真夜Ⅰ

「おはよう、悠くん」


 悪魔と出会ってから早ひと月。

 悠一を巡る女性たちの争いは、彼の予想に反して激化することはなかった。

 実のところ、表面上は落ち着いているように見えるだけであって、彼女たちの中では大き過ぎるといっても差し支えないほどの変化があったのだが、それを悠一は知る由もなかった。

 女同士の争いは表立っていないが、悠一へのアピールはこの一月で大きく変わっていた。

 その中でも一際悠一を困惑させているのが、まさに今同じベッドで寝ていたであろう真夜であった。

 

「おはよう姉さん。勝手にベッドに入ってきちゃダメだよって言ったのに……」

「入らないなんて言ってないもん」


 可愛らしく頬を膨らませる真夜。

 学校での彼女の立ち振る舞いからは想像出来ないが、これが彼女の素であった。どちらかといえば灯よりは精神年齢が幼いだけかも知れない。


「起きる時間まであと三十分くらいあるから、ちょっとだけ甘えてもいい?」


 真夜の言葉に、壁に掛けてあったシンプルな時計を見る。

 確かに普段起きている時間よりは早かった。ならなんで起こしたのかと言いたくなるが、単にイチャイチャしたかっただけなのだろう。朝が弱いくせに、自分の欲望には忠実な真夜であった。


「まだ寝てたいんだけどって言ったら、怒るよね」

「ううん、怒らないよ。お姉ちゃんは勝手に甘えてるから、どうしてもって言うなら悠くんは寝ててもいいよ?」


 遠まわしの拒絶も、近頃の真夜には通用しなくなってきている。

 悠一の意思を尊重しすぎるきらいがあった彼女だが、今では尊重しつつ自分の欲望を満たす術を覚えていた。


「じゃあ起きるから、姉さんも一緒に朝ごはんとお弁当作ろうよ」


 無視してにじり寄る真夜に、悠一は掛け布団を跳ね除けて逃げ出そうとする。大きく舞った掛け布団の中から、真夜の肢体が露になった。

 その格好を見て、悠一は反射的に目を逸らした。


 暖かくなってきてからというもの、真夜の部屋着は日に日に薄くなっていった。

 その上、決まって悠一のベッドに潜り込むときはこういったベビードールを着ているのだ。

 レースをあしらった黒のショーツはその布地の半分が透けていて、胸は大きく開き、こちらも生地全体が同様に透けている。

 機能よりも妖艶さを追求したそれは、真夜の肢体と相まって破壊力抜群の武器となっていた。


「もう、悠くんのえっち」


 言葉と真夜の表情は一致しておらず、非難よりは喜びが含まれた声だ。

 ベッドで半身を起こしたまま固まってしまった悠一は、とっさに真夜に布団を掛けようとする。そんな分かりきった動作を、彼女が見逃すはずがなかった。


 掛け布団を掴んだ悠一の手首を握り、顔を逸らしたままの悠一を押し倒す。

 その勢いのまま腰部に跨り、掴んだ手首を顔の横で押さえつけた。小さく悲鳴のような声を上げた悠一が真夜のほうへと顔を向けると、それを待っていたかのように真夜は体ごと悠一をベッドへと縫いつける。

 むにゅりと悠一の薄い胸板で形を変える双丘に、悠一の体が一瞬硬直した。逃げ出そうと下手に体を揺すれば揺するほど、その感触が強くなるの事を知っていたからだ。

 抵抗が弱くなったのを感じ取った真夜は、すかさず真夜は悠一の首へ腕を回し、そのまま更に体を押し付けるようにして抱きしめる。

 首筋に顔を埋め、深呼吸。こそばゆさに体を捩ったが、ほとんど体は動かなかった。 


「ふふ、悠くん良い匂いだね。私、悠君の汗の匂い大好き」

「まって、姉さんちょっとストップ!」

「朝早いんだから、静かにしなきゃだめだよ?」

「ほんとにだめだってば!あか―――んんぅっ!」


 制止の声も、息荒く興奮する真夜を止めることはできない。

 大声で灯を呼ぼうとした悠一の唇を、噛み付くようにして塞いだ。口を閉じるより先に真夜の舌が口内へと滑り込む。首を捻ろうとする悠一を逃がすまいと、首に回した腕に力を入れた。


「んっ……んぅ、ちゅ……」


 独立した生き物のように、真夜の舌が咥内を這いずり回る。

 歯列をなぞり、歯の一本一本まで存分に撫で回す。一通りなぞり終わったら、今度は口蓋をねっとりと嘗め回した。舌が触れる度にぴくぴくと震える少年に、愛撫の手に熱が篭る。


「ちょ、まっへ……ねえさんっ、ちゅ、んんンっ」


 声が耳に入っても、それは興奮を高める効果しかなかった。苦しげに息を弾ませる悠一に、真夜は一言も返さずに貪った。

 逃げ惑う悠一の舌を執拗に追いかけ、絡み付ける。溢れた唾液が口端から零れたのを感じては、真夜は一気に唾液ごと舌を啜り上げた。部屋に響く水音が余計に劣情を煽った。


 目をぎゅっと瞑り、耐えるように震える悠一。唇を離すと、情けない声を上げて息を切らしていた。

 その姿が真夜の心を突き刺していく。

 本日何度目かは分からないが、背筋を駆け上がる感覚に、歯止めが掛からなくなっていくのを強く感じた。

 堪らなくなって、顎先から、頬、目元までを一気に舐め上げる。唾液の線が妙にいやらしく、舌を大きく出してもう一度這わせた。

 

「ひっ、ねぇさ、もうだめだってばっ……!」

「悠くん、もうそれはいいから、……はぁっ、もうたまんないっ」


 何故こうもこの子は嗜虐新を煽るような真似をするのだろうか。

 自業自得という言葉を教えてあげたいと、真夜は思った。反応の一々が、襲われる原因になっているのだと気付かせてやりたい。だからといって止めてなんかやらないけど。


 零れ落ちそうな涙を舌先で舐め取る。味は分からなかったが、興奮を高めるにはいいスパイスだ。そのまま無理矢理舌で瞼をこじ開け、眼球を舐めた。

 少女のような喘ぎ声を出す唇をもう一度奪い取る。今度は舌を差し込まず、ぷるぷると瑞々しい唇を舐め回した。唾液で滑った下唇を強めに噛むと、癖になりそうな食感がした。


 どれ程続けただろうか、時計を見るのも億劫になっていた真夜は、そろそろ一歩先に進もうと考えていた。

 なかなかタイミングがなく、いつもこれ以上先へ進めなかったのだ。残った温もりを肴にして自分を慰めるのはもう飽き飽きだった。


(灯ちゃんは悠くんが起こさなければ起きないし、お母さんは出張でいないし……本当はもっとじっくりたっぷりシたかったんだけど……)


 贅沢は言ってられない。

 自分が悠一の初体験の相手になるということが、どれだけ価値があることが。渇望と言っていいくらい、望んでいたことだ。

 キスすら震えてままならない少年を、自分の色に塗り替えてやりたい。自分好みに染め上げて、自分以外を欲しないようにしたい。

 その第一歩がこの行為だ。体さえ手に入れてしまえば、心もそれを追ってくるものだ。


 悠一が準備万端なのは、跨っている自分が一番よくわかっている。

 ハーフパンツを押し上げる彼自身が、自分の秘部を健気につついていた。心配しなくても、すぐ迎え入れてあげるのに。

 彼の右手を掴んでいた手を離し、そっと体のラインをなぞっていく。体をずらして、待ちに待った彼自身へと手を伸ばす。硬く隆起したそれを、服の上から優しく撫でようとしたとき。



 ―――ガンッ!



 壁に掛けてあった時計が、床の上へと落ちていた。

 電池がころころと転がり、その落下音は住人の眼を覚ますには十分な音量である。

 隣の部屋から、ごそごそと物音が聞こえた。次いで、少し遠慮がちな足音。どうやら灯が目を覚ましたようだ。

 程なくして、灯は悠一の部屋をノックした。心配そうな声で、ドア越しに話しかける。


「悠一?起きてる?なんかすごい音したけど、大丈夫?」


 冷や水を掛けられたように、悠一の頭が急速に冷めていく。自分の上に乗る真夜も、興醒めといった感じだ。

 とはいえ、この状態を見られるわけにも行かない。焦った声を出さないよう、努めて冷静に返事をする。


「ごめん、時計が落ちちゃって。大丈夫だから」

「……そう、ならいいんだけど。じゃあ私、先に下行ってるから」

「うん。僕もすぐ行くよ」


 遠ざかる足音を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。同時に、はぁと大きく真夜がため息を吐いた。


「せっかくもうちょっとだったのに」

「姉さん!やりすぎだから!」

「そんなこと言って、悠くんだってその気になってたくせに」

「ねえさん!!」


 悪びれず、余裕たっぷりな真夜。

 今日はもうだめかな、と冷めた声が、普段の真夜と別物のように感じた。


「嫌なら本気で抵抗すればいいのになぁって思うの」

「本気で押さえ込んできたじゃないか……ほら、ここ痣になってるし」


 悠一の手首には、締め付けられたかのように痕が残っていた。頬や口元も唾液でべとついている。

 ふんっ、と可愛らしくそっぽを向く真夜。


「今日はこれでおしまい。悠くん、また今度、ね?」


 軽く口付けをして、呆気にとられる悠一から身をどかす。そのまま何事もなかったかのように、真夜は自室へと戻っていった。

 彼女が出て行ったドアを、なんとも言い難い気持ちで見つめる。なんであんな平然としていられるんだ。

 エスカレートしていく彼女「たち」の行為に、確かに逃げられないな、と改めて思う。家の外も中も、身の危険だらけだ。


 ふぅ、と一息ついて、パジャマを着替えた。どことなく不快感を覚えて、パンツも替えた。

 「お楽しみだったわね」とにやつく悪魔に赤面するが、助けられたのだから文句は言わないで置く。


 なぜリリィが邪魔をしたのかは、訊く気にもなれなかった。

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