第25話
考えていた。
ずっと、考えていた。
思考し、思考し、思考し。
でも、答えはでなかった。
意識の淵で、その奥に誰かがいた。暗い暗い自我の海の底に誰かがいた。それが問いかける。
幸福とはなんだろうか。
祈りとはなんだろうか。
愛情とはなんだろうか。
或いは、『人』とはなんだろうか。
分からない。鈴音にだってそれらは難しすぎる。曖昧な自我のラインを見極めることもできずに漂いながらそう返す。
人は皆、己を救いたい。
人は皆、己を正したい。
その救いが過ちそのものであったとしても。
その祈りが過ちそのものであったとしても。
その正しさが過ちそのものであったとしても。
それでも、すがるしかないのだ。
「ならば、何故いきる? 何故戦う。何故ここにいる。お前がここにいるのは何故だ」
望め、と言った彼女の声を思い出す。
渇望しろと。望みこそがヴァルハライドの原動力なのだと。
光の滂沱の中、無理矢理意識を覚醒する。手を伸ばして、紅く煌めく刀を、修羅に堕ちてもと願った声を思い返す。
だから私たちは定義しなければならない。
己は何者なのか。
己は何になるのか。
どのような存在なのか。
どうして戦い、どうして傷つき、どうして生きるのか。
血が地面にこぼれ堕ちる。額の薄皮を切ったらしく、左目は完全に使い物にならなくなっていた。それでも足があるなら白夜は立ち上がった。口が、腕が、あるかぎりは。
だから鈴音もそれに習う。
だってそれこそが存在理由。
それこそが自我の定義。
「……だから、逃げちゃダメなの」
それこそが意義。正しくても、間違っていても、私たちは生きている。
「決めなきゃ、決めるのよ、鈴音。私は、どうして戦うの?」
涙ながらにそう自問した少女はもう傷だらけだった。けれども諦めてはいなかった。消えそうな光を握り締めて、諦めるまいと唇を噛んだ。
白夜は焦りを覚える。
いつしか戦いは焦燥感だけのものになっていた。だって何度斬っても、何度切っても、鈴音は膝をつかないのだ。もうみてられなかった。絶えず零れる血液と、震えながら立ち上がるその姿が。
「私は、私は……諦めない」
「なんで、なんで膝をつかない!!」
「私は、私のために戦う。他の誰のためでもない。私は、私のために傷付いて、私のために生きる。私が、私であるために!!」
熱が、昇る。
願いはただひとつ。
なんのために戦うかなんて、生きるかなんてただひとつ。天寿花咲くこの地では、誰も彼もが己のために、自らのためだけに生きて、戦う。
自らの、願いの価値を証明するために。
これはきっとエゴだ。
白夜は死にたがってる。
これはきっとエゴだ。
それでも――それでも。
「私は今日、このために戦ってきたって、いつも思ってたいのよ」
駆け出した。地面を思いっきり蹴り飛ばす。足元に伸びるのは響の細い糸だ。それを足場に上空へと登っていく。イビツで、間違っているかもしれない。だけど鈴音にとって、これは迷うことなき真実。
もし彼が太陽ならば、修羅に落ちた自分はそれを必ず落として見せる。
それだけが私の、枯れ果てても朽ち果てても手放すことのできないただ一つの存在価値。孤高の存在を打ち落とすためだけに、この生を費やして見せよう。
視界が紅く染まる。世界の全ての事象を視界に納める。白夜の影響で白くなった空が紅く染まり、そこに無数の目が開かれる。
頭痛がひどい。
視認できる範囲の全ての事象をこの目は読み取る。
世界の全てを指先一つ、刃一つで書き換えることができる。これこそが鈴音の天寿。
隣人を愛し、隣人を思い、誰かのために戦いながらそれを己のためと言いきれる彼女の天寿。
腰に携えた刀に手を当てる。黒いコアが眼下に見えた。心を封じ込めたそれに狙いを定める。
「なんで……!!」
白夜の叫びを無視する。飛んでくる斬撃は視界全てを納めた天寿によって無効化されていく。空間に浮かぶ無数の瞳がギョロリギョロリと動きながらその全てを処理していくのだ。
「白夜ァ!!」
その名前を呼ぶ。彼の、大切な名前を。喪いたくない、その名前を。
「私、決めた! 貴方を止める!!」
「よく言った、鈴音。それでこそ――アタシの弟子だ」
遥か下。影の足元で白衣が瞬いた。研ぎ澄まされた銀色の光が鈴音のところにまで見える。
「紅様……!!」
「太陽は、アタシがどうにかしてやるよ。覚悟しな白夜。アタシの愛娘を泣かした罪は重いさね!」
白と黒が反転する。世界が一瞬だけ黒く染まり、女神の形をした光に無数の赤い傷が上昇した。手にしたメスの施した傷が『殺害』と言う概念の毒となって白夜を守る太陽の女神を染め上げていく。
「――……“殺害”できないものはない。不死すらもアタシは殺す。殺し尽くす」
「あ、アアァアァアアア……!!」
「終わりだ、天照!!」
女神の体が、今叫びながら崩壊していく。その太陽を支えるのに、殺された女神では耐えられない。
永遠を生きるならば、永遠の死が迫り続けるだけ。
それから逃れるには、死を選ぶしかない。
それにより太陽の概念は崩壊した。白夜と鈴音との距離が近くなる。影が、真下にしか伸びていなかった影が、伸びていく。白夜の反対側へと。
「鈴さん!!」
響が飛ばした糸が空中に足場を作り上げた。勢いよくそこに着地をして、反動もろとも空に飛ぶ。
「貴様ぁあああ!!」
「よそ見をするな!!!」
反撃しようとした白夜を千夏の大剣が凪払った。コアより僅かに高く飛び上がった鈴音はもう一度構えた。
時は満ちる。
赤い、紅い月が、陽を隠した。
鯉口が斬られる。
そしてすぐに納められた。
僅かな一瞬。恐らく今の白夜に対して暗殺なんて無駄だろう。だからこその正面突破。放たれた斬撃は白夜のコアに薄い傷をつけただけだ。
それでいい。それで十分だ。
頭痛がひどくなる。処理速度に脳が、体の方が追い付かない。
指先を伸ばす。
目は深紅に染まり、血の涙が空に向かって登っていく。落下しながら鈴音は手を伸ばした。冷たくて冷たくて、その熱に今にも泣き出してしまいそうなそのコアに。
「…………“蘇生”、するわ。私の、魂を燃やして」
その光景を、地上からみていたくノ一は言葉を喪った。
天寿――天より定められた命。
それを扱う異能のごとき魔法。
その際限は文字通り自らの寿命の範囲内だというのは、天寿を齧った時から理解していたものだ。
天に浮かぶ百八の目は、人間につく瞳に対して九十度回転している。それらはただ白夜を凝視していた。空は紅く染まり、紅い月が太陽と重なる。
そして、焔でできた円環が白夜のコアを戒めるように現れていた。
神秘的で、偶像的なそれは。
天を覆い、蘇生を司り、修羅に堕ちても構わないと願った少女の全て。
「さあ、焼け落ちなさい」
鈴音は手のひらを握り締めた。それと同時に紅い円環――元は刀であったそれが収縮する。コアが締め付けられて膨張し、不意に、砕けた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! なんで!! どうして!! た、魂が! 神をいれるための器! その媒介が砕ける!?!!? いや、ぁ、こんなの、嫌だ……!!」
絶叫が、響き渡った。
それと同時にコアの割れ目に無数の魔法陣が展開される。
――人の心はその実、もっとも身近にある異郷だ。
人間の内面世界。心の中、記憶の巣窟には人にしか分からないものがある。誰も彼もが己の中に無限に広がる世界で孤独なのだ。
「領域指定……精神世界、拡張。存在定数、サウザンドを維持。パラドクス中和。領域の現実性指数低下を確認。自我の核を確認。三位一体崩壊。深度……Eを維持。無意識の海の海底に向けてダイブを行う。愛野、覚悟をしろ」
無数の魔法陣を通して彼女の声が響き渡った。
「実在性アンカー、抜錨。世界を、裏返す」
素人肌でも分かるほど、明確に魔力がぶれた。まるで突然海に放り投げたときのように口から気泡が無数に上がり、鈴音の視界は暗雲の中に落下した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます