは掛からない。事情は聞かれるかもしれないが、今では大人も含めて千里の味方のほうが多い。

 廃屋はあっという間に炎に包まれていった。


 叫び声も上げず、昇はパチパチと炎に包まれていく。

 千里はしばらく黙ったまま、燃えていく廃屋を眺めた。

 

 


 

 


 ゴミ掃除を終えて隠れ家へ戻る途中、彼女のスマートフォンに着信が入った。

 無機質なベルの音に顔を顰め、千里は電話に出る。非通知だったが気にしない。

 

「もしもし」

『君島さん?後始末ご苦労様。後は私がやっておくから、帰っていいわ』


 チッ、と聞こえるように舌打ちをする。電話越しにくすくすと笑い声が聞こえた。


「手ェ貸してくれたのは感謝してるけどよ、アンタを信用したわけじゃねぇからな」

『あら、随分な言い草ね。一人じゃ何も出来なかったくせに』

「うるせぇよ。手伝うっつったのはそっちだろ」

『ふふ、そうね』


 馬鹿にしたような言い方に、千里はまた舌打ちをした。この女の挑発は今に始まったことじゃない。放っておくことにした。

 

「で、結局アンタは何がしたいんだよ?」


 千里最大の疑問がそれだ。

 悠一を攫うのを手伝うと言われ、計画を持ちかけられた。

 どちらにせよ考えていることは同じだったし、隠れ家などの準備は千里のものより遥かに完璧なものだった。

 とはいえ、裏切れば潰すだけ。持ち掛けられた話に乗って、彼女は遂に悠一を手にすることができた。

 だが、それがこいつにとってなんのメリットになる?


 その答えは、思っているものよりもずっと歪んでいた。

 

『言ってなかったかしら。私はあの子を苦しめたいだけよ』

「は?」

『いつもの悠ちゃんより、ボロボロになった悠ちゃんの方が可愛いでしょう?貴女みたいな女に心を犯されたらと思うと……ふふふ、悠ちゃんどんな顔するんでしょうね?』

「……アタシが言うのもなんだけどよ、アンタイカれてるな」

『お互い様よ。貴女ほどじゃないと思うけど』


 うるせぇと毒づいて、そのまま電源を切った。これ以上話していると血管が切れそうになる。

 自分がおかしくなっていることなんて、とっくに分かっているのだ。改めて言われたところで、もう何も感じない。

 電話の相手の名前は知らないし、何を企んでいようが関係ない。

 ボロボロの少年がどうとか、あいつの思い通りになんかならない。悠一はこの先ずっと、アタシのものだ。

 あの隠れ家と悠一さえいれば、他はもうどうでもいい。

 

 これから先、あの少年は自分無くしては生きていけないのだ。

 そう考えただけで、背中がゾクゾクするのを感じる。

 彼は今後、何をするにも自分を頼らざるを得ない。自分を攫った相手に懇願する様は見物だろう。

 

 心を折って、自分から足を舐めるくらいは序の口だ。

 犬耳に全裸にリードを付けて散歩するのもいい。「わん」以外の言葉を使ったら気絶するまで鞭で叩こう。

 地下室に縛り付けて、一週間ぶっ続け責め抜くのも捨て難い。

 

 あれもこれもと考えているうちに、彼女は悠一の眠る隠れ家に着いた。

 時間はたっぷりあるのだ。思いつくことを、思いつく限り楽しめばいい。

 

 嗤う悪魔の見守る中、彼女はもう戻れないのだと自覚した。

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