第15話
びっこを引きながらフラりフラりと、光の元へと歩いていく。白夜のそのさまは、さながら、光に誘われる蛾のようだった。
既にひび割れて砕けた自我に残る使命感に突き動かされ彼は必死に歩いていく。虚ろに揺れる瞳は、廃墟の奥――紅に光る髪に釘付けにされた。
あれは、ちがう。
あれはうみじゃない。
だけど、あれこそが。
「……速かったな、白夜」
かけられた声に虚ろに瞳を持ち上げる。その手に握られた刀は宵闇と言う名とは真逆の輝きを灯していた。
「…………あなたをころす」
「ほう?」
「貴女を倒す。それを、貴女の弟子には譲らない。紅 輝夜。僕が、貴女の敵だ」
緑色の着流しを纏った紅は、くつくつとくぐもった笑い声を出す。そして、不意に、大声で笑った。
「ははははは! アンタが、あの龍にすら匹敵する白夜殿が! よもや、一人の女の子のために戦うなんて!」
「笑うな。貴女の声は私の頭に響くんだ」
月が紅い。最早疑いようもなく感染し、呑まれた頭を抑えて刀を構えた。結わえた黒髪が揺れる。
刹那、月光が交差した。
それは月の光から堕ちた針のようなものだった。
僅かな斬撃が空間を切り落とし、それが銀の無数の針となる。衝突し飛び散った火花に白夜は舌打ちをして後方に跳んだ。
「遅い!!」
投擲されたメスを宵闇の力をふんだんに混ぜ込んだ一撃でなぎ払う。その隙に後ろに回ったと思わしき紅が短刀を抜いた。
「……“天岩戸”」
刀を僅かに振るうだけで短剣は内側から破裂した。
その衝撃で紅の体が宙を舞う。刀の鯉口を斬った。
「“五月雨”」
降り注ぐのは数千の打撃のような一撃だ。
千夏の剣『飛燕』は大きな剣であり刃を鍛えていない。が、その切れ味は抜群である。理由は加圧だ。
そもそも刃は一点に強い圧がかかることで切れるのだ。実に原始的な理論だが、利にかなっているとも言える。
五月雨は一撃一撃が白夜が凝縮した筋力と魔力でもって放った超高圧の打撃だ。つまり、当たれば弾丸のごとくはぜる。
実際に周囲に落ちたその一撃は、大地を抉っていた。紅は懐からメスを取り出す。
「ッ……!! 阿修羅無双の一撃よ!」
紅の一太刀が魔力を断った。白夜は即座に地面を蹴る。
白夜と紅との、一瞬を分けるのは常に判断だ。
紅の女性としての柔らかな筋力では無論、鍛え上げた白夜の筋肉には及ばない。
逆に紅の天性の剣技やそれに対する高い理解は、白夜の凡庸の目には見ることができない。
技量はほとんど互角だ。
扱うものは違えどもそれぞれ人外の戦いを可能にするものを持っている。だからこそ、僅か、それこそ刹那や一瞬といった僅かな刻限に行われる判断が、二人の戦いを狂わせるのだ。
紅の指先が白夜に触れる。
斬るとは断つだ。断つと言うことは拒絶だ。
なるほど。ならばどうして、手でモノが斬れぬと言える?
白夜と紅の間の接地面が斬られた。それは先程の空間を切り離すことでの距離の詰め方とは真逆だ。拒絶。或いは接地したと言う事実を斬ったのかもしれない。どちらにせよ白夜の身体は吹き飛んだ。
「ぐっ……あっ……!!」
何度も地面を跳ねながら壁に叩きつけられた。鼻の奥の骨が折れたのかもしれない。血が止まらない。それを脱ぐって刀を杖に立ち上がる。
「なんでそう必死に戦う」
「ぼ、くは」
「そんな風に戦うことになんの意味がある。いや、お前はもう既に意味がないと知ったろ?」
傷付き、苦しむことに意味はない。
これはもう、ただ、苦しいだけだ。
……ああ、知ってる。
いやになる程知ってる。
「…………だからだろう」
「ん?」
「狂ってるから、今は、分からないだろうけど……だから、彼女が貴女を殺すなんて、あっちゃダメだ」
生きる目的がなくなるのは、辛いことだ。
それを訳知りがおで話せるくらいには理解している。
なんの苦労もなく生きていくのと同じくらい、生きていく目的がなくなるのは、辛いことだ。その苦しみが分かる。
彼女の夢は復讐を果たすことだ。白夜はその成就を祈ってる。でもだからこそ、復讐が、無為だなんて思ってほしくない。
「あの子はまだ、十八だ。まだ若い。子供だ。私からすれば、まだ美しいつぼみだよ」
そして彼女はもうすぐ復讐を終える。
その時に彼女は幸せか?
復讐と言う虚無だけが彼女の手に残るのか?
「それには、貴女が必要だろう」
十八才なら、何をしたいだろうか。
母の元にかけよって今日あった話をして、父と笑い会い、友と戯れ、無邪気に明日を語りたいはずだ。なにかを成し遂げた先になにもないと知るのは、もっと後でも良いはずだ。
「貴女は、あの子の母だ」
紅の目が見開かれた。
「…………アタシが? あの子を捨てた、アタシ、が? 妹、茜じゃなくて?」
「血の繋がりなんて案外どうでも良いんだ。少なくとも鈴音は貴女を、母と慕ってる」
「な、なんで、だって……あの子の母親を殺したのは、アタシだ」
「でも分かってるでしょう?」
紅の顔が歪んだ。
当たり前だ。鈴音にあって、紅にないはずがない。
「…………ばかな……」
妹夫婦の幸せな食卓に邪魔をするのが好きだった。
幸せな未来を、無かった幸せな明日を、思い出させてくれるような気がしたから。なにより小さい頃の鈴音はかわいかった。
子供が好きだったから、紅は良く遊びにいった。
その日、鈴音が紅になにかをいった。
子供らしい好奇心に満ちた言葉だった気がする。だけれどもそれは紅の琴線に引っ掛かって。
気が付いたら、娘を守るように妹夫婦が倒れていた。傷ひとつない鈴音と紅だけが、真っ赤な食卓にいた。幸せは一秒で温度のない無機物へと変わった。
守らねばと思った。
この子を、守らねばと。
それだけが己のこの深い業を癒せるのだと。
「…………」
傍にいれば大切になる。
傍にいれば愛したくなる。
そうだ。分かっていた。分かっていたとも。
千夏から鈴音を庇った地点で、紅は既に、鈴音の家族になっていた。
「…………分かりたくなかった。これは償いなのに、これじゃあ、まるで…………」
まるで、贈り物のようではないか。
散らばった室内で苦悩に悶え苦しむ紅に、妹は微笑んだ。愛野の家に嫁ぐのは不幸の始まりだ。分かっていた。それでも妹を嫁がせた。
『姉さん。悠久の時を生きる、美しい月の女王様。どうか。私の娘をお願いね。幸せになってくださいな』
最期の時に告げられた言葉が甦る。
踞り膝をついた白夜の額に手を翳す。
「……大人しくしてろよ」
緑の瞳が橙に光る。
「天寿――『殺害』」
指先を滑らせればピッ、となにかが指先に纏わりついた。紅はそれを指で引きちぎる。白夜の瞳や刀から夜明けの色が消え落ち、普段の宵闇に還った。
「…………はっ、は、はっ」
「大丈夫かー? 正気に戻れたぁ?」
「………………紅、輝夜。なんで、僕を助けた」
「ん、まあ、御礼だな。しかしすごいな。月の狂気を飲み込んで、挙げ句抵抗するなんて。精神が正気じゃないさね」
紅は包帯を放り投げた。白夜は訝しく見ながら折れた左手の手当てをしていく。
「そんで、なんで貴女がまた生きてる」
「そんなのアタシが不老不死だからだろ?」
「…………は?」
意味を聞きただそうとした瞬間だった。
地鳴りが響き、紅は白夜を庇う。打撃を落としたビルディングからコンクリートの瓦礫が崩落していく。
「ッ…………なん、だ」
「おいおいおいおい、嘘だろう? なんだこれは」
紅の声に顔をあげた。そして――息を呑む。
市街地を飲み込む勢いで桜に良く似た花が芽吹き始めている。それは建物やコンクリートを壊しながら海のように広がっていく。
「天寿の花だ」
「天寿の花?」
「あり得ない。あれはアタシが禁足地を作り、奥の御神木にはたどり着けないように魔法を張った。だから誰も奥には近付けないはずだ」
「……それは、紅さんと互角の鈴音でも?」
紅の深緑の瞳が見開かれた。
「そうか……!! くそ! 不味い、あんまりアタシの力が万能だから誰も破れないと思っていた! 不味いぞ! このままじゃあ神が降りちまう!!」
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