第16話
愛野家の目的は神を作ることだ。
それは獄幻の家とそう変わらない。だが――彼らは目的地を違えているのだ。
「天寿は寿命を克服するために作られた果実だ。アンタも知ってるとおり、あれを願いと共に嚥下すれば願いに共鳴した能力……固有の魔法を手にいれることができる」
白夜の体に手当てを施しながら紅は言葉を続ける。
「だが一方で、それでは万能の神は作れない。あまりにも能力が強力すぎてひとつにひとつの魔法しか与えられなかったからだ。だからこその燐兎顕現だ。が、勿論オリジナルには叶わなかった」
「鈴音、彼女は何者なんですか?」
「彼女は…………愛野の最高傑作だ」
神。
それはさまざまな解釈をとることができるが、愛野家……ひいては獄幻家が目指す神は、人と同じ視点を有し、人のためだけに在る神だ。それでいながら超人的な視点を有している存在だ。
「だが神の中には、いや、大抵の神は人の心を知らない神がいる。その一例として、寺院に奉られている阿修羅があげられるだろう」
「阿修羅」
「ああ。古い神性だが、その性質が質が悪い。生命の生きる喜びを踏みにじり、戦乱と混沌のためだけに存在する、人間からはおおよそ理解できない怪物だ。だが同時に、善なる存在、正義として扱われる」
「ええと?」
困惑した白夜に紅は答えを出すことにした。
「つまりだ。戦争は悪なのか――と言う話だ」
背筋が冷たくなった。
「戦争は無論悪だ。良くないものだ。だが、戦争そのものに罪があるのか?」
例えば戦争は多くの命を散らせる。一方で技術の革新をもたらすこともある。在る戦争で国が潤った、なんて話は良く聞く話だ。
或いは、例えば歴史上に戦争がなかったとする。
その時歴史はどのように変化するのだろうか。
もしかしたら戦争がなければ今ほど科学は進歩していなかったかもしれない。
とても不愉快な話だ。だが一方で戦争は歴史に必要なものだった。必要なものだった、と言わざる終えないだろう。
「だからアタシは封じた。そんなものをばらまくわけにはいかない。認めて良いはずがない。如何に我々の歴史に戦争が必要だったからといって、殺人が必要だったからといって、それを正義と許すわけにはいかない。そもそも戦争だってどちらが正しいか、正義を証明するためのものだった。それがいつしか厄災へと成り果てた」
よかった、わるかった。
そんな単純な話ではなくなっていった。
「神木に封じられているのはそういう神だ。人が何人死のうが構わない。命が幾つ失われようが構わない。ただあれは、在るだけ。在るだけで障る神。人間の種としての悪を煮詰めた神性だ」
醜悪な善意が、醜悪な感情が、国を、人を、呑む。
誰かを傷付けることを容易くするそれが。
「悪行をもって、人間をひとつ上のステップに持っていく。愛野の目指した神はそれだ。人間の社会を持続させる為に研究してる魔法師たちらしい結論だ。持続させるためなら戦争だって、生存競争のひとつだ。だからそれも持続させるに含まれる」
「ば、ばかだろう!!? なんだそれ、お、おかしい。徹底的にそれは間違ってる」
「間違ってようと構わないんだよ。人間という世界を維持できれば、な」
二人は市街地を駆け巡る。目的は千夏と響、帰蝶との合流だ。もう既に市街地のほとんどが蔦や枝に覆われている。
「そのために何人を殺すつもりなんだ!」
「何人死のうが知ったことではない。彼らが焦るのはそのせいで人という種が滅びそうになった時だけだ」
正しさも、過ちもない。
凡人には許せないことでも、それが種の存続のためになるならば喜んで手を汚す。それが狂気だ。それが脅威だ。
木は人を苗床に生えているものすらあった。
それは地獄絵図だ。あまりにも美しく、おぞましい、吐き気のする地獄。
その奥に、人が、立っていた。
純白の衣にひらりひらりと桜のような形をした花びらが落ちる。その足元には夥しい量の死体が置かれていた。傍には千夏と響、帰蝶が満身創痍で踞っている。
「ッ! みんな!!」
「待て動くな!!!」
白夜の声に振り向いたのは――深紅の髪の、探していた少女だった。その顔は返り血にべっとりと濡れている。
「…………鈴、音」
「ふふ、ふふふ、あは、あはははははは!!」
狂喜に濡れた声が森に響く。
「あーあ。つまらないわ。アナタ達人類は、柔らかくて、脆くて、命ばっかり。生きてるだけのただの生産性の無い生き物。弱いばかりのがらくた。でも千夏や響、紅様に白夜は違う……そこの蝶の一匹も。まあ、許してあげるくらい強いんじゃない?」
「はっ、辛いのぅ……なるほど確かにこれは胡蝶が無理と言うはずじゃ」
「…………帰蝶さん?」
胸が真っ赤に染まっている。豪奢な彼女の錦の着物が赤く濡れている。
「かかっ。安心せい、致命傷じゃ……まあ、この程度では死ねんがな」
神々しく鈴音は修羅のようにそこに君臨している。帰蝶に致命傷を与え、響と千夏を再起不能にし、ただ意味もなく、意義もなく殺している。
「…………ダメだ。ダメだダメだダメだ……鈴音。そうなるのをアタシはいいと、許せるとは、決して言えない」
「紅……!?」
両手でまばゆく輝くのは研ぎ澄まされたメスの刃だ。美しく、鋭利に輝くそれは、本来であれば精密な作業を行い命を存続させるものだ。
だが紅のそれは、そのような生易しく善意でできたものではない。
形こそメスの形をしているが、その実情は暗器、暗殺に使われる武器に等しい。投擲武器として改造されたそれが手のなかで輝いている。
「私に挑むの? 愚かな人類。そんなことをしても天寿の端にすら届かないのに。私の足元にすら及ばないのに」
「いいや、及ぶね。
森が夕日に染め上げられるように、瞳の色が変化していく。次第に瞳孔が開かれ、極限まで肉体が高められていくのを感じる。
「使いたくは無いけどな。でも、鈴音のためなら安いものだ」
紅はメスを空中に滑らせた。
その瞬間、鈴音は顔を覆った。
「あ、ああ、あああああ…………!!!」
目が宛もなくさ迷う。
「み、視、観、診、看、見え――見え、見えなぃ!! 見えない!! み、未来も! 過去も!! なぜ、何故、ナゼッ……!!」
見えない……?
紅が更に指を振るう。
「っあ! 何を、何を使ってる!! 今度は、今度は、聞こえない! 聞こえない!! 見えないし聞こえないっ…………」
「そう。見えないし聞こえない。もう二度と、だ」
紅の身体が懐に飛び込む。銀色に光る星の煌めきがこぼれ落ちる。それは。
指先を拓いた。
手首を、肩まで。
血が出ようとも構わずに、ただ――ただ、神経だけを拓いていく。
利き手の神経、だけを。
「…………」
見ていることしかできなかった。
彼女は覚悟をしたのだ。
何をしたかはすぐに分かった。彼女は鈴音の視界を“殺した”のだ。彼女は鈴音の聴覚を“殺した”のだ。そして彼女は。
愛しい愛弟子の、娘と呼んでも差し支えの無い、少女の利き腕を彼女は“斬った”のだ。
その意味が分からないわけではない。剣士にとって利き腕は死守しなければならない腕だ。それを斬った。正確に、まっすぐと、拓いたのだ。
「っ、う、腕が! あああああ!!! アナタ! アナタ、アナタ……! 死になさい!!」
放たれた炎でできた剣が紅に目掛けて飛んできた。
白夜は咄嗟に紅を庇うように前に出る。のと同時に、水銀でできた盾のようなものが剣を弾いた。
(……今の盾は)
「鈴音!!」
彼女の姿が森の奥に消える。だが姿を見た瞬間白夜が思ったのは逃げられる、という感情ではなかった。
なんであんなに、確かな足取りで逃げてるんだ?
嫌な予感がする。
そして、それは多分当たっている。
「……紅さん。すみません。僕、彼女を追いかけます」
「は??」
「紅さんはみんなの治療をしてください。あと、この後多分スッゴい口調が乱暴な女の子がくると思うんで! その子に『ごめん』って伝えてください!」
「はあ???」
紅の疑問をそのままに奥地に踏み込んだ。
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