第27話
消え去りたい。
影も埃も意味すらも、この世と言うものから拭い去りたい。誰も与えてくれないならば――白夜は。
「……要らないと、言ったんだ」
体は血液の海に沈んでいた。傷だらけの体のまま、仰向けに倒れたまま、足元にやってきた、永遠に待ち望んでいた極夜にそう告げた。
「白夜」
「……太陽は明るすぎた。明るすぎるせいで誰も、その苦しみに気がつくことはない。だから僕は、白夜なんていらなかった――太陽になんて、なりたくなかった」
極夜を、終わらぬ夜を、永劫に渇望していた。
衝動的な渇きを凌ぐように、消えたいと叫び、身を切りながら己を消費していった。
そして今、待ち望んでいた極夜が――鈴音が、足元に立っていた。
彼女は自分の記憶を見たはずだ。
ここはそういうからくりだと、本能的に理解している。だからこそ白夜の全てに理解してくれるはずだ。その蜘蛛の糸のような一縷の望みだけが、今の白夜に言葉を紡がせている。
「愛なんて要らない。要らないんだ。だってそうでしょう? 僕は、最低だった、そうでしょ?」
愛がほしいからと白夜を生み、愛されないからと捨てた母と同じ血が、この身体には確かに流れている。
「疲れたんだよ。期待するのに。手にはいらないと分かっているのに夜に永遠に焦がれるのはバカでしょう? 僕は、僕と言う罪人の罪を裁きたかったんだ」
人を殺す時に、次第に悦楽を感じなかったか?
報酬を追い求めむやみに人を殺さなかったか?
否と言えば全てが真っ黒な嘘だ。
愛されたいと太陽が願えば願う程に、世界はその熱で焼かれて取り返しのつかなくなる。それならばいっそのこと個人での幸福なんて燃えるごみにでも出して、死んだように生きて、死ねばいい。
望まない。
祈らない。
願わない。
叶えない。
ただひとつだけ望むのは、存在の抹消だ。
功績なんて初めから虚構だ。積み上げられた罪と頭蓋骨と屍だけがその全てだ。その上に立っていられるほど白夜は強くない。
むしろ弱いくらいだ。
だから消そうとしたのだ。
罪もろとも。
「…………」
鈴音がうつむく。その考えは多分、ずっと長く彼が秘めてきたものだろう。考えただけで寒気がして、嫌気がするあの記憶。
あれと白夜はずっと戦ってきたのだ。
忠告だと言うように爪先の前に阿修羅が落ちてきた。赤い刀身は白夜の望む断罪を勧める。
それを手に取る。
「白夜。私と貴方は、きっと分かり会えないわ」
その言葉に白夜の瞳が期待するように輝いた。地に伏して、今にも死にそうな男は断罪の時を今か、今かと待ち続けている。
「貴方の辛さも、貴方の苦しみも、私、きっと分からない。人と人は分かり会えない。私と千夏と響……一緒に、家族同然に生きてきた私たちですら分かり会えなかったのに、会ったばっかりの白夜とはきっと分かり会えないよ」
その葛藤を、覚悟を、語るにはあまりにも鈴音の言葉は軽すぎる。鈴音はだって知っているのだ。
ほんとのお母さんは紅の幸福を、鈴音の幸福を祈っていた。幸福を祈られる思いやりを鈴音はずっと感じて、知っていた。
紅の膝で眠ったことを。紅の腕に抱き締められることの心地よさを。紅が誉めてくれることの嬉しさを、認めてもらえることの幸福を鈴音は知っている。おいていかれたと思ったけど、自分のためにいてくれたのだと白夜が教えてくれた。
姉弟子の不器用だけど鈴音の将来を案じるような気遣いを。憎まれ役になってでもと幸福を祈る気持ちを、知っている。白夜が見据えて、探し出してくれた、千夏のほんとの愛情を鈴音は知ってしまった。
妹弟子の未来を守るために必死であるような、自分のために必死になってくれる愛を、鈴音はしっている。白夜が見つけて、響に手をさしのべてくれたから鈴音は気が付けて大切にできるのだ。
鈴音は知っている。
愛されていない子供ではない。愛を、知っている。
だからどんなに心を込めて同情して憐れだと可哀想だと言っても、その言葉はきっと軽すぎて白夜の胸には全然届かないだろう。
「……私、白夜がこの旅で私に取り戻してくれた全てを愛してる」
千夏の保身的な願いと不器用な思いやりを。
響の臆病で、けれども必死な思いやりと願いを。
紅の暖かくて優しい、喪われていたはずの願いと思いやりを。
「私に本当の父と母は、もういないけど。でもここに確かに会ったのよ。お母さんがわりの紅様と、不器用なお姉ちゃんと、臆病な妹と」
それから白夜は鈴音に与えてくれた。
自分を、大切にすることを。
だからエゴだ。これはエゴだ。
どんくさい自分が、何もかもを見失うくらい無我夢中に狂ってきた自分が、取りこぼしてくれた全てを貴方が拾い集めてくれたから。
今度は自分が拾い集めよう。
不知火 白夜の落とした全てを。
「それから白夜よ」
白夜の瞳が見開かれた。
「…………なんで」
彼の唇がそう紡いだ。
なんで。
「なんで、今更……僕は、もう諦めたって言ったじゃないか。それなのに、なんで……」
「白夜、私お兄ちゃんがほしいの」
「なんでこんなもの、今更過ぎるよ、僕を、惑わせないでよ」
顔を覆い苦悶する白夜に向かって一歩ずつ近付いていく。
「私を先導してくれて、守ってくれて、でも時々頼ってくれて、不器用だけど優しくて、誰かのために必死な、自分のために必死な……そんな、お兄ちゃんがほしいの」
白夜の顔が苦しそうに歪む。彼は、体を丸くした。髪をかきむしり苦悶して、ようやく、なんでの問いの続きを口にした。
「なんで今更、僕に、愛なんかを教えるんだよ……」
苦しそうにひねり出された言葉がきっと本心だ。無い物ねだりだと言った胡蝶は正しかった。彼は、きっと諦められなかったのだ。
いや、諦めていたかもしれない。けれども同時に、ずっと白夜を培ってきたそれを、簡単には捨てられなかったのだ。
「白夜。私たちはきっと分かり会えないわ」
言葉を正しく紡ぎ直す。苦しむ貴方に、悲しむ貴方に、きちんと告げる。
「家族でも難しいのに、私たちにはきっと難しい。テレパシーやサイコキネシスを使えたらいいのに、こんな時に私の天寿は役に立たない。だから、お願い、白夜。言葉にしてよ。辛いなら、苦しいなら、助けてって言って。平気でしょ、なんて、私は言わないから」
怯えたように自分を見るのは『ただの』白夜だ。
沈まぬ太陽と恐れられた男でも、愛されずに苦悶し葛藤した不知火 白夜でもない。
ただの、幼い子供と同じ、白夜だ。
「無理だよ。今さら、そんなことを、言えるわけないじゃないか。鈴音。なんで、なんで今なんだ……僕は、人を殺すのを喜んでいた。報奨を挙げるのを喜んでいた。君の!! 君の師を、誰がなんと言おうと殺したんだ!!」
「私は! それを仕方がないって笑って許すわ」
鈴音の言葉に白夜の瞳が揺らいだ。
「紅様、生きてたもの。私、戦場がなにかどんなものなのか、知らないわ。知らずに育ったわ。戦争は知ってるの。誰かの大切なものを奪ってくんだって知ってるの。でも戦場は知らない。知らないけど、私、仕方がなかったってもう、思える」
「…………僕は薄汚い殺人鬼だ。英雄なんかいない。どこにもいないよ。僕も、灰も、胡蝶も……一生その十字架から逃れることはできない。それに僕は」
「これはね、内緒なんだけどね」
とっておき、なんだ。
内緒の内緒。鈴音は少し困った笑顔を浮かべた。
「私、白夜のためなら世界を三つくらい滅ぼしちゃってもいいかなって、思ってるんだ。世界を三つくらい滅ぼして、白夜が助けてって言ったら、すぐにとんで駆けつけるわ」
今度こそ、黄金の瞳が大きく見開かれた。
堰が静かに決壊し、白夜の唇は震えながら、泣きながら、いびつな笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「…………助けてよ、りん」
震えた声はか細く、掠れて、今にも消えそうだった。
「周りの人たちが平気でしょって言うから、平気だってずっと言い聞かせてきた。平気だと思ってた。平気なふりしてた。でも、でも僕、本当は……本当の本当は」
存在意義を否定され、存在価値を否定され、誰も見てくれない、誉めてくれない、屍のような人生へと全てが変わり果てたあの日から。
「あの日から僕は、全然平気じゃない」
刀を投げ出した。
戦うための道具なんていらない。そんなことをしてる暇はない。
しなやかで筋肉のついた、助けを乞うように伸ばされた腕を引き寄せる。傷ついて、傷だらけて、必死に耐えてきた彼の肩に手を回し、白いうなじに顔を埋め、金色の頭をそっと包み込む。体温が本当に緩く暖かく、生まれることすらままならなかった貴方を抱き締める。
「辛かったね……でももう平気だよ」
世界にヒビが入る。二人っきりの私と貴方。
貴方が傷だらけになって死んで、殺してしまったのなら。私は今日、貴方を生まれ変わらせる。
「愛してるの、白夜」
白夜の瞳から涙がこぼれ落ちる。それから彼は、傷だらけの心を癒すように、生まれ直すように声をあげて泣いた。産声のようなその泣き声に、世界が綻びて、砕けて、極夜が去っていく。
終わらない朝がないのと同じように、終わらない夜もないのだから。
天に上っていたコアの写しにヒビが入った。割れて、砕けて、魔力へと返っていく。白い世界に巫女が一人立っていた。白夜はなにかを言おうと口を開く。
彼女の手が、代わりにそっと頭を撫でて溶けていなくなった。
世界が崩壊していく。
白夜を傷つけ、守っていた世界が壊れていく。
「白夜!!」
千夏の声とほぼ同時に響が白夜に飛び付いた。
「びゃぐやじゃんぅ……」
「響!!?」
千夏がそのまま、なにも答えずに白夜を抱き締める。鈴音がより強く抱き締めてくる。
最後に来た紅は、まとめて四人を抱き締めた。
「あ、あの」
「……ほらね、言ったでしょ。白夜も、もう、仲間なんだから。だから……だから。生きててくれて、ありがとう。諦めないで、ありがとう」
抱き締める温度が熱くて、感じたことの無い熱で、白夜の涙腺がまたじわりと緩んだ。
それはあまりにいびつだったけれど。
血の繋がりなんてほとんど無かったけれども。
なるほど確かに、ただ言葉もなく抱擁をかわす姿は、どこからどう見てもただのひとつの『家族』だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます