第28話

「結局、ここに残ることにしたのか」

 胡蝶の言葉に憑き物が落ちたような爽やかな笑顔で白夜は笑った。

「ちえ、面白くないのう。よもや寝ている間に全てが解決しておるとはな」

「私はあの大騒ぎのなかで寝てたテメエにドン引きだ、帰蝶」

「かか。乙女に秘密はつき物じゃ」

「秘密でもなんでもねえだろ」

 胡蝶は拳で帰蝶を黙らせた。唇を尖らせる彼女は、恐らく反省してはいないだろう。


「で、残るのか」

「うん」

 白夜は頷いた。

 本当にすっきりした顔をするから、なんとなく居心地が悪いようで胡蝶は後頭部に手を当てた。


 思えば、自分の暴走を見越していたのだろう。だからこそ、天寿が望むものではないと忠告してくれていたに違いない。

「……ありがとう」

 その言葉に彼女は舌打ちをした。

 白夜はそれが照れ隠しだと言うことをよく知っている。がさつな態度は素直になれないことの裏返しだ。

「別に。ただオレは気にくわなかったんだよ」

「気にくわない? 僕が?」

「…………オレ達だって、家族以外の愛なら、いくらでもやったのに。仲間としてお前のことをきちんと、案じてたんだぜ」

 声が、でなかった。

 考えたこともなかった。


 いつも考えるのは家族のことだ。どうしたら愛してくれるかな、どうしたら誉めて、見て、笑ってくれるかな、そんなことばかりだった。

「あれ? でも銀色の神之瑪しののめの家の人は?」

 灰君じゃない方ね、と付け足すと彼女はあからさまに嫌そうな顔をした。

「時雨? 時雨になんか言われたのか?」

「あ、あの御方が時雨さんなの?」

「ん。なんて言われたんだ?」

「ええと……『君みたいな凡庸な人間を、誰が愛するわけ?』って」

「それについては私が伝言を預かっている」

 顔を出したのは神之瑪しののめ 灰だ。彼もじゃっかん、嫌そうな顔をしている気もする。


「『その言葉はね、ボクがオマエを愛さないって意味で、あとボクなりに凡庸って慰めたつもりなんだけど』……と」

「なんだそりゃ、殴って殺せ」

「気持ちは分かるがどうどう」

 まあ帰ったら殴るが、としれっと付け加えた灰に白夜はクスリと笑った。

「ま、仕方ねえよ、あいつ神だし」

「え?」

 神、と聞き返すと帰蝶までもが頷いた。

 そう言えば、不知火の大本である神之瑪しののめの家には神の血が混ざっていると聞いたことがある。そして彼は神之瑪しののめの姓を名乗っていた。


 ……。

 …………。

 ………………考えるのを、やめよう。

 賢い白夜は考えるのをやめることにしたのだった。


「ま、しかし、テメエがここに残ってくれるのも助かるんだがな」

「……って言うと?」

「これで古都とのほぼ完全な停戦条約をこれで結べる」

 持っているのは今回の始末書、或いは報告書と呼ばれるそれだ。

「てめえがここに残ってくれるお陰で古都のジジイどもを納得させることができる」

「ええと?」

「アゲハ領は完全中立区画だが問題は本部が帝都にあるってとこだ。そのせいで古都のくそじじいどもは自分達は関係ない。勝手に帝都の住人が殺しあってるだけだろうっつって捜査を拒否した」

 そのせいで話がややこしくなった。


 疚しいことがないのならば調べさせればいいものを、それを断ったのだ。当然帝都は自らの領地に本拠地のあるアゲハを蔑ろにしたと言うことで怒った。帝都が怒る義理は本当になかったけれども、こういうのは因縁をつける行動なので仕方ない。


「白夜に全部の罪を擦り付ける。今後五年はこの島から降りれないと思え」

「はああああああ!!?」

 なんと言う理不尽。

 なんと言う暴論。

「ちょっ、なにそれ」

「この島はそもそも、魔法師達が流刑先として使ってた島だ。つまりこの罰も古いものだが正当性があるとしてオレが古都を丸め込む。お前も、オレに殺されたくはないだろ」

 白夜は、瞬きをした。

 呆れた顔の胡蝶はなにも言わない。


 考えたこともなかった。

 古都と帝都が戦争になれば、それは当然白夜と胡蝶は殺し会うことになる。ましてや変な話ではあるが、味方であった胡蝶らの方が白夜の脅威をよく理解しているのだ。

 ならば暗殺兼狂戦士である胡蝶が送り込まれてきてもなんら不思議ではない。白夜はその場合、あっさり死ぬだろう。胡蝶と殺し会って生き残ると言うビジョンは万一にもなかった。

 例えば響が未来予知を駆使してその場に駆けつけたとして、その場合の勝率もやはり彼女にあがるだろう。彼女のそれは強いとか弱いとかではなくて。

「…………力任せなテクニシャンってやだよねえ」

「いっぺん表出るか?」

「胡蝶、妾は先に降りておる。どーせ、古都の支部の指揮を取らねばならぬのじゃ。全くのう、偉人使いが荒いわ……」

 帰蝶は肩を回しながら別の飛行挺の方へ歩いていった。どうやら彼女にはまだ時間があるらしい。


 彼女の瞳があおい空を見つめる。遠くで水遊びをしてる紅とその弟子達が見えた。

「怪我してたのに元気だな」

「ねえ、ひとつ聞いていい?」

「ん?」

「…………なんで、みんなに、ほっておけば僕が死ぬって教えなかったの?」

 彼女の瞳がこちらを見る。


 呪いと、闇と、極夜に呑まれたとき、魔力消費が激しすぎた。それはすぐに、命に関わるようなことだった。実際、紅の診断を受けても白夜の寿命は四十五歳まで生きれば長生きだと言われた。


「……答えはもう、教えただろ」

 彼女はうつむいた。大きな雲が影を作る。

 昼間の青さがどこか白々しくて、太陽の下を歩くのが、なんだか億劫で。白夜はようやく、真実を、皮膚の下を吐露する。

「…………安心したんだ」

「あ?」

「鈴音が僕に剣を向けたときに、僕は安心したんだ」

 最初から彼女を利用するつもりだった。

 天寿を使い己の存在を抹消するために、彼女の復讐心を利用して天寿を手にいれようと思った。天寿が望むものではなかったときには、その復讐心をもって殺してもらおうと思った。

「彼女と出会ったのは別に僕が画策したことじゃない。本当に偶然だ。でも運がいいって思ったよ」

 でも次第に、彼女と共にいるうちに罪悪感が芽生えた。


「だから僕は、彼女が僕に剣を向けたとこに、僕に利用されてるだけのかわいそうな鈴音はいなかったんだって……安心したんだ」

 天寿が叶えば彼女は自分を忘れて紅を取り戻せると分かっていた。復讐が果たされれば彼女の人生の目標を達成できると分かっていた。

「…………これ、きっと本人には一生言わないと思うよ。僕には、到底その勇気がない」


 見捨てて欲しかったのは。

 諦めて欲しかったのは。

 他ならぬ、白夜のため、自分のためだ。


「……僕はバカだよ。これからもこの後ろめたさを抱えて生きてくんだ」

「白夜。そうだ、ひとつ伝え忘れていた」

 顔を上げる。

 彼女は口角を上げた。


 白い指先が白夜の手を掴む。いたずらっ子のような微笑みを浮かべたまま彼女は続ける。

「お前の両親の虐待の証拠が正式にあがった」

「え?」

 聞き返してみれば胡蝶は事実だと言うように笑っている。いや、さっきからずっと。

 でもなんで、そんなのが今さら。

「オレの部下の一人が軍医でな。当時の証拠写真を貯めてやがった。今回のことでお前は帝都でまた英雄として語られている。それにあやかろうとした男がいてな。そんなの許せないだろ?」

「胡蝶、待って、英雄って」

「ははは、それがお前の罰だよ、白夜。お前は未来永劫英雄として語られる。そして幸せになる。それがお前にかされた罰だ。なあ、白夜」

 彼女が影から、青い空の下に踏み出す。

 鈍色の髪が銀の雨のように煌めく。


「おめでとう。お前はもう自由だ」


 指先が離れていく。懐かしい、戦場で費やした長い時間が離れていくようで口惜しくて白夜は思わず手を伸ばした。


 ――その手を鈴音の手がそっと掴み、そして思いっきり青空の下へと引き出す。

「白夜!! 走ろ!」


 彼女の輝かしい笑顔と、燦々と降り注ぐ日差しに視界が眩んだ。屍の無い、固く確かな土を白夜は踏み締める。あまりにも世界が眩しくて白夜は目を細めた。


 空は変わらずに青い。

 その青さは白々しい青さだ。

 いつか雨がふって、雲があったことを誤魔化すように空は今日も青い。


 解き放たれた鎖が地面に落ちていくように、一歩一歩踏み出していく。


 手が、熱い。

 握られていた手が熱い。

 心臓の音がする。

 戦場の記憶が今は遥か遠くにあるように見える。それでいて、皮膚の一枚を隔ててそばにあるような気がする。


 自由だ。

 自由だった。

 その、自由を、白夜は踏み締める。


「じゃあな、白夜。今度こそお別れだ」


 彼女はそう告げると飛行挺へと歩いていった。


 小川の方に歩き出した白夜を見ながら、鈴音は足を止める。隣に立つのは千夏だ。

「こういうのってなんて締め括るんだろうね」

「なんだよいきなり」

「ううん。めでたしめでたしって訳じゃないわよね。私達、いっぱい人を殺したもの。これでめでたしめでたしじゃあ締められないわ。どう締め括るべき?」

 千夏の目が細くなった。

「ンなの、幸せに暮らしましたとさ、でいいんだよ」


 幾千の夜を越えて、朝になって、朝が苦しくて夜を追い求めた男がいた。男はそしてようやく、本当の朝を知った。

 けれども、明けぬ夜がないように、またいずれ朝も暮れて終わりを告げるだろう。


 そんな時は、肩を寄せ会って歩こう。

 冷たく暗い夜を、それでも一緒に越えて、また何回でも朝を迎えよう。


 分かり会えないと思ったのならば、分かり会えなかったそのたびに言葉を重ねよう。例え理解し会えなくても、重ねた言葉がいつか大切になる日が来るだろう。


 夜を越えよう。

 共にいよう。

 家族に、なろう。家族であろう。


 寂しくて苦しいのならば共にあろう。

 重ねた手が熱を持ち、伝えた言葉が価値をもって、世界に意味ができる日が来る。


 血よりも時が。

 時よりも縁が。

 縁よりも心が、本当の家族への道だったりする。


「ほら、行くぞ。そんな下らないことを悩んでるな」

「そうですよー!! 鈴さーん! こっちですこっちーー!!」

「スイカを白夜が叩ききるらしいぞ!」

「よーし! 一発でスイカジュースにするからね! 見てて!」

「そこのバカども!! ジュースにすんな!! 師匠も煽んないで止めろ!!!」

 えーだって楽しいじゃないか、と紅がぼやく声が聞こえた。小川は光を反射してきらりきらりと瞬いている。

「よーし! じゃあ私かスーパー薄切りにしてあげる!!」

「バカ鈴音!!! やめろ!! 木刀で人でも殺すつもりか!! このっ、あほう!」

「きゃー! 千夏が私をぶったー!」

 鈴音は駆け出す。自分の大切な家族の元へ。


 空は青く澄み渡り、雲は白い。

 明けない夜はないし暮れない朝もない。


 人を殺したと言う罪を負って、英雄と言う罰を受けながら、これからもこの道は続いていく。

 ただひとつ言えることがあるとすれば。


 もう二度と、極夜は来ない。

 願いを叶える必要は、最早無いのだ。


 こうして彼らは、幸せに暮らしましたとさ。

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