『やましんは、くるしんでいる』

やましん(テンパー)

『そう、やましんは、くるしんでいる』

『これは、まったくのフィクションであり、このようなことは、起りません。つまりこれは、寝られずに、布団の海で転げまわるやましんの、妄想であります。』





 広島県福山市鞆の浦。


 坂本龍馬さんにもゆかりがある、古い歴史を誇る、港街である。

 

 海岸沿いに建つ、巨大な灯籠は名所として名高い。


 鞆の浦の街の中に入り込むと、狭い道路が迷路のように入り組んでいる。


 自動車で乗り込むのは、ちょっと、気が引けてしまう。


 それでも、この先の阿伏兎観音さまとか、松永の街に出ようとすると、この対向車と行き違いするのに、いささかテクニックが必要な、この街を抜ける必要がある。


 ただし、山の上にあがれば、広い道があり、壮大な景色を見ることも可能だ。


 ちょっと、上がるまでがやっかいだが。  


 なので、かつて、海沿いに広い道路を通そうという話しもあったようだが、やはり、景観を壊すという理由で、進まなかったらしい。


 そのくらい、この辺りの風景は美しい。


 もっとも、ぼくの、一番のお気に入りは、街の向かい側にある、小さな島だ。


 といっても、目に前に、小さな島はふたつあるのである。


 鞆の浦の港から、連絡船に乗る。


 ここには、『平成いろは丸』という、ちょっと、海賊船のような船が走っている。


 往復で240円。


 片道五分で、別世界に行くことが可能だ。


 途中に、もうひとつの、小さな島があり、なにか、美しいお堂が見える。


 これは、いわゆる『弁天島』と言う島だ。


 夏には、ここで、花火大会も行われているようだったが、現在はどうなのだろう。


 それは、まさに、この世のものではない位に荘厳だろうけれど、あいにくぼくは、人出が苦手だ。



 夏休みを外した平日ならば、意外と『仙酔島』も空いていた。


 この、世に名高い島は、無人島である。


 ただし、ホテルの関係者と、お客さんがいるのみである。


 港から、トンネルをひとつ、くぐると、島の反対側にすぐに到達する。


 そこには、小さな海水浴場がある。


 また、海岸沿いには国民宿舎が、さらに、小高い山の上には、なんとはなく、不思議な雰囲気のあるホテルが建っている。


 ここの売りは、『何もないこと』であるようだ。


 いつの日にか、宿泊もしたいとは思いながらも、それは果たせていない。


 はるばる、ここまで来て、多少なりとも人間と絡むのは、どうも気が進まないのである。


 その、海水浴場を超えると、游歩道がある。


 島の周りを、反対側の湾までつないでいる、200メートルほどの道である。


 かつて、台風で崩れ、通行不能になった時期があった。


 ぼくは、その、前のことは知らないが、現在は、たいへん奇麗な遊歩道が整っている。


 ただしこの道は、ただの遊歩道ではない。


 地層とかが大好きな人には、まるで宝物のような場所なのだ。


 なにしろ、積みあがった地層が、大地の強烈な力で、斜めにぐにゃっと曲がってしまっていたりする。


 こいつは、白亜紀からの度重なる噴火で積もったものが、巨大地震で立ち上がってしまったものらしい。


 そういうのが、すぐ目の前に現出するのである。


 人類が登場する、はるか前の物だ。


 非常に、不思議な感覚になる。


 わざわざ異世界に行かなくとも、ここに、それがあるからだ。

 

 色鮮やかな、『五色岩』と、いうものもある。


 今の人類の歴史時代は、比較的地球が穏やかな時期にあたっているようだ。


 けれど、そろそろ、また、活動期が来ているのかもしれないが、なにしろ、時間の感覚というものが、地質の問題となると、けた外れである。


 一万年なんて、せいぜい、今朝、当たりのことであろう。


 そう思うと、人類が偉そうなことを言える筋合いは、さらに、なさそうに思えてくる。


 ぼくは、そうした道を、履いてきた、ごむぞうり(ビーチサンダルと呼ぶのが、昨今である。)を脱いで、裸足で歩いていた。


 靴とかだと気が付かないが、平らに見えるこの道も、けっこう、でこぼこがあり、足の裏がチクチクといたい。


 おまけに、直射日光が当たるから、かなり熱い。


 それでも、ところどころに、山からの流水が流れ出ていたりして、それはそれで、気持ちがいい。


 昨日まで、けっこう、大雨が降っていたせいで、水量が多くなっているらしい。


 しかし、今日は、かなり暑い。


 熱中症が怖いので、冷たいお茶などのペットボトルを二本、港の自販機で買ってきた。


 30分も掛からないで、向こう側の入り江に着いた。


 少し坂道を上がったら、なんらかの施設もあるようだし、この先には、ハイキングコースもある。


 けれど、ぼくの終点はここである。


 向かい側には、これまた、うっそうとした、小さな島がある。


 夕日が、次第に落ちそうになっているが、まだ、ボートの訓練をしているらしき人たちがいた。


 しかし、それも、ぼつぼつ終わりのようだ。


 彼らがいなくなったら、ぼくは、ひとりになるだろう。


 砂浜の近くにコンクリの敷居が続いている。


 これが、なんのためのものかは、わからない。


 そこに、座り込んで、夕暮れを待つ。


 連絡船の最終便は、9時半過ぎだったように思う。


 それを過ぎたら、通常には、朝が来るまで帰れないだろう。


 

 こちら側には、何も無い。


 が、幸いなのか、今夜は月明かりがわりと明るい。


 太陽さんというものは、まことに、偉大なものだ。


 

 ぼんやりと、海を眺めていると、時のたつのは不明瞭になる。


 それでも、お月様の居場所が、ずいぶん変わったことは確かだ。


 潮位も、変わってきていて、海が近くなっている。


 最後の連絡船は、とっくに出てしまった。


 ただ、おそらくホテルの宿泊客のカップルさんだろう。


 いくらかの人が時々やってくる。


 はっきりいえば、ぼくは、邪魔ものなのだ。


 それは、常にそうだった。


 どこにいても、ぼくは、その場所の風景には織り込まれない。


 それは、自分の性格とか、また、ある種の定めなのでもある。



 午前1時を過ぎると、さすがに、誰も来なくなった。


 平日でもあり、昨日までの大雨もあり、あまり宿泊客もいないのだろう。


 さてと、どうする?


 海に向かって、歩きますか。


 今なら、たぶん、上手くゆくだろう。



 と、沖合から、何かがやって来る。


 小さな光が灯っている。


 月明かりに浮かび上がるその姿は、きわめて神秘的だ。


 何だろう?


 ボートには違いないが、どうやら、恐ろしく古風である。


 松明のようなものが、灯ってはいるが、非常にあいまいだ。


 誰かがふたり、乗っているようだった。


 男の人と、女の人。


 男は、中世の殿上人のような服装で、さらに、女は、十二単のような物を纏っている。


 『これは、出たかしら。』


 とはいっても、このあたりは、源平の幽霊とか、つまり船幽霊とかのうわさ話しは、まだ、聞いたことがない。


 藤戸の合戦、水島の合戦などは、わりと近くではあろうが、いささか離れてもいる。


 とはいえ、海はきっちりと、つながっていて、思っているよりも、ずっと近いものだ。


 そう思っていると、その木造の古風な船は、すぐに目の前に泊った。



 『そなた、まようておるな。』


 貴族の様な雰囲気の男は、そう言った。


 『見ればわかるものよ。構わぬ。乗るが良いぞ。』


 女の方は、いくらか、ほほ笑んでいるようにも見えるが、よくはわからない。


 『これは、千載一遇の時である。まようでないぞ。』


 ぼくは、乗ろうと思った。


 悪くない。


 まったく、悪くない。


 迎えに来てくれたのなら、まさに、ベストなチャンスだ。


 だから、ぼくは、裸足のまま、海の中に歩き出した。


 この海岸は、砂の目が粗く、しかも石が多いから、いささか、歩きにくい。


 あ、冷たい。


 その船は、もう、すぐ、そこにある。


 なんだか、感じたことがないような、安堵感がある。


 これで、ついに、やっと、楽になれるのだろう。


 女が、手を伸ばした。


 月明かりに浮かび上がる手は、骨と皮だ。


 というよりも、骨が浮かび上がっている。


 要するに、この二人は、骸骨さんなのであろう。


 人間の基礎構造は、みな、こうである。



 そこに、山側から声がかかった。


 『こらこら、悪さをするものではないぞ。』


 『あ、これは、仙人様。それに、観音様までも、お出ましですか。』


 男の方が、非常に恐縮した。


 女は、船底に、しゃがみ込んでしまった。


 『久しぶりに、夕涼みに出れば、そなたたちは、異界の物よな。どこから、ながれてきたのかな?』


 『はい。水島あたりから。』


 『あのあたりは、人間たちが作った、工場ばかりであろう。』


 『はあ。さようでございます。赤々と、火のない明かりが灯り、巨大な火の玉が、空中に浮かび上がります。それはもう、おそろしゅうて。』


 女が、震えながら言った。


 『ふむ。是非もなし。たしかに、それに比べて、ここは、良い場所である。それで、仲間が欲しくなったか。』


 『このあたりの時期の人ならば、時勢にも詳しかろうと。しかし、どこも、人ばかりで、なかなか、近づけませぬ。これは、よい、機会であると、思いまして。はい。』


 『ふむ。しかしな、この人間は、役立たずである。見ればわかる。よいか、これ以上に、現世に関わらずともよいぞ。苦しむばかりである。我らが、行くべき道を授けるによって、行くが良い。』


 ぼくには、この、仙人様や、観音様と呼ばれた方たちは、ぼやっと、やや高い空中に浮かぶ光にしか見えていない。


 『は。まことに、有り難く、仰せに従いましょう。』


 その、不可思議な船らしきものは、やがて、空中に浮かび上がり、そのまま、消えていってしまった。


 『さて、そなた、そのように、苦しまずとも、来るべきものは、来る。そなたは、あの亡者のように、戦いの中で最後が来るとは、思うまいが、それは、ちと、早合点であるぞ。この先には、かつてない嵐がやって来るであろう。が、まだ、少し間がある。まあ、もすこし、耐えるが良い。気がムけば、また、ここにも、来るが良い。ここは、良い場所であろう。はははははははははは。』


 淡いふたつの光は、山の中に、消え去った。



 結局、ぼくは、翌朝一番の連絡船で、街側に帰ったのである。


 それから、蒲鉾などを買い、美味しいコーヒーを頂いた。





        **************     🚢


 

 


 







 






 









 




  

 

 




 




 











 






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『やましんは、くるしんでいる』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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