第三章 破滅と壊放の赤い月

第12話

 蓮角の里。

 そこは天に浮かぶ、追放されたもの達の楽園である……と言うのが通説だ。

「確かにこれは楽園と呼びたくなるね」

 美しく咲き乱れるのは桜に似た花だ。甘い芳香は思考を溶かしそうですらある。それが一面に広がっているのだ。

「おう、もしここが牢屋じゃなかったら今頃花見だな」

「だねえ」

「なんで二人ともそんなに冷静なんですかー!!?」

 鉄格子と通路を挟んで向こうで響が絶叫した。

「っるせえぞ響」

「ほんとほんと。監禁中の頭に響くんだ」

「監禁中の頭ってなんですか」


 なにもかにも監禁中の頭は監禁中の頭である。

 のこのこと愛野家の自家製フライトに便乗してきた一行は見事、疑いようもなく、罠にかかり、無事愛野家の地下牢に収容されたのだ。

「まあしかし、確かにここの飯旨くねえんだよな」

「そうじゃのう。どういうわけか、ほとんど青椒肉絲だしのー」

「ニホンニズム喪ってるのかな」

「せめてジャポニズムくらいにしません?」

 響の突っ込みを無視しながら鉄格子に手を触れる。


「……“天岩戸アマノイワト”」


 バギッッ、と重い音がして鉄格子が内側から木っ端微塵に粉砕される。

「…………へ??」

「は?」

「さ、これで出れるように……どうしたの? みんな。まるで狐につままれたみたいなかおをして」

「ど――どうしたのじゃねえよ! なんだそりゃ!」

 千夏の指摘に首をかしげる。

 なんだって、内側から砕いたのだ。そんなの見ればわかるだろうに。それになんなら千夏相手には披露したこともあったはずだ。

「……帝都の軍人って皆そんなに強いんですか?」

「う〜ん、強いよ。まあ。ボクより強いね」

「それって相当強いですよね……?」

「まあ、ね。とりあえず、この屋敷の中を二手に分かれて探索しよう」

「いや、それはあまり良くないだろうな」

 同じように彼女は煙で鉄格子をこじ開けて現れた。

「帰蝶? それはどうしてだ?」

「ふむ。これは仮定に過ぎないが……ここが獄幻家の家と同じ絡繰が使われているならば二手では手が足りぬということよ」


 帰蝶の言葉に首を傾げる。彼女はこちら側の疑問を汲んだかのように話を続け始めた。

「大抵、大抵の話じゃが、魔法師の屋形には奇妙な絡繰があてがわれていることが多い。当たり前じゃな、技術流出を防ぐためじゃ」

「それとこれと、なんの関係が」

「獄幻家の場合、それは無限拡張の庭じゃった」

 誰もが言葉を失う。牢と廊下とを隔てる扉の向こう。帰蝶の言葉の通りならばつまりそこは、何が起こるかわからない地獄ということだ。

「無限拡張の庭は賢かろうて。無限に広がり彷徨い続ける庭で餓死するのが好みならばそうするのが良かろうが」

「ならどうするべきだ?」

「妾はここに残る。ここを拠点に三人はそれぞれ動け」

「……散開していいのですか?」

「そのための妾じゃ。妾の魔法は状態変化じゃからのう。空気がなくとも水があれば。水がなくとも空気があれば。固体であれば。妾の指の上も同然じゃ」

 なるほど。つまり彼女は、探査のベースになることを買って出たのだ。珍しい話のような気もするが、そうでもないだろう。


「じゃあそれでいこう。帰蝶ちゃんの案に従って」

「じゃあ私は屋根裏から行きますね」

「うむ、それも良いじゃろう。屋根裏や地下は大抵空間ジャミングの対象外じゃ」

 どうやら変態は変態としてのスキルを遺憾なく発揮するつもりらしい。なるほど。

 鉄格子の向こうで月が見下ろしている。


 千夏は屋敷の周囲を、響は屋根裏や梁の上から、そして白夜は中心部に向かって動くことになった。出口、またはそれに類するもの――或いは鈴音を閉じ込めた牢を見つけ次第、動くと言うことで。


 そして帰蝶の仮説は当たっていた。

「……もう数刻は歩いてる。それなのに、廊下の終わりが来ないなんて」

 奇妙な感覚だ。更に気味が悪いのは、綺麗に磨かれた廊下の上に何匹も蛾の死体が落ちているのだ。ただ白夜は延々と、その廊下を歩いていく。敵にさえ気を付けていれば一本道の分、白夜の負担は小さい方だ。

「オニイサン。そっちに進むのはよろしくないねえ」


 不意に、頚にメスを当てられた。揺れるのは紫煙だ。

「……貴女は誰ですか」

「アタシぃ? この状況でアタシに興味を持つのか。あいっかわらず、なぁに考えてるか分からないねえ」

 どこかで、その声を聞いたことがある。

 いや、どこかで、ではない。


 そうだ、その日も――今日のような、真っ赤な月が、自分を見下ろしていた。


「まあ、名乗るのが礼儀ってものさね。一応見知った仲だが名乗ろうか? アタシは紅、輝夜。蓮角の里唯一の女医でプログラム:motherの発明者。マッドサイエンティストなんて俗称もあったっけ?」

 その瞬間白夜は剣を抜いた。無数の剣筋が境界に反射し乱舞する。紅は、それを嗤ってメス一本で切り捨てた。

「ッ……!!」

「神剣“八咫鏡ヤタノカガミ”か。筋はいいしアプローチもいいが、弱いな」

「医師の道具で敵対しておきながら僕を侮辱するか!」

「あはは、そうだ。アンタの相手にアタシは剣なんて必要ないさね。例えアタシが、亡霊であろうともね」

 紅 輝夜。

 彼女こそが鈴音の師であり、沈まぬ太陽と恐れられた男に殺された女。何故彼女がここにいるのか。そもそも何故生きているのか。生き返ったのならばどのように生き返ったのか。

 尽きぬクエスチョンが脳を埋める。


「アンタは斬るという概念をそもそも勘違いしている。だからアンタは無抵抗のアタシしか殺せないんだ」

 メスが四角く空間を

 そういい表すしかない、銀色の閃光が世界を瞬く。それだけで白夜と輝夜の距離が一気に縮まる。無くなった空間を埋め合わせるように、距離が縮まった。

「ッ……!!」

 防御も間に合わない。

 身体がひどく強く『死』を意識した。攻撃すら、紅の剣技の前では無知な幼子の抵抗に等しい。なにも――なにも、なにもなにもなにも、できない。できないんだ。


「阿修羅無双・仁愛の極」

「ッ――!!」


 刹那、千を越える斬撃が視界を埋め尽くした。紅のメス、空間、斬撃そのものすらそれらは切り刻む。皮膚の表面に無数に浅く引っ掻くように付けた傷から血が噴き出した。

 チャイナドレスが紅の血に染まる。

 助け出されたものの乱雑に地面に投げられた白夜は打ち付けたところを庇いながら顔をあげた。

「…………鈴、音?」

 彼女の顔が見えない。

 彼女の顔が見えない。

 でも変だ。なにか変だ。絶対変だ。おかしい、おかしいおかしいおかしい。


「……………………どうして」


 ようやく絞り出されたのは、地を這うような声だった。今まで聞いたことの無いほど、感情を喪った声が響く。

「どうして生きてるんですか? 紅様ぁ……?」


 壊れたようなその声に、紅も白夜も動けなかった。

 彼女の青い海の瞳が、まるでしゃれこうべに空いた虚ろな眼窩がんかのように揺れている。


「ねえねえねえねえねえねえねえねえ、紅様。私、私、とても辛かったんだ。とっても、辛かったの。紅様が死んでから、なんで死んじゃったのか分からなくて、分からないから、分からないからね、太陽を殺そうと思ったの。ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ、それなのに、なんで……なぁんでこんなところに紅様がいるのかなあ」

 彼女の握る刀が赤く燃える。怒りではない。憎しみではない。ただ虚ろな、行き場の無い感情だけが渦巻いているのだ。

「り、鈴音……」

「うっるさいなぁ。白夜はだまっててくぅれない? じゃないと、お腹、開いちゃうよ。今度は本当に開くからね」

 刀を突きつけられて仕方なく口をつぐむ。だが脳は必死に、彼女を止める方法を漁り始めていた。

「私、私、復讐を誓ったの。復讐するために修羅にだって落ちると決めたの。それなのに……それなのになんで生きてるの。生きてたら台無しじゃない。ねえ、ねえどうして生きてるのよ。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして……」

 壊れたレコードのように鈴音は繰り返す。

 何故どうしてを。


「あああ、うう、頭の中で蛾がカサカサ言っててただでさえ煩わしいのに……ああ、平気よ、白夜。私、至ってだもの」

 瞳が、次第に赤く染まっていく。それは彼女の能力の発露の証ではなく、むしろ――。

(……紅い血……みたいな)

「そう、そうね。紅様を私がぶっ殺してから黒い竜もぶっ殺せばいいもんね!」


 鈴音はあどけない笑みでそう結論付けた。


「りん、お前……お前、何を投与された?」

「だいじょーぶ。ちょっと死ぬけど、なにも辛くないよ、紅様ぁ……あ、あはっ、あっはは、あはははは」

 紅は呆然としたように彼女を見るだけだ。

 不味い。このままではダメだ。何が起きてるのかは分からない。分からないけど。

「殺す、コロス、死なせる、死を、ううん、生を殺す、コロス、ころすころすころす、殺すの」

「だっ……ダメだ、そんなの」

 だって、うまく言えないけれども、だって。

 白夜は鈴音の腕をつかむ。


「そうです、ダメですよぅ、鈴さん」


 無数の糸が空間に張り巡らされていた。紫紺のコスプレ衣裳のような忍び装束に身体を染め上げた乙女が廊下の向こうで笑っている。

「響、邪魔をするの……?」

「あは、いえいえ。ですが、おいたをする子は罰を下しましょう……! そぉれ!」

 糸が駆動する。引き合い、喚び合い、糸がコンクリートを引き裂いていく。瓦礫が落下してくる中、背後から何者かに手刀を落とされた白夜はそのまま意識を喪った。


 紅い月が、見下ろしていた。

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