第24話

 鈴音、響、千夏が走り去った後、紅はようやく黙っていた口を開いた。

「んで? 帝都のお偉いさん達はアタシに何を望む?」

「…………しの」

「…………」

 胡蝶から解説役をたまわった灰は紅を見た。

「神殺しを、一つ」

「……はぁ? なんでアタシが」

「かの竹取りの姫君にして月の都の姫たる貴女にしか頼めないことだからだ。紅 輝夜。不死にしてふじを持つ貴女にしか」

 紅は目を見開いた。

 それは誰も知らない逸話だ。古都ですら愛野ですらその事は知り得ない。

「月の都に因縁のある名前を持ってるんだ。神の一柱位殺してもらわねば。ましてやそれが――太陽を司る巫女、アマテラスの名を冠していたはずの女神、その残滓ならば」


***


「次!! 右から来ます!!」

 響の未来予知が正確に製図した数分後の未来を叫び伝達すると同時に千夏の大剣が建物ごと影の兵を凪払った。その瓦礫が吹き飛び、影の幾つかが圧死する。

 と、同時に後ろに飛びかかる白い古都の兵を響の細い糸が加圧して薄切りした。

「くそ! 中心に白夜がいるのはわかってるのに、そっちに近づけば近づく程兵士が増えてねえか!?」

「それだけ必死の抵抗ってこと……よ!!」

 斬撃が飛んで通路を塞いでいた影が切り刻まれた。

 幸いにも刀を使う鈴音ですらこの通りに範囲攻撃を使えるのだから、影の対処には困らなかった。ついでに言えば、先ほどから影のリスポーンが減ってきている。

 勿論、胡蝶の補佐なのだがそんなのは知らない。影の立役者はいつだってただの影の立役者なのだ。


 市街地の中央。

 そこには黒い太陽と、その下でコアを持つ女神……そしてその大元である白夜こと沈まぬ太陽が控えているのだ。

 当然、敵も強くなるだろう。


 雑魚を狩りながら少しずつ中央に押し入っていく。千夏の大剣は繰り返し、何度も敵を殺していく。彼女の通った後はまるで嵐が通った後のようになっていた。そして不意に――視界が、開けた。


 無数の白い死体の上、天を見上げるのは白夜だ。その瞳はもう何も映してはいない。だがこちらに気がついたようで、ぎこちなく、瞳孔がこちらをとらえた。

「……あ、は、来てくれたんだ」

 剥がれ落ちかけた軽薄というメッキが、彼のその言葉を惨めにしていた。

「ああ、ああ、あああ、なんでもっと、もっと、遅く来てくれないのかなあ……僕は、君を、殺したくない、のに、殺したくないのに、殺してほしいのに殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して――たく、さん、ころして」

「白夜……」

 ふふ、と彼は嗤った。彼の関心は鈴音ひとりに注がれている。彼は目の前の空に浮かぶ刀を手に取った。


「でもこれで、安心して……心いくまで、暴れることができますね」


 瞬間、視界が灼かれた。

 ブラックアウトしたようにすら感じた。それと共に斬撃が振るわれたのが、全く、分からなかった。

「鈴!!」

「…………え?」

 生ぬるい血液が体にかかる。千夏の脇腹が大きく抉られていた。それはまるで龍に喰われたような傷口だった。とてもじゃないが、致命傷だ。

「ちなっちゃんさん!!」

「平気だっつーの。天寿があるからな……」

 煙をあげながら傷口が修復していく。だが顔色は青白いままだ。

 すぐに違和感に気がついた。

 そうだ。今、恐らく白夜が一撃を放ったのだ。だけど、だけれども。だとしたら。なんで。

「…………なんで響はの」

 冷たい声が口から落ちた。ゾクリと体が冷えていく。その理由はわかっている。白夜の行動が響に読めなかったのは。


「…………すみません、ここに来て、あれですが、私の未来予知には期待できそうにありません」

 響は目を押さえながらそう告げた。

「見ようとすると、視界がホワイトアウト……この場合はブラックアウト、ですかね? するんですよ。そして未来予知が不鮮明になります」

「どういうことだ?」

「どういう理屈かは分かりません。この理論がどのような影響をもたらすかも、不明瞭です。ですがこれだけは正確に言えるでしょう。白夜さんは今、どういう原理かその名の通り――沈まぬ太陽、なのでしょう」

 太陽を裸眼では視認できないように、響も白夜自身を裸眼で見ることができないのだ。

「……太陽っつーことは、あの女神は、それじゃあ」

 千夏の気がついたことを響は肯定する。ヒントはこれまでもあった。だがここに来て確信が持てた。


 あの女神は、アマテラス大御神、或いはその影のようなものだろう。


「そう! 正解だよ、みんな!」

「白夜……」

「だが私はただの天照じゃない。さすがに陽の器に陰の魂は備えられないからね。いやだからこその黒い太陽――女性の太陽なんだけどさ」

 だから切り取ったのだ。その事を理解してくれたことが嬉しかったのか彼の頬が薔薇色に染まる。


 幸いにも白夜の性質は天照と深く繋がれるような性質だった。


 白夜。

 日の沈まない夜。つまり、終わらない朝。

 それは太陽のあるかぎり永遠で絶対だ。他の神にはないほど、白夜は天照と親和性が高かった。


 実際、今やアマテラスの自我と白夜の自我はそう大差のないレベルまで溶け合い同一化を果たしている。

 アマテラスの会えない母への、言葉にできない、愛されたいという痛みと悲しみのような感情と、けれども巫女として正しくあらねばならないという感情はせめぎあい、しのぎ合う。

 会いたいと子供のように暴れるスサノオに対する言葉にならない憧れすらも、白夜には理解できた。


 アマテラスの母はイザナミだ。

 彼女はアマテラスの兄に当たる存在、カグツチを産み出したときに焼死し、以降世界を、生命を、呪う存在になってしまった。


 だからアマテラスは知らない。


 御祓をして産み落とされた三柱――アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三柱の母は事実上イザナミだ。

 彼女のイザナギへの呪い、冥界の残り香こそが三柱だから。だからこそ、けれども彼女は知らない。


 母の与えてくれる愛を。


 知識として、神格としての、それは分かる。

 等しく恵み、等しく与えられ、等しく育むものだ。

 けれども愛されたことだけは一度もない。母の膝にはべり甘えたことも、母に会いたいと泣くことすら許されなかった。

 巫女として、国の長として、生きていくことを定められたその日から。アマテラスは『いいこ』だった。


 だから悲しかった。

 スサノオが暴れたときに、彼を庇ったのはその心が痛いほど分かったから。けれどもそれはしてはいけないことだった。だから、アマテラスは岩戸に籠った。己を恥じた。

 けれどもその胸に確かに沸き起こったのだ。

 自分も母に愛されたいという、気持ちが。


 白夜にはその思いが痛いほどに分かる。

 その苦しみが、その悲しみが、自分のことのように身近に思える。だから白夜は堕ちてなお、輝くのだ。


 彼は故に永劫の極夜を望んだ。

 子たるアマテラスが、子たる白夜が、必要とされない世界。子供のままでいることを許してくれる世界。太陽の求められない世界を。


 彼は故に岩戸に籠った。

 もしかしたら誰かが……という考えはない。ただ己を恥じている。恥知らずにも極夜に身をやつした己を。


 故に彼は永劫極夜に溺れる。

 天照岩戸は固く閉ざされて、永劫二人はふたりっきり。愛なんて諦めて、ふたりっきり。


 彼はだから、天岩戸の天照を飲み干したのだ。


 鈴音は刀をきつく握り締める。

「……そんなの、許すわけないじゃない」

「許す許さないじゃない。もう成り果てたんだから。それに」

 鈴音の刀が抜かれる。白夜を斬った……斬った、はずだった。抜かれた刀は白夜をすり抜け傷をつけることすらかなわなかった。白夜は穏やかに微笑む。

「ッ……」

 白夜は鯉口を切った。

 放たれた斬撃は空から落下し地面に当たると反射して拡散していく。八咫鏡と呼ばれる超絶技巧により鈴音の腕から血が流れ落ちる。

 その瞬間、響が指先を引いた。千夏の体が白夜の背後に飛び上がる。

「ッ……!!」

「……無意味。あまりに無価値だ」

 振り回そうとした大剣がなんてことのない力で弾き飛ばされた。

「な、なんで!!?」

「……君達は自分の影も確認してないのか?」


 その言葉に影をみた響は固まった。

 影は、影は、どちらにも伸びていなかった。ただ足元にまっすぐと存在していた。気がつかなかった。気がつかなかった。

「……貴方、そこにいるように見えて、遥かにいるのですね」

 太陽は、照らしている。

 燦々と、煌々と。

 それはどこかが影になることなんてない。明るすぎるほどに全てをつまびらかに照らしていた。つまり今の白夜には隠し事は無意味だと言うことだ。

「……そう。人は太陽には触れられない。それでいいんだよ。だからほら、終わりにしよう」


 視界が黄金に煌めく。

 夜明けの名を冠する刀はその意味を示す。


 日昇る刻限。

 月堕ちる刻限。

 地平の果てまで満たすのは太陽の眩い限りの光。それはあまねく全てを照らす孤高の明かり。

「ヴァルハライド、限定解放。私はただ私のために剣を振るおう。鈴音、残念だよ。私は君に期待していたのに」

 解放された刀は共鳴するように煌めく。絶望の光が視界を覆った。

「“地を照らせし陽炎よ。天に召します神々よ。ここに私は魂の一太刀を奉る”」

 叶わない。

 スペックも、出力も、遥かに追い付いていない。以前ハードとソフトが釣り合わないと話していた。けれども白夜の剣技は、十分に釣り合っていた。


 抜刀――日華。


 唇が動いたのが分かった。

 熱に地面が溶解していく。誰かが張った蝶の形をしたシールドの周囲が溶ける。そして視界を焼く鮮烈な光が魂を焼く。

 その上から降り注ぐのは花を描くような斬撃だ。

 世界の全てを白夜が焼く時、鈴音の意識は途絶えた。

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