第14話
さて、日と場所が代わり、そこは古都のアゲハの支部だ。そこにいる少女は、側に合った柏で作られた美しい執務机を蹴り飛ばす。
「糞が!!」
「……胡蝶。落ち着きなさい」
「誰がこの状況で落ち着けんだよ! せっかくこの胡蝶さま直々に来てやったっつーのに不在とはどういうつもりだ帰蝶ぶっ殺すぞ」
鈍色の髪を揺らして憤るミス・物騒に相方の
「胡蝶。話を聞いてなかったのか? 帰蝶さんはなにか用事があって古都に向かったのだろ? なら、早く君も古都に向かうべきだ」
「でもお出迎えくらいあれよー!! 古都の支部はオレに対してリスペクトが足りねェんだよ!! このっっ……ばか!!」
貯めて貯めて言いはなった(或いは思い付いた)言葉がそれである。胡蝶の語彙力は小学生よりも低い。つまりそういうことだ。
「ばかっ、ばかっ、ばかっ、ばか!」
「こらこらこらこら」
胡蝶は精一杯罵倒してから肩で息をする。
「……仕方ねえ。部下のピンチのなれば行かねえわけにはいかないだろ」
「つまり行くのか?」
「おう。愛野とことを構えるのはクソ厄介だが仕方ねえか」
地表で一番やばい女はそういうと不敵に笑った。
***
天空の島といえど、住民たちが暮らす区画がある。もっとも数ヶ月前から愛野が流行らせた病のせいでそこはまるでゴーストタウンのようになっていた。静かな廃墟には時折羽虫の羽ばたく音と、床に散乱した蛾の死体だけが存在している。後には何も存在していない。
「……聞いていた以上だ」
かつて戦場で見た地獄よりも心を抉るものがある。腐りかけの食事は数日前まで誰かがここで生活していたことを示していた。
「どこにゆかれるのでしょうか」
不意にかけられた声に白夜は顔を上げた。
紅月明かりが廃墟の一角を照らす。そこに立っていたのは、深紅の髪の鈴音によく似た少年だった。
「貴方は誰だ」
「……ぼくですか? ぼくは、愛野
「姉? 正確?」
「さあ。本人のコピーをなんというのが正しいかはぼくも分かりかねますから」
コピー。男性に見えるということは男性としてコピーされたということか。ぞくり、と体が震える。赤月病の地点で愛野家のイカれ具合は露見していたが、これは常軌を逸している。だって正気ではない。こんなのは、人の尊厳を踏み躙っている行為だ。
燐兎は穏やかに微笑みかけてくる。それは人工の笑みだ。
「姉さんに赤月を投与したのはぼくです」
「っ……!!」
「そして解き放ったのもぼくです」
解き放った。
そういえば、胡蝶は最初、愛野の家について――ひいては自分の生家についてなんと話していた?
二千年の妄執は人を変える。
二千年は人を狂わせる。
狂うには二千年は十分すぎる。
天寿の果実の目的は天寿を、寿命の、死の克服だ。白夜の読みさえ正しければ。では獄幻の家はなんのために二千年歩き続けている?
鈴音を解放するのと、それと、なんの関係がある?
いや、ないはずがない。だめだ。気がつくな。
神を作るのに熱心な家がそれを中断してまで、彼らは何を為そうとしている?
そもそも。燐兎は。
「アナタ……本当に余計なものまで見えているんですねえ」
多分。たぶん。いや、わかっていた。鈴音の天寿はいかなる天寿よりも遥かに優れている。そうだ。気が付かないはずがない。ならば燐兎はなんのために作られた。勿論、より優れた個体を作るためにだ。だったら。
「もうやめですよ、探偵さん」
「ひっ」
手袋を捨てて白夜の手首を燐兎が押さえつける。
その瞬間、思考が混ざった。めちゃくちゃに淀んでいく。激痛が走る。
「ッ、ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫。
耐えられない、耐えられない、耐えられない!
体? ここ ろ のなかに 誰かが な にか が。
「入ってきて、るぅ……!! ヤダヤダヤダやだ! 痛い、いたいいたい痛い!! ぼくをいじめないでください!!」
「あは、そんなに痛みを感じるなんて。アナタはどんだけ裏表のある人生を歩んできたんですか?」
耐えられない。あおいうみがぼくをみおろしている。人の体や心はこんなふうに書き換えられることを想定して作ってないのに。だけ ど、体が、混ぜられて。脊椎がぎしぎしと軋んでいる。脳と心臓がグツグツと煮えたぎる。こんなに痛いのにこんなに、こんなにこんなにこんなに。
大きな白い狼の化身が、侮蔑を込めた視線で見下ろす。
「おまえのような凡庸を、誰が愛するのか」
あ、ああ、あああ。
つ きが あ か い。
***
「廃人になりましたか」
燐兎はようやく、動かなくなった白夜の手を離した。その瞳は痙攣しながら虚空を見ている。優しすぎた姉を狂わせるためだけに作られた、特殊な薬だ。燐兎自身もこの薬でいくらか狂わされているが。
別にそれに何かを感じたりしない。副作用である肉体崩壊をなくすために犠牲になった市民もどうせ元を正せばただの罪人だ。そしてこうして殺されたものは愛野の道を阻むもの。殺されて当然なのだ。
「……ぼくをいじめないで」
「!? 意識、が?」
「ぼくをいじめないで。ぼくを殺さないで。ぼくを、愛して……くれないのか」
譫言のように白夜が何かを唱える。彼はゆらりと亡霊のように立ち上がった。黒曜石のようだった瞳が、黄金色に煌めく。
「なら私は愛などいらない。斬るために殺そう。万雷のごとく、生きる全てを殺そう――皆殺しだ」
「不知火 白夜……!!」
「そんなつまらない凡庸の名で呼んでくれるな。寂しくなるでしょう? 私は極夜。そなたがひっくり返した、白夜の裏側だ」
太陽のような瞳がつまらないものを見るように燐兎をみる。
「まずはそなたから殺す、天寿の王よ」
「なっ……ぜ、それを」
白夜は、意地悪く微笑んだ。
「少し考えればわかることだ。天寿の王。そなたは、その身のうちに全ての天寿を備えたな?」
「何を、なぜそこまで」
「つまりお前は神のなりかけだ。だというのに、その身、私の鱗片にすら届いてはいない。実に嘆かわしいな」
無数の天寿の回避する方法を思いついたからとて、それでも神に劣るというのならば間違いなく笑い物だ。
天寿の全てをその身に収めれば神になれるなどと、思い違いも甚だしい。
神になるのならば人間であることをやめねばならない。奇跡のために全てを踏み躙らねばならない。その覚悟すらできていないから、燐兎は神に届きもしない。
「愛野の歩みはそなたらの世代で水泡に帰すのだ、燐兎。貴様の積み上げてきたものはただの地獄。犠牲者を山のように積み上げただけだ。愚かしくて涙が出る」
「だ、だとして、不死身の私をどうやって――!!」
「簡単だ、死が恐ろしいのならば、死にたくさせてやればいい。僕は今までもそうしてきた。そしてそれは、これからも変わらない」
宵闇を白夜は抜いた。その表情は伝説に記されている竜の王のように残酷で、無常だった。
「宵闇。食いて走れ」
「はっ……」
肺から空気が漏れた。首が飛んだ。未来予測が間に合わない。違う。真っ二つに割られる。未来予測は間に合っている。腹部を混ぜられる。間に合わないんじゃない。喉をかき切られた。未来予測の中でも死んでる。そうだ、何を見ても、不老不死になろうとも避けられない。死が。死だけが。彼方から追ってきているのに。死にたくない。そうか、知らなかった。死は。死は。
「……死は、太陽の光だ」
嗚咽と共に吐き出された言葉に白夜の即死の手が止まる。絶技というにはあまりに幼稚なその技が、死の雨が降りやむ。でももう。どうでもよかった。
「死からは、誰も逃れられない。知っていました。知っていたけど、知らないふりをしてた。でももう無理だよ。どこにいても死が僕を照らして殺すんだ。死が、隠した全てを照らしに来る。もう嫌だ、やめてください」
沈黙。
沈黙が流れる。
白夜の無気力な赤い瞳がそこで何かを見ている。
「……ちがう」
「…………え?」
「殺すのは、そなたじゃない」
その視線が蓮学の里の最奥を見つめる。
「……………………行かねば」
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