第20話
裸足で走る。
小さな小石で足の裏からは血が出ていた。市街地は炎に包まれ、煙が上がっている。千夏や響とははぐれてしまった。分からない。分からないけれども、呼び声がする。
足を踏み入れては行けないと紅に言われたしめ縄を潜り抜けて奥へ、奥へと走る。傷だらけの足は痛かった。あまりにも痛かった。
――これはあの日の記憶だ。
紅が、殺された日の記憶だ。
涙をこらえながら必死に走った先に、御神木があった。鈴音は驚いて足を止める。そんな足元に、桃のような木の実が落ちた。
驚いて数歩よろけ、後ずさる。
汝、望むのならば食べよ。
望み、願い、祈り、すがれ。
そんな声が聞こえたような気がした。鈴音は躊躇わずに手を伸ばす。心の中が黒く黒く叫ぶ。
あの日々を取り戻したいと。
あの日々に帰りたいと。
みんなを――みんなを、生き返らせたい、と。
「……あら?」
鈴を追った先にいたのは小さな子供だった。踞って泣いている。
「だ、誰?」
「……………………忘れたの」
朝陽のような金髪が揺れる。淀んだ明けの空のような瞳が鈴音を睨み付けている。
「生き返らせたい、って願ったでしょ、アナタは。アナタは僕の願いを踏みにじることで、アナタの願いを偽る罪悪感を消したんだね」
「え…………っと……」
「貴女は、はなから、復讐なんて望んじゃいなかった。僕は貴女の手のひらの上で都合良く踊らされてたんだ……ねえ、鈴音。思い出しなよ。あの日――誰が、紅を殺したのか」
黄金の髪が揺れる。淀んだ明けの空のような瞳が鈴音を見下ろす。血の滴る刀を持ち、紅の首を持った男は、黒い龍の羽織を身につけた男は。
「私…………貴方のこと、知ってるわ……?」
***
「鈴音!!」
叫ばれた声に思考が切り裂かれた。そこは見慣れた紅の庵だった。自分の手を握る響は涙をボタボタと落としている。
「え、あ…………くれないさま? ひびき? ちなつ?」
周りにいる全員の名前を呼べば、三人ともあからさまに肩を安堵の息と共に降ろした。それと同時にどことなく、喪われていた記憶がフィードバックした。
「あっ!! み、みんな!! 怪我は!? 私、本気で阿修羅を振るったから……!!」
「本気あれかよ」
「普通に怖いんですが」
「マジでな」
「未来予測が間に合わなかったです」
それはそうでは?
未来予知が間に合う奇襲はそもそも奇襲じゃないと思ったので必死に――あ。
「……普通のひとは未来予知持ってないわね」
「バカじゃん……」
ああ、よかった。
「…………私ね、お願いしたの。みんなに会いたいって。死んでるのなら……甦らせるからって」
心も、魂も――器も。
楽しかった日々を甦らせてほしかった。その結果、夢の中に堕ちようとも構わなかった。いや、むしろそれをこそ願っていた。
「天寿は望むようにはかなえない」
かけられた声に四人は驚いて振り向いた。胡蝶は髪を弄りながら続きを述べる。
「当然だろ。最初の百年ならいざ知れず、狂えども狂いきれぬ二千年、誤りながら歩き続け、かつての憧憬は純粋な狂気になり果てた。そんなもので望むように願いを叶えられると思ってたなら、ずいぶん頭がお花畑だな」
「ええと……」
「獄幻 胡蝶。愛野の家の大本の縁者だ。心底どうでも良いがな――おい! 帰蝶!」
「おう、胡蝶! 元気にしておったか?」
「あんだけ忠告して挙げ句全部スルーした癖にずいぶん虫のいい話だな」
胸に風穴をあけていたはずの帰蝶が朗らかに笑いながら胡蝶に駆け寄った。まるで懐いている猫のようだ。どんびきした胡蝶が誰かを――あ、白夜と響だ。うん、良く似ている。
「なんじゃ、妾が心配じゃったのか?」
「お前、帰ったら覚えとけよ。っつー訳で夜が明けたらオレと帰蝶と灰は出る。長居はできねえからな」
去ったいった。
嵐だ。いや、嵐のが優しいかもしれない。
「……そうだ。紅様。白夜はどこにいるか知ってる?」
「ん? 白夜は外にいる。少し風に当たってくるとか言っていたな」
気になる。
自分を止めたのは、たぶん彼だ。彼以外にはきっと止められないだろう。紅では互角の天寿と、天性の慢心が邪魔をして殺しきれなかったと思うし、そもそも千夏や響きの癖は鈴音に筒抜けだ。
だとすれば勝てるのは彼一人だろう。
……あのボーイッシュな女の子は分からないけど。でも彼女はまるで関わりたくないと言うような態度だ。そう言うことだろう。
鈴音は立ち上がると羽織を身につけて外に出た。
庵から伸びる道をしばらくあるいたところに、彼が立っていた。彼岸の森は完全に腐食していた。
「…………白夜」
彼がこちらを向く。
宵闇のような髪に、黒曜石の瞳。溶けるような白い肌。いつもなら力強く、どこか飄々としているような彼が今はどこか、触れたら壊れてしまいそうな儚さを持っている。
「鈴音。傷は? まあ、四日も寝てたから元気だろうけど」
「うん。紅様が基本的には全部治してくれたみたい。白夜も?」
「なんとかね。利き腕の方も回復してくれて本当に助かった」
その手が力強く掴まれる。良く見ればしっかりと鍛えられたいい腕だ。
「白夜……その、ごめんなさい」
「え? ごめんってなにが?」
「……その……」
湖の対岸には腐食しきった森が見える。
数日もすれば元の大地に戻りすぐに木が覆うだろうとは説明された。けれどもそこに――白夜の望んでいた果実の特異性はない。
「……天寿、ダメになっちゃったじゃない?」
彼は一度眼を丸くしてから子供のように笑った。
「いいんだ。あれは僕が拒絶したから。鈴音やちなっちゃんのせいじゃないよ」
「でも」
自分が暴走しなければ、という気持ちが胸にたまる。
鈴音は白夜の隣に腰掛けた。
あの瞬間。紅の生存が分かった瞬間、鈴音の心の中では彼女の生存を喜ぶ気持ちより、『なんで』が勝っていた。別に紅のために人を殺していたわけではない。わけではない、けれど。
「……私ね。多分、誰かを殺した時に紅様の仇だから仕方がないって……罪と向き合おうなんて思ってなかった。これまで殺してきた人たちは、その罪はどこに行くのってばっかり考えてた。間違ってるよね。だって、そんなの。私のものなのに」
でも思ったのだ。
どうすればいいかわからなかった。紅の仇のためだけに生きてきた。そのためなら、修羅に落ちても構わないとすら思っていたのに。それが、その全てが嘘だったなんて耐えられなかった。
全てに意味がないと言われたように感じた。そんなことないのに、そう思った。
罪と向き合ってなかった。今ならわかる。この痛みも、罪も、自分のものなのだ。どんなに痛くて嫌でも、それを背負って生きていくしかないのだ。これを背負って生きていくことこそが他ならぬ贖罪なのだから。
「……白夜も、こういう気持ちになったことがあるかなって、勝手に思ったんだけど……どう、かな」
「そうだね……ないわけじゃない。僕は鈴音みたいに賢くなかったから、すぐに諦めきれなかったし、ね」
「え?」
雲の隙間から伸びる月光に照らされた彼の表情は憂鬱そうな表情だった。儚げで、吹けば消えてしまうような、そんな気配すらあった。陶器のような肌が青白く、彼は言葉を紡ぐ。
「妾の子でも、化け物でも、僕は父さんと母さんの子供だ。だから愛してくれるって……思ってた。無償の愛なんてどこにもないのに。愛してくれる補償なんてどこにもなかったのに」
「…………白夜」
「だから諦めたんだ。だってそうでしょう? 誰も愛してくれないのにすがったって……無様なだけじゃないか」
闇夜に溶けたのは、あまりにも冷たい声だった。
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