蟲の王女
長谷川
孤蝶、舞う
その
遥かな昔からただ「蟲」と、恐れと
彼女にとって「蟲」は憎悪の対象であり、諸悪の根源であり。
そして、唯一の友であった。
*****
目の前の扉を開くと、真昼と見紛うような光が降ってきた。
あまりのまぶしさに一瞬目がくらむ。されど王女は押し寄せる光の洪水にどうにか耐えて、可能な限りしゃんと背筋を伸ばして立った。
伸びやかな楽器の音色が流麗な旋律となり、王女の戦場を彩っている。
溢れんばかりの金色の光は、どうやら天井に吊り下げられたシャンデリアから注がれる雨のよう。
その雨の下から幾つもの好奇の眼差しが、獲物を見つけたけだもののそれのごとく覗いていた。老若男女、色とりどりの
「蝶の王国より、第二王子殿下並びに第一王女殿下ご到着です」
ひとびとのさざめきが管弦の調べを掻き消さんばかりに膨れ上がり、サアッと人波が引いてゆく。
途端に眼前へ現れたのは、
この道の先に、金獅子がいる。
王女はいよいよ緊張でもって溺れかけ、自らの手を取る兄王子の横顔を
「行くぞ。おまえの夫がお待ちかねだ」
おかげで浮き足立っていた王女の胸はすうっと冷えた。少しも取り乱すことのない兄の素振りに平静を取り戻し、はい、お兄様、と
足首に巻かれたリボンの花飾りを儚げに揺らしながら、王女は一歩踏み出した。
エスコート役の兄王子に導かれ、ひと目で蝶の
極彩色の花園を舞う蝶のごとく、王女は歩いた。玉虫色の不思議な光沢を帯びた黒髪も、ほのかな
やがて
広間の最奥に設けられた金色の玉座の上。その脇息に頬杖をつき、いかにも尊大な態度で王女を見つめた男の風貌はまさに──金の獅子。
「唯一無二にして比類なき大陸の覇者、皇帝陛下に慎んでご挨拶申し上げます」
あと六歩踏み出せば玉座を
先年、病に没した先帝の跡を継ぎ、皇帝の座を
あの輝く玉座を手にするために、
金獅子帝国第二十八代皇帝。
王女は今宵、かの者の妻となる。
帝国の爪牙に怯えた小国が恭順の証として獅子に供した、七番目の妃として。
「面を上げよ」
蝶の国唯一の姫として、決して祖国の名を
「遠路遥々、よくぞ参った」
王女が初めて耳にした獅子の吼声は、
「これにて蝶の国との同盟が
それが上辺だけの言葉だと分かっていながら、王女は夜明け色のドレスの
「しかし、噂どおり美しいな」
されど直後に響いた皇帝のひと声が、ドレスを抓む王女の指先をぴくりと震わせ、広間に新たなざわめきを生んだ。
「さすがは長年、様々な国の王侯貴族に求められてきただけはある。大した審美眼を持たぬ俺でさえ、思わず触れてみたくなるな──蝶の国の
一瞬の緊迫ののち、ざわめきはひとびとの失笑へ変わった。
あからさまに口角の吊り上がった口もとを扇で隠しているのは、王女よりも早く皇帝に嫁いだ六人の皇妃たちか。
今日まで故国の城の外を知らずに育った
「有り難きお言葉。祖国の
蝶の国にのみ伝わる技法で織られた七色の
嘲弄など恐ろしくはなかった。幼い頃から幾度も背中に突き立てられたおそれと
「面白い」
やがて獅子の口もとに不敵な笑みが刻まれたのを、王女は見た。
「今日より
「喜んでお受け致します」
立ち上がった皇帝の背後で、真紅の
間近で見上げた皇帝の金髪は、まるで太陽の光で染めた
何故なら自分は、この獅子を亡き者にすべく送り込まれた〝蟲〟なのだから。
皇帝と王女が舞台に上がるのを待って、大陸最高峰と
ふわり、ふわり。降り注ぐ光の雨の下、王女は舞った。
破滅の始まりを告げる円舞曲を。
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