第五章 永劫極夜・天照岩戸

第22話

 暗い闇の中は、酷く心地よかった。

 生きているのよりもずっと心地よかった。

 まるで、業に溺れていくようだと、思った。


 黒い闇に堕ちた自分が、バカバカしいと言うように死にかけて貫かれて息も絶え絶えの自分を見下ろしている。

「ゆっくり休め」

 黒く濁った魂の在り方。黒くくすんだ己の形。それすらももう、どうでも良い。

「後はここで休むといい。私という極夜が、お前という白夜を飲み込む。なにせ我らは二つで一人……対極図の如く明瞭に、ただ互い違いなのだから」


 そう、だから。

 もういいんだ。


***


「何なんだよ、あれ」

 千夏の言葉に空を見上げた。

 空に輝くのは黒い太陽だ。


 本来の太陽と全く違う、光を吸い込むような妖しいそれは、されども確かにこの世界を果てまで照らしている。それは影を作ることなく、あまねく全てを照らしていた。

 空から降り注ぐ黒いタールは地面を呑み込み、白い闇で満たしていく。白い闇は闇であるとわかるのに、まるで光のように全てを明らかにしていた。


 何よりも異質なには天に向かって伸びる巨大な女性の影と、その下に佇む白夜だった。彼のその姿はかつて東西戦線と呼ばれた戦場で猛威を振るった龍としての姿に変わり果てていた。

 黒く濁り果てたヴァルハライドのコアは女性の手の内で煌めいている。

 反転した地獄。

 白い闇と黒い光の奇妙な空間が世界を侵食していた。

「ッ帝都の! 何なんだよこれは!!」

「……ヴァルハライドの反転現象だ」

「は?」

「詳しい説明をしている暇はない。もっとも端的に言えばコイツは――世界災害だ」

「世界災害!? どういうことだ!!」

「覚悟を決めろ。くるぞ」


 胡蝶の言葉に応えるように、黒く流れ落ちる光から『なにか』が生まれてくる。白夜は女神のような影の下で嘲笑した。

「ははははははははは!! こんな世界はいらない! 愛なんて必要ない! それを尊いと謳うこの世界だって同じさ!! 来れ、永劫の極夜よ! 来れ、永劫の輪廻よ!! あはははは!!」

 黒い光から這い上がってくるのは人間の、影だった。黒い光で構築されたそれは銃や核を持つ武器――ヴァルハライドを持っている。

「こいつ……!! この地上にもう一度東西戦線を作り上げるつもりか!」

「は?」

「この影は! 東西戦線の帝都側の戦士だ!!」


 その言葉に応じるように白い闇からも騎士たちが現れる。その中には奏も混ざっていた。つまりは古都側の戦士たちだ。白夜は歓喜に満ちた表情で頬を紅潮させる。誰が見てもそれは、正気ではなかった。

「さあ、やり直そう! 私の過ちを! 私の間違いを!」

「自滅してくれるってわけじゃなさそうだな。くるぞ」

 やってきた黒い兵士を胡蝶は拳銃で撃ち抜いた。千夏も大剣をふるい、群がる群衆を蹴散らす。蹴散らせばそれらは黒い灰塵と化して天に消えていく。問題があるとすれば、吹き散らすよりも先に敵が湧くことだろうか。


 剣を振るっていた灰は響と紅を庇いながら胡蝶に指示を飛ばす。

「一旦退却して形成を立て直すべきだ! 胡蝶!!」

「ああくそ残念ながらそれが正論だっつーの!! 詠唱省略、めんどくセー所はぶった斬る! “常世の門、汝、開くに能わず”!!」

 省略した詠唱に突然視界が切り替わり、タールのような光に覆われる前の湖畔が目の前に現れた。まるで全てが嘘だったとでも言いたげなその光景に目を丸くする。足りないのは白夜自身くらいだ。

「……白夜、なんで」

「ああ? んなの本人に聞けよ。くそ、変に拗らせやがって」

「貴方は心配じゃないんですか!?」

 響の言葉に彼女は失笑した。

「何だよ、ここでメソメソすりゃあいいのか? そうすりゃあ心配してることになんのかよ。だったら一時間半ばかし泣いてやろうか? おーいおい、白夜くんがかわいそうな目にあって大変だよーってな。ま、その間に白夜は死ぬがよ」

「胡蝶。無駄に煽るな。それと、心配しているからとここに長く残ったと素直に言えばいいだろ」

「しの!! いうな!!」

 彼女は舌打ちをして、思いっきり灰と呼ばれている青年の足を踏んだのだった。


 それからそばにあった石に腰をかける。

「さて、どこから話すべきだ?」

「できれば詳らかに全てを話すべきだろうな」

「チッ……じゃあ、きちんと自己紹介するか。オレは東西戦線でいっぱい人を殺した暗殺者、で色々あってあんまりにも心配だから見にきた。胡蝶。コイツはオレの助手で神之瑪しののめ 灰。敵視してくれても構わないし憎んでくれても構わない。ただしオレらしかどうにもできない。これは覚えておけ」

「もうわかると思うがあまりに素直でないから付き添っているものだ。灰と呼んでくれ」

 憎まれるような言葉で自己紹介した少女はその言葉を鼻で笑うのだった。


 そもそも、この件は完全に帰蝶に投げるつもりだった。

 現在停戦中とはいえ、無駄な接点を作り悠長に構えていられるほど帝都と古都の状況は穏やかではない。


 軍人による国家支配を行う帝都と古い封建制を持ってきた古都との停戦はあくまでも仮のものだ。もし何かのきっかけで古都の考えが変われば、現在内部争いが絶えない帝都は一瞬で火の海になるだろう。先の対戦とは真逆に。

 さらに言えば勘当された白夜が個人で渡るならばとにかく未だ国の中央にいる胡蝶がこちらに渡ってくるのは火薬庫で火遊びに興じるようなものだ。


 だが静観できなくなったのはすぐだった。

「そもそもこのヴァルハライド……東西戦線で急速に普及したこの武器の出どころを知ってるか?」

「ええと……」

 誰もがその言葉に言い淀む。

 突然に普及したこの武器は民間人すらも大砲のような、人間兵器にするような優れた武器だった。鈴音やちなつが持っているのも、安価だからだ。それをもたらした大陸の武器商人の家が定期的に古都に荷下ろしをすると聞いている。

「お前ら……冗談だよな? そんな、何の疑問も抱かずにこれを使ってたのか?」

「それは……」

「はははは!! こりゃ傑作だな! ……どう考えても変だろうが」

 これほどに優れた武器が安価に手に入るのも、古都も帝都も同じように扱っているのも。どちらもがおかしな、間違ったことだろう。さらに言えば安価だというのに、欠陥があるという話や、壊れやすいという話も流れ込んでこなかった。


 上手い話には裏がある。そんな都合のいい話はどこにもないのだ。

 胡蝶は己の耳飾りのつまむ。普段はこのようにアクセサリーに擬態するのもこの武器の普及を援助していた。

「これを開発したのは獄幻家だ」

「な……!!」

「持ってきたっつー武器職人も獄幻家の手のものだ」

 獄幻家は帝都の優れた一族の苗字だ。愛野の本家でもある。

 彼らは別に戦場に武器の支援を善意でしたわけではない。古都を陥れようという気持ちすらなかったはずだ。

「あいつは戦争の勝敗なんてどうでもよかった。あいつらは戦場をこう捉えた。『都合のいい、実験場だ』と」

 戦場ではいつだって優れた技術が欲される。

 そして当時魔法というのは科学を上回る技術だった。今だってそうだ。


 そして良いものは普及される。どんな実験もモルモットは多い方がよりいい。彼らはその結果なんてどうでもよかった。ただ持つとどうなるのかを確かめたかった。だからそのためだけに、安価でどちらにも降ろしたのだ。

 はなから利益なんて二の次だ。勝敗もどうでもいい。それすらもただ、実験の一環だった可能性すらある。


「さて、この武器を誰もが持った。誰もが手にし、ありとあらゆることに使われた。その結果、副作用があることがわかった。当然だ、こんなに強力な武器を代償なしに使えるはずがない。じゃあそれはなんだったのか」

 魔法は精神と密接な関係にある。

 この武器は魂と密接な関係にある。

「この武器は使用者の体を作り替えることが明らかになった。更に負の感情が蓄積すると使用者を変性させることが明らかになったんだ。それがあれ、今の白夜であり、あの阿修羅だ」

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