灯Ⅳ

 灯の顔は、スクリーンからの逆光で何も見えなかった。


 ただ、食まれるように押し付けられた唇と、湿っぽい吐息がやけに生々しく感じた。

 何故キスをされているのか考えるより先に、人に見られたらといった思考が先行する辺り、まだ冷静なのかもしれない。


 対面で跨るように座る灯。

 抵抗しようと肩を叩くと、開かれた目が不機嫌そうに歪んでは、咎められるように唇を噛まれた。

 首に回された手に力が入っていく。密着度合いが上がって、柔らかな感触が露骨に伝わってくる。態と押し付けられているかのようで、押し付けられた双丘が擦り付けられていた。


「ん……っはぁ」

「灯、待って、ここじゃだめだって……」


 息苦しくなって、顔を背けて唇を離す。弾んだ息が気恥ずかしい。

 相変わらず逆光の中の灯も、呼吸が荒かった。


「はぁ……っ、ふふ。ここじゃなかったら良いわけ?」

「ちがっ、そうじゃなくて!」

「うるさいって言ったでしょ」


 これ以上は話すことはないと、灯は再度悠一の口を塞ぐ。

 とっさに硬く唇を閉じる悠一。伸ばされた灯の舌が阻まれた。


「ちゅ……ふぅん、抵抗するんだ」

「だって……」


 ぎらりと、暗闇の中で目が細められる。

 灯が体重を掛けるように体を傾けていく。キスが嫌ならと、顔を背けた悠一の左耳に照準を移した。

 少しだけ髪に隠れた、白くて小さい耳。ぺろりと軽く舐めてから、歯で耳たぶに噛み付く。ぐにぐにした感触が興奮を煽った。


「ひ、あっ!まって、そこだめだって……!」


 突然の耳への口撃に、悠一は声を漏らす。

 そんな悠一の抗議も、映画館内に響く爆発音によって掻き消されてしまう。

 灯は耳たぶを口内で舐め回しながら、悠一の口を手で塞いだ。これ以上騒がれて邪魔が入っては困るのだ。

 そのまま、耳の縁を舌先でなぞっていく。その度にぴくぴくと震える少年が愛しくて、熱い吐息が吐き掛けられる。


「んんんぅっ……!」

「あは、そんなに耳気持ちイイの?」


 悠一の反応はがいちいち情欲を煽ってくる。彼の左耳は唾液でべとべとになってしまったが、攻める手を休めるつもりはなかった。

 十分に濡らした舌を、耳の内部へと滑り込ませる。舌を伝って、唾液が送り込まれる。

 遠慮なく蠢かせると、少年の抵抗が一層強くなった。手のひらに伝わる悲鳴が心地良い。

 悠一は頭の中には、粘ついた水音が響き渡っていた。左耳から脳へ、耐え切れない刺激が走り抜けた。


 しばらく彼の耳を堪能していると、抵抗がだんだんと弱々しくなっていった。

 薄く漏れ出る悲鳴は嬌声に変わり、強張った表情は甘く蕩け始める。

 潤んだ瞳で見上げる悠一をみて、灯は夢中になって口付けた。今度は開いたままの唇の隙間から、蛇のように舌を捻じ込んだ。

 悠一の舌を感じ、引っ込められる前にその舌に絡み付けていく。口内で混ざり合う唾液の音に興奮して、灯に息が弾む。


「ちゅっ、んん……じゅるっ、ん、んふ……」


 舌を絡め合ったまま、悠一の舌が灯の口内へと吸い込まれる。

 唇と舌で撫でてやると、悠一の目端から涙が零れた。可愛らしくて頭が沸騰しそうになる。

 混ぜ合った唾液を少年の口内へと送り込むと、少年が喉を鳴らして飲み下した。ごくりと言う音がやけに大きく聞こえた。


 悠一の頭は上手く回っていなかった。

 抵抗らしい抵抗もできないまま、時間が過ぎていく。

 滑った舌が絡みつき、生暖かい吐息が彼女の興奮度合いを表している。

 灯はこれまでにないくらいに燃え上がっているようで、指に感じる異物感が———指輪という最強の武器が彼女を後押しする。


 下腹部が異様に熱った。

 下着はもう使い物にならないだろう。跨った腰の下、悠一の強張りが主張を始めている。

 自分を求められているように感じて、灯はがつんと殴られたような衝撃を覚えた。映画はまだまだ終わらない。時間はまだまだ十分にある。


 押さえつけていた右手を、密着した体の隙間に捻じ込む。唇を押し付けたまま、学生服のズボンをまさぐっていく。

 押し上げる怒張を指先が撫ぜると、悠一の体が一際大きく跳ねた。目が見開かれ、眉は困ったように垂れ下がる。


 爪で引っかくようにその頂を引っ掻いた。隙間なく密着した唇から嬌声が跳ねた。

 男性経験のない灯にとっては、男性自身に触れるのはこれが初めてだ。それでも、どうすれば彼が悦ぶか手に取るように分かる。

 触れる手つきに遠慮がなくなっていく。

 手のひらで摩り、その大きさを確かめるように逆手で握った。


 愛撫する度に漏れ出る悲鳴とも取れる甘い声に、頭が痺れる感覚。心臓の鼓動がやけにうるさい。

 いつかの動画で見たように、握った彼自身を優しく上下させた。

 悠一のためにと研究した甲斐があった。恥ずかしかったが、何度も再生してよかった。

 腰が大きく跳ねて、繋がったままの唇が離れた。溢れ出た唾液が糸を引き、悠一の顎先へと垂れる。


 灯はにんまりと笑って、悠一の顎先へと吸い付く。溢れた唾液を舐め上げて、ずるずると音を立てて啜った。悠一に聞こえるように、わざといやらしく啜り、耳元で喉を鳴らして飲み込んでやる。

 右手は止まらない。このまま可愛い少年の姿を見続けるのもいいが、潤んだ瞳でいやいやと首を振る悠一を見ると、このまま手で絶頂させてあげたくなるのだ。


 弱々しい抵抗を押さえつけ、上下する手を強く激しくさせる。

 今度は唇は塞がず、至近距離でその蕩けた顔を楽しむ。


「まっ、あぅ、まって、あかり……や、やぁっ、だってば……」

「大丈夫だから、ね。このまま気持ち良くなって良いんだよ。誰も見てないし、このままいっちゃえ」


 合成革の安物のベルトを外し、ファスナーを手早く下ろす。雄の匂いが濃くなったような気がして、灯は身を震わせた。

 黒いボクサーパンツを押し上げた先、じんわりと濡れている。隙間から悠一の強張りを解放した。

 顔を真っ赤にさせて、ぎゅっと目を瞑る悠一。映画館で自身を曝け出す羞恥心が、彼の頭をオーバーヒートさせていた。


「熱い……」


 悠一は何も言わない。

 熱に浮かされたように、灯の表情も蕩けていった。喉が渇いて仕方ない。あれ程唾液を啜ったというのに。

 

「ね、きもちいい?」

「んうぅっ……」


 鼻と鼻が付きそうな至近距離で、灯は少年を凝視する。

 涙を流して羞恥する少年が愛おしい。ここまで心を動かされるものはないというくらい、感情が高ぶっていた。


 悠一の足に力が篭る。

 弾けたように抵抗する彼に、限界が近いのだと灯は直感した。

 手の速度が上がるにつれて、呼吸が荒くなっていく。


「はぁっ、はぁっ……はっ、ね、もうだめ?」

「だめ、だめ、ほんとに……っ!」


 恥ずかしくて仕方ない。

 家族と思っていた同い年の女の子に、映画館で弄ばれている。

 その事実を思い浮かべて、少年は更に涙する。


「いっ、やぁあぁっ……っ!」


 瞬間、悠一の腰が跳ねた。足にぴんと力が入り、体ががくがくと震えた。

 右手に感じる焼けるような熱さ。粘ついた液体が、手のひらへと放たれていく。


 堪えきれずに、灯の口角が上がった。

 腹の底からせり上がってくる笑いを必死の思いで堪えた。

 悠一の頭を胸に抱き、おつかれさまと言って撫でる。さらさらとしてる割には猫っ毛の髪を優しく梳いてやる。

 

「はぁっ、はぁっ、はあっ……」

「よしよし、すごく可愛かったよ」


 息を荒くして、悠一は嗚咽を漏らす。

 羞恥心が限界を超えて、情けなさに涙が零れた。


 灯は右手に残る熱を、その熱を発するそれを、うっとりと眺めた。

 どろりとして、生臭い。なのに悠一から出たものだと思うと、妙に心惹かれる。

 思わず鼻先で嗅いで、舌に運んだ。苦く、鼻に突き抜けるその臭い。にも関わらず全て口内に納め、唾液と混ぜて口に溜めた。苦々しい表情で、悠一はそれを見ていた。


 口を開けて、すべて口に含んだことを見せ付ける。唾液を飲み干したときと同様に、態と音を立てて飲み込んだ。

 彼が体の中にいるようで、灯の背筋はぞくぞくと震えた。口に残る苦味が麻薬のようにくせになる。

 悠一の耳元で、灯は妖艶に呟いた。


「ごちそうさま、頑張ったね?」

「~~~~~っっ!」


 力を取り戻した悠一は、灯の肩を力一杯押し返す。くすくすと苦笑する灯は、自分の席へと戻った。

 映画はもう終盤で、話の内容はさっぱりわからなかった。

 それでも平然とした様子で、灯はスクリーンに向き直っていた。気持ちの切り替えが追い付かない悠一は、自分だけが羞恥を感じているようで不満だった。


「灯……」

「ん、なあに?」


 子供をあやすような甘さで、灯は答える。

 未だ涙を浮かべる悠一は、はっきりとした声で尋ねた。


「なんで、こんなことしたの?」

「悠一が好きだから」


 即答。何を馬鹿なことを訊いているのかと、灯は呆れてしまう。


「悠一も気付いてたでしょ?流石にあれだけアピールしててわからなかったら、もう病気だと思うけど」

「いや、そうだけどさ。でも灯は僕の家族だし……」

「家族って言ったって、従姉弟だから。結婚だってできるし、誰にも文句は言わせない」


 灯の目に力が篭る。

 強い意志が彼女にあった。


「僕の気持ちは関係ないの?」

「悠一は私のこと嫌いなの?」


 う、と言葉に詰まる。

 灯のことは嫌いではないが、彼は努めて灯や真夜を家族として見てきたのだ。二年掛けて肉親のように思っていた姉妹を、いきなり女性としてみろと言われても困るのである。

 しかし、その一言が言葉にならない。

 今日まざまざと、灯が女だということを思い知らされたばかりなのだ。


「ほら、こういうこと。結局男と女なんだよ。先に言っとくけど、これからも隙があったら襲うからね」


 灯の笑みは止まらない。彼女の確信が強まっていく。


「私、悠一をものにするまで諦めないから。心も体も、私のものにしてあげる。今はわからなくても、いつか絶対私と一緒にいて良かったって思い知るよ。お姉ちゃんでも、あのバイト先の女でも、あのクソ女でもだめなんだよ。悠一を幸せにできるのは私だけ」


 はっきりとした、灯の宣言。

 自信に満ちた瞳と声が、悠一を圧倒していく。

 何も答えられないまま、悠一は口を噤んだ。強烈な覚悟を目の当たりにして、リリィの言っていた言葉を思い出した。


 映画が終わり、家に帰るまでの間、ふたりは一言も話すことはなかった。

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