第21話

「……そうだ! 白夜。私が白夜の願いを叶えてあげるよ!」

 きっかけはそんな、些細な善意だった。

 もう別に沈まぬ太陽に逢わずともよかったけれど、一人傷つき戦った白夜がなんの報酬もなくこのままいなくなるのに耐えられなかったから。


 だから、そのささやかな報酬を与えられたらと思っての申し出だった。


 白夜の瞳が揺れる。空に満ちた雲が黒く淀んでいく。

「…………願い」

 狂おしいのは渇望か。愛おしいのは渇望か。

 渇望。願いは、渇き、餓えた人への施しだ。

 白夜の声がぐらぐらと、煮えたぎる渇望に満ちていると気が付いていたら、なにか変わっていたのだろうか。

「あ、でも、私にできる範囲でのお話ね」

「…………なら、僕に君の願いを叶えさせてほしい」

「え?」

「僕に……――君の善意を利用した対価を払わせてよ、鈴音」


 落雷だ。地面にしとりしとりと雫が落ちていく。

 狂気に満ちた表情で白夜は天を嗤う。何をいっているのか理解できなくて、何を言ってるのか分かりたくもなくて。それがどうして白夜の対価になるのかを

「そうだよ、そうだ。最初からこうすればよかったんだ! こんな回りくどい真似も、こんな面倒なシナリオもいらなかった!!」

「白夜?」

「でも仕方ないだろ! 僕と言う存在を! 私と言う過ちをこの世から痕跡もろとも一切合切消せるなら、そんなの、それにすがるしかないじゃないか!」

 魂を掻ききるような絶叫が響く。雨は次第に強くなっていく。白夜は身体を折り曲げながら吐き出すように叫ぶ。

「どうしろっていうんだよ! なぁ! 私に何ができるんだよ!! 私の、何が、駄目だったんだッ……」

 黒い色がぬるりと落ちていく。したから現れるのは太陽の光のような金髪だ。


 全ての真実は、どんなに抗おうとも白日の元に晒される。晒されねばならない。世界に時効はない。墓場まで秘密を運んだからと言えど誰も安堵はできない。手を離れた秘密はやがて大きく膨れ上がる。

 太陽は全てを照らす。

 天を照らし、空を照らす。

 闇夜は虐げられ、全ては暴かれる。

 醜い醜い皮膚のしただってそうでないと、不公平だろう。


 だから今更愛して欲しいなんて思わない。

 欲しいのはただ一つ。冷たい抱擁だけだ。


「白夜……何で」

 美しいプラチナブロンズの髪がこぼれ落ちる。雨に濡れて乱れた髪は狂気そのものだった。瞳もまた朝日を思い起こさせるような金髪に変わっていた。

「髪の色を変えて、瞳の色を欺いて、一人称を変えれば、人間はこんなに簡単に別人になれる。鈴音、そう親しげに呼ばないでよ。もっと、宿敵に会えたことを喜んで欲しいなあ」

「……白夜、何で……もう、やめてよ、私、は。なんで! 貴方が黒龍なのよ!!」

 鈴音の絶叫に白夜は自嘲をただ浮かべた。宵闇は帳を失い、太陽の如く輝く。

「やめないよ、鈴音。これが僕の願いだ。だから僕らはまた会おう。初めまして、久しぶり。私の名前は不知火 白夜……帝都の、沈まぬ太陽と呼ばれた、貴方の養母を殺した殺人鬼だ。そして」

 振り上げられた刀が天を焼く。美しいほどに煌めく太陽の輝きは雨雲すらも斬り伏せて――どこまでも輝く。


「これから死ぬ人間の名前だ」


 ――太陽が、降臨した。


 考えている暇はなかった。戦いたくないと甘える体に鞭を打ち、己の刀を鞘から引き抜き、白夜の、庵の方まで叩き斬ろうとする刀を受け止めた。

「ッ……!! 白夜!! もういい、もういいから! もう傷つくことはやめてよ!」

「うるさいなあ。貴方に私の何がわかるんですか、紅刃。いいえ、違いますね。貴方はもう、私の狂気を理解しているでしょうに」

 刀が弾かれた。後ろに飛んだ瞬間、白夜の姿が視界から消える。考えるよりも先に背後に回った白夜の剣を弾き飛ばした。彼の表情が苦悶に変わる。

「なぜ!! 殺さない!! 殺せ! 僕を殺せ!! 生きることの無意味さを! 生きることの無価値さを!! 僕は知っている! だから、殺せ」

「で、できるわけないじゃない! 私たち、一緒に戦ってきたわ。それに貴方が私にダメだって、言った、のに」

「ははははははは!! あの程度の甘言に懐柔される復讐心であったのか! 愛野 鈴音ェ!!! その程度で修羅に落ちるなど片腹痛いわ!! であれば貴様、ここで死ね」


 瞬間、空に星が瞬くような、あるいは太陽の破片のような光が落ちる。それは白夜の放った斬撃だった。

「っ! これ、だから帝都の侍は……!!」

 なんでもありのでたらめ超絶技巧により物理法則を無視して降り注ぐ斬撃の幾つかを弾き飛ばす。けれども雨のように降り注ぐそれを回避しながら距離を一気に詰めた。

「これで……!!」

「下らないな。私の爪にすら届いてはいない」

 抜かれた太陽の剣は、白日の剣は、鈴音の阿修羅を無慈悲にも受け止めた。火花が飛び散り鈴音と白夜はようやく相対する。

「なんで、白夜……」

「何故何故と子供のように問うな、鈴音。貴様に私がどのように映っているかはしらんが」

 弾かれて身体が空に浮かぶ。刀が鞘に納められる。足が引かれた。不味い、と思うよりも前に彼の瞳が天を照らす。


「私すらも謀れぬのならば貴様に何ができようか」


 抜刀。

 白銀の煌めきが鈴音の腹を切りつける。地面に叩きつけられて背骨が軋んだ。

「……抜きたくなかったのに抜かせないでよ。僕の望みは君を殺すことじゃない。僕の願いは君の死じゃない。真逆だよ。僕は君に殺してほしいんだ。それが、最高の結末だろ?」

「びゃ、くや……」

 何度もそう呼び掛けているのに声が届かない。

 あまりにも、その絶望の前で鈴音は無力すぎた。

「捨てられた子供が! 愛されると望み望んで、戦果を挙げて! 誰かが僕をこれで愛してくれるって! そうじゃなくても一言、大切な子供になんでもいいから言ってくれるって、そう信じてたのに!!」


 その頬を涙が伝う。

 勘当されたとかつて彼は自分に語った。名前だけをもって言いと言われたと。今さらあのときの言葉が甦る。

「信じてたのにぃッ…………なんで僕を拒絶するんだよぉ…………」

 ――ああ。

 子供だ。目の前にいるのは子供だ。

 どうしようもない、子供だ。


 上ずった声が響く。無様なだけど自嘲した彼の中に埋没しきれずに化膿したままの傷口があって、それに触れたいと思った。ああ、そうか。

「……白夜、貴方……勘当、されたのね。私は、勘違いしてた。てっきり、白夜は戦争に出される前に勘当されたって。でも違う。貴方は……帰ってきてから、勘当されたのね」

 彼は傷だらけの表情で、なにも言わなかった。


 癒えることも、忘れることも、風化することも許されない。赦さない。この罪を背負っていきることだけが償う唯一のすべだと言うのならば。


 不知火 白夜はその資格を放棄し、甘んじて地獄に落ちてやる。

「……僕は死にたい。消えたい。いなくなりたい。誰も僕を愛してくれないなら……そんな世界なんていらない。なのに、なんで」

 なんで、に答えることができる。


 旅の間に、この短い期間で芽生えた全てが嘘だったのか? いや、多分嘘だったんだろう。それに何より白夜はもうなりふり構っていられないのだ。


 千夏の無様を照らし出し、響の必死さを照らし出し、鈴音の胸にある矛盾を照らした彼は泣きながら嗤っている。嵐の中、叫ぶように問いかける。


「なんで僕を殺してくれないんだよッ……!!」


 鈴音はただ唇を噛むことしかできなかった。

 だって、その答えを教えるのに鈴値は、あまりにも無力すぎたのだ。


 天寿は今や腐り落ちた。

 最早、白夜を救えるものはない。彼の願いはどのシナリオでも果たされない。だからこその保険だった。このために、彼が張った保険だった。

 けれども保険の少女は指先ひとつ動かさずにただ、同情するように白夜を見るだけだ。


(…………ああ。君と僕の間にあった、この歪んで間違った関係性あいすらもこの世界は否定するのか)


 それならこの世界なんてもういらない。

 憐憫も、同情も、腐るほど持っている。

 そんなものの為に生きて、戦って、死にたがっている訳じゃない。


 でもそれが通じないのなら。

 それが届かないのなら。


「…………は愛なんていらない。それを尊いと歌うこの世界だって、はいらない」

「離れろ!! 愛野 鈴音!」

「え?」

 千夏に引き寄せられた鈴音の前にタールのような黒い液体が空から降り注ぐ。白夜の太陽のような輝きを打ち消し、零れ落ちる。

 それはまるで、決して誰も見た事のない極夜の帳のようで。


「クソが!! 厄介な仕事を増やしやがって!!」

 胡蝶の罵倒に黒いタールの中で瞳を閉じている白夜は答えない。彼はその手を天に向けて伸ばした。最早それは液体と言うより、黒い黒い光のように。


「……神あるべき神座に。神降りるべき神座に。私は今、その手をかける。永劫輪廻。永劫極夜。梵天が空を照らすのならば私はその明かりを飲み込み、永遠の夜を与えよう。この天岩戸の中で、永劫の時を過ごそうではないか……!!」


 見開かれた瞳は金色に。空にきらめくのは黒い太陽。全てが黒い光に照らされて白く見える矛盾の結界。白夜は黒く濁ったヴァルハライドのコアを愛しそうに撫でた。

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