第17話
木々の間を駆け抜けて、土手を滑りつつも鈴音を追って奥地、禁足地へと足を踏み入れていく。奥にいくにつれて薄紅色の霞が視界を閉ざしていく。揺れる木々の音がまるで神々の嘲笑のようにすら聞こえる。
最後の土手を滑り降りたそこは、一際、ひらけた空間だった。空に見えるのは満月だ。それがただ穏やかに一本の木を照らしている。足首ほどの高さまでの湖が、その木を囲っていた。
清水が湖にこぼれ落ち、天寿の花が年中咲き乱れ、されど厳かなその雰囲気に言葉をなくす。直感だった、と思う。直感的に理解した。
これが、神木だ。
鈴音がその前に立っている。深い青の瞳がこちらを見た。
「……やはり。見えてるんだね」
「当たり前でしょ? 紅様は自分の能力を過信してるけど、あの力は私の対極だもの」
それに関しても出る言葉はやっぱりか、だけだった。
蘇生と殺害。
からくりは全く同じだ。殺害の方が分かりやすいだけで、同じことが起こっているのだ。
殺害の天寿は現象を殺す。例えば先の紅は、鈴音の視力を殺害していた。その結果、鈴音は盲目の状態になった。当然だ。見えるという状態の対極にあるのが見えないという状態だからだ。
一方で蘇生の能力も、その実は殺害しているのだ。もし鈴音が同じことをするとすれば、彼女は見えないという状態を蘇生する。その結果、見えるという状態はなくなるのだ。
二つの出来事は決して両立はしない。その前提があるからこそ可能な裏技のようなものだろう。
「だから君は自分の視力を蘇生した」
「そう。紅様は私の視力を殺したもの」
「紅を殺さなくても良くなったの?」
「ふふん。白夜。私もう、月に呑まれてないもの。だから分かるわ。白夜は私に沈まぬ太陽を見せてくれるって言ったじゃない?」
ああ、なるほど。
どうやらあの空しいだけの約束が、二人を未だに縛っていたらしい。
「…………はっ」
「白夜?」
ダメだ。まだダメだ。堪えろ。
「鈴音。僕は、君を、殺すつもりじゃなかった……殺すつもりじゃなかったんだ」
二回、繰り返した。
口許を隠したまま、刀に手をかける。
「でもダメだ。君は、ダメだ。君を――殺さなくちゃいけない」
「…………へえ。白夜、私のこと殺せるんだ」
殺せるに決まってる。
かつてあの黄昏の英雄は言った。例え死屍累々の地獄を築こうとも、自分はなす事をなすと。全くもってその通りだ。
「じゃあ白夜――死んで」
鯉口が切られた。鞘から飛び出した刀は高速で空間を斬る。早い。いくらなんでも早すぎる。紅の行った空間を斬るあの斬撃が、白夜のやったように乱反射しながら近付いてくる。
魔力を刀に込めて一気に斬撃ごと切り裂いた。打ち漏らした何度かが身体を掠めた。血が吹き出す。
鈴音はまた鞘に納める。
居合切りだ。居合で鈴音のスピードについていけるわけがない。だってこんなの、幾らなんでも――。
すぐに地面を砕くような斬撃の乱打を降らした。それがいくつかの斬撃を打ち潰す。が。
それよりも遥かに高速で一撃一撃が繰り出されるのだ。空間を斬れる僅かな視認できないはずの一瞬のそれが、帯状に続いてみれるような斬撃。
「阿修羅無双・鯉の滝登り」
「くっ……!!」
冗談だといってほしい。このままではこの一撃で負ける。そんなの、あって言いはずがないだろう。
「ああ、くそ、本気でやれってことか!」
天寿を睨み付ける。
刀が黄金に煌めいた。陽の光を帯びたそれが目映く地平の果てまで照らす。まるで、太陽のように。
一足。それは地面を押し潰す。
二足。それは這いずるように。
三足。まるで怪物だ。
四足。あまりの光に陰が――尾を、引く。
五足。それこそ蛇足だろうに。
黒い陰が顎をひらく。鈴音を捕食せんと口をひらく。鈴音は冷たい目で蛇の怪物のごとく近付くそれを見下ろした。
彼女の持つ、紅の刀身の刀が、鞘に収まる。
ちょっと待て、さっき彼女は鞘に納めていたはずだ。何故、今また収めた?
収めたということは抜いたのか?
では、では……抜いたのだとしたら。
彼女は、何を斬った?
地面にぽたり、ぽたり、と真っ赤な雫が落ちる。水がゆっくりと汚れていく。その中で花ひらく深紅の雫。白夜は両手を見た。
皮膚の表面を無数に浅く斬りつけただけの斬撃。
それが数千、数万、ついている。
「………………え?」
また鞘と刀が擦れるあの独特の音がした。そして、足に激痛が走る。右足が、落ちていた。その事に気が付けたのは倒れたからだ。
絶望という言葉が脳裏を染め上げる。鈴音は微笑んでいた。
「……神降り立つべきカムクラに。私は今神を宿して降り立つ。新たなる神。神聖なる神。祝福せよ。これこそが、神の誕生なれば……なぁんて。神なんていないよ。私を貶めた存在になんて、私がなるわけ無いじゃない」
角だ。
額から天に向かって伸びるのは、焔で結晶化した角だ。その手足も燃えている。つまり、あれは鬼だ。いや或いは、本人はそのつもりはないと公言したが鬼神の類いかもしれない。
少なくとも白夜には皆目見当がつかない。
どういうわけかあの戦争で、数人が鬼だったり神だったり、ひとの中に大部分魑魅魍魎が混ざっているのを知ったが。それでも、見分けるのは無理だ。
その手の本は読んでるだけで眠くなる。
と、現実逃避をしたが幾らなんでも血が流れすぎている。このままだと確実に出欠死だ。どんだけ血が流れても流血になれた自分はショック死をしないだろうが、血を失えば人は普通に死ぬ。
不意に、視界を影がおおった。
「ずいぶん愉快な様でいき倒れてるんじゃねえか、ええ? 白夜」
鈍色の髪が視界の端で大変愉快そうに嗤っている。
「はっはー。髪染めちゃって。そりゃ半分くらいしか実力がでねえ訳だ」
「アナタ、誰よ」
「馬鹿だなァ。てめえでてめえの力の源を潰して死にかけるなんて馬鹿のすることだぜ、白夜」
「誰なのよアナタ!!」
彼女はつまらなさそうに顔をあげた。いや、多分実際つまらないのだろう。紅が傍に駆け寄ってきて足を洗っている。洗ってどうにかなるのか?
「……誰ってなんだよ。おいおいおい、誰ってなんだよ。オレはオレ。こいつはこいつ。てめえがこいつのなんなのかは知らねえし、てめえがどうしてそんな業を抱えて生きてるのかは生憎、興味がねえがよ」
本当に興味がないのだろう。
彼女のそれは、まるで。
「……てめえは失敗だ。目的地を間違えた成功なぞ、あの家は欲してない」
瞬間、降り注ぐべく現れた炎の剣が影から伸びた黒い水銀に嚥下された。銀髪の男性が諦めたように溜め息をついた。
「胡蝶。あまりやりすぎるなよ」
「っるせぇ。白夜がさっさと起きねぇなら殺す。骨の髄まで喰らう。オレには、私には、獄幻の長としてその資格があるはずだ」
彼女は――否。あえて言おう。
獄幻家の娘。在るだけで障る狂った少女。獄幻 胡蝶が、凶悪な笑みを浮かべた。
「ッ……この、クズが……!!」
走る灼熱の炎が無数に世界を焼き尽くす。胡蝶はこの中で右手を振るった。水銀が即座に炎を呑み尽くす。
「……白夜。アンタ、あれはなんなんだ?」
「え、あー……帝都の誇る、人間兵器です」
そうとしか言いようがないだろう。そうとしか言えないだろう。彼女の瞳が好戦的に煌めいた。
「“
空から落ちる水銀の雨が斬撃を撃ち抜いた。それはさながら弾丸の雨のようだ。
その接戦の間も紅の指先は戸惑わずに白夜の足を縫合している。素晴らしい医療技術だ。麻酔がないことが悔やまれる。
「処置は儀式的なものだ。『斬った』と言う概念がベッタリとついてるから縫合すれば……あー。とりあえず、前と同じように動く。斬られたのは嘘だと思え」
「うん、分かった」
「響! 全身の消毒をしろ!」
「はいはーい」
岩が崩れる。木が破壊される。彼女の指先が無数の水銀を扱い、操り、三千世界を支配する。鈴音は地獄を作らんと世界を燃やそうとする。
「はっ……は、は、は! ソフトウェアにハードウェアが追い付いてはねえぞ!」
「なっ、その言葉は二度目よ!! 私を侮辱してるっていうの!!?」
「事実を言ってのけただけだろーが。オレみてえにソフトにハードを合わせる努力を重ねろ」
鈴音が吹き飛ばされた。体格差はあからさまなのに、胡蝶はすぐに鈴音を飛ばす。
「…………――“蘇生”」
胡蝶の瞳の瞳孔がズレた。
一撃が外れる。代わりに火柱が立ち、彼女の肌がジュッと小さく焼けた。勿論、直撃は避けたようだが。
「くそ! おい! そこの三馬鹿! 誰がコイツに感性の殺しかたを教えた! 素直に名乗り出ろ! 特別に殺してやる!!」
「はいはーい、美しいお嬢さん! 私じゃあないでーす!」
「……私の天寿じゃそんな芸当はできない」
「つまりこちらの唐紅のご婦人だ」
青年の言葉に紅は黙ったままだ。胡蝶がこちらに待避してくる。
「目は?」
「盲目が蘇生された程度でダメになるとでも? 見えないならその目は破棄だっつーの」
それはそれで怖いのだが。
胡蝶はなかなか似合わないと以前指摘した、繊細な装飾の施された杖をどこからか取り出した。
「白夜ァ。調子は?」
「いける、と思うよ」
「よーし、バトンタッチだ。さすがにこれは手が折れるわ。ッつー訳で、オレと灰は天寿の徹底妨害。白夜がアタッカーで、他のメンツは補助な」
胡蝶の勝手な宣言に全員が首をかしげた。
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