第11話

 もしかしたら、この力で終わり行く誰かを救えるかもしれない。

 そう思えていたのはいつまでだろうか。


 もしかしたら、この未来を変えることができるのではないか。

 優しい夢を見ていたのは、いつまでだったか。


 優しい夢を見ていたかった。暖かい場所にいたかった。望むならば。願わくば、姉上と一緒に、いたかった。それ以外は望んでなかった。


 最初に異変を感じたのは子供の時だった。

 まだ姉の未来が見えていなかった頃。

 叔父の死を予見した時、毎日ずっと泣き続けた響を家族は気持ちが悪いものとして扱った。姉だけが、その事を知っていた。姉だけが響を守ろうとしてくれた。


 頑張った。努力をしたのだ。

 叔父は優しかったから、救いたかった。


 結果?

 言うまでもないだろう。叔父は死んだ。その不幸を指摘したせいだと。


『お父様とお母様を殺さないでください』

 そうすがった。

 だって仕方がないじゃないですか。殺せば貴方が死ぬと、言えば良いのですか?

 そんなひどいこと言って、姉に見捨てられたくなかった。姉が自分を愛していると知っていた。分かっていた。だから、自分の言うことを聞いてくれると。


『これで、許してくださいね、響』

 目を抉ってくれなくて良かった。傍を離れないでいてほしかった。戦争になんて、でなくて良かったのに。


「……無力で小さくて愚かな私。バカで無垢で非力な私。未来を見るだけ視て、何度視たところで何一つとして変えられないのに」

 嫌だ嫌だと姉にすがりたい子供のまま、心を殺した。笑顔の仮面を張り付けて微笑んでいた。

「諦めきれず……ああ、なるほど……確かに私は土蜘蛛バケモノの子供です」


 神の仔は地面に落ちた。神が堕ちたように。

 どうせ救えないのなら、笑って、笑って、すべてが最悪になる前に、この手で殺すしかないのだ。

 遠からぬ未来、鈴さんや千夏さんのそれを見て、私はきちんと終わらせることができるだろうか。

 いや、できなかったから、ここにいるんだ。


 千夏さんが鈴さんを殺すと視た。視ていた。師匠は何も言わずに私を慰めたけど、私は選べなかった。千夏さんにすがってもまた無意味だったら、どうすればいい?


 黄金の光の中で響は諦めた。命を放り投げる。いいじゃないか。これ以上、何も視なくてすむのなら。この朝日に溺れて死ぬのも、また。


***


「…………」

 白夜は響の首に刀を突きつけたまま止まった。

「……何故、殺さないのですかねえ」

「君は、視たんだね」

 その言葉に響の青紫の瞳が見開かれた。朝日の煌めきが、静かに暗い闇に飲まれて沈む。

「ずっと考えてた。貴女がなんでそんなに必死に……僕を、殺そうとするのか」

「へえ、それはまた……」

「彼女達の死を、貴女は、視たんだね?」

 息がひゅるりと止まった。響の瞳は畏怖するように目の前の男を見上げる。

「貴女は言った。運命を知らない人間は愚かだって」

「だから、なんだと」

「僕は何が愚かなのか分からなかった。いや、額面通り取った。でも違う。貴女のそれは、なにも自分より劣ってる、未来予知できない人間への侮蔑じゃない。もっと別のものだ」


 僅かなきっかけだった。

 その侮蔑と言うにはあまりにも身を切るような感情に、違和感を感じた。だから当てはめた。そして気がついた。それは侮蔑じゃない。それは。

「……悔恨だ。貴女の、恨みと後悔だ」

「白夜さん」

「運命を予知して、自分が優れてると知る人間がどうしてそんな恨みと後悔を抱く? そもそも、なんで僕を執拗に殺そうとする? 君は、君には、外の世界はどうだって良かったはずだ」

 奏は言った。

 妹が愛おしかったと。


 でもそれはべつに奏から当てられた感情だけじゃない。だってそれは、響も当然に抱いていたのだから。

「僕がどこで誰を殺そうと、それが身内じゃなければどうでも良かったはずだ。なのに貴女は姉を殺したことに対してあまり言及しなかった。それは……それは矛盾でしょう?」

 では姉以外に響が大切なものはなんだ?

「決まってるよね。貴女達は地上でもう三人だけの門下生。そんなの、家族も同然だ」


 響は視ていたのだ。

「僕は遠くない未来、鈴音と千夏を殺す……君は、それを視てしまったんだろ」

 彼女の瞳が見開かれた。

 少し考えれば分かることだ。実際のところ、白夜にはその予定はないけれども。けれども、未来がどうなるかは響以外には分からない。

「君は運命から逃げたかった。でも天寿が叶えた結果、君は、より強く運命に縛られることになった」

「白夜、なんで、そんな」

「……君は、必死なはずだ。僕を殺さねば大切な仲間が喪われる。君はずっと諦めてきた。運命を変えられないと諦めることで、身を守ってきたんだ」


 諦めることは、防衛だ。

 できないと思い込めば、できたかもしれない可能性に盲目になれば、痛みなんてものは感じなくなる。

 ……分からない訳じゃない。

「愛されないと思い込めば。愛されていたかもしれない可能性に盲目になれば、感じるものは慣れて風化した世界だけになる。僕もそうしてきた」

 でもその主義を捨てるほど、響は切羽詰まっていたのだ。


「……安心してよ。僕は彼女らを殺さない」

「今、口でなんと言ったところで」

「僕の“願い”を教えてあげるよ」

 白夜は自嘲で顔を歪める。明けてきた空から降り注ぐ朝日が、暗く沈んだ白夜の横顔を照らし出す。

「僕が天寿に望むのはただひとつだ」

 彼の刀の輝く黄金の煌めく光のように、それが彼の皮膚の下を暴く。


「僕と言う存在の抹消」


 彼の顔はまるで夜明け前の闇のようだった。その宵闇の名の通りの、暗く翳った顔からは言葉にできない絶望が香り立つ。

「……止めておくべきです。天寿は……天寿は、貴方の望むものではありません」

「それをよりにもよって貴女が言うのか。運命が変えられないと諦めながら運命に立ち向かった、貴女が」

 もうすがれるのはそれしかないのだ。

 もう救われるのはそれしかないのだ。

「望むものじゃないと分かっていても手を出すに相応しいでしょ? それは」

 難しい表情の響に白夜はなにも言わない。


「鈴音!!」

 夜明けの静寂を切り裂いたのは千夏の叫び声だった。振り向いた響と白夜の額に拳銃が突きつけられる。複数の黒い和装の男達がそこに立っていた。

「愛野 鈴音……及びにそれに纏わる皆様方。どうかご同行いただけませぬか」

「っ、貴方達は……!!」

「我らが主、愛野 ハルヒサの命で馳せ参じました。命に背かれる場合は即刻殺します」

「……どうやら、向こうから迎えに来てくれたようじゃな」


***


 天に煙が上る。

「おいおいおい、嘘だろ? まぁさか、アタシのバカ弟子三人集めたガキがいるのか?」

「ええ、伯母様」

「へえ、面白いなあ……」

 徳利の中で月が揺れる。深紅の髪の、白衣を着た女は高らかに嗤った。それは弟子の成長を慈しむようなものであり。或いは。

「で、それは誰なんだ?」

「……不知火 白夜と言うものです」

「ほーーん。あんの尻の青い小僧か。へえ、やっぱ男子三日会わねば刮目せりってやつだなぁ……ンで、兄さん」


 殺されたはずのくれない 輝夜かぐなが酒を飲みながら部屋の奥に控える肥えた男に声を投げ掛ける。

「アタシはいつ、この家から出してもらえるのかねえ?」

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