《真打ち》 蜘蛛の糸の上

第10話

 ゆさり、ゆさり、と鈍い感覚で世界が動いている。

 周囲は鉄分の匂いに満ちている。そうだ。自分はたしか戦場で……。

 そう自覚した瞬間、身体が固くなった。

 これは人に背負われている。そしてもしかしたら背負ってるのは敵兵かもしれない。もし敵兵なら。


「ん? 目が覚めたか?」

 ……かけられた声に白夜は恐る恐る目を開けた。背負ってる相手は自分と同じ黒い軍服を着崩していた。

「は、はい……」

「そう固くなるな。不知火 白夜……であってるか?」

「は、はい! 僕は不知火、白夜です。ええと」

 背負っている銀髪の青年はクスリと笑った。剣のような銀髪だ。

神之瑪しののめだ。神之瑪しののめ カイだ。白夜。君の活躍はオレもよく聞いてる」

「は、はい、その、光栄です」

「そう固くならないでくれ。ところで身体が痛かったりはしないか?」

 頷くと彼はそうか、と淡白に返してきた。


「それで? さっき目覚めた時に体を固くしてたけども、どうかしたのか?」

「あっ…………その、気がついてらっしゃったんですか?」

「ああ。目が覚めたかどうかが、大体分かる。気持ち悪い特技だとこの前言われた」

「そんな! ……その、僕はただ……もしも、敵兵に拉致されてたらどうしようかと」

 なるほど、と青年は頷く。確かにそれはこの戦場で誰もが憂うことだ。捕虜にされれば悪いことはされないだろう。だが、そうでない場合。

 つまり。

 どこで何をしてもここで人が死ぬのは普通だから。逆に言えば何をされても不自然ではなくて。


「かくいうオレも拉致されかけてな」

「え!!? し、神之瑪しののめさん程の方がですか?」

「ああ」

 手足を縄でガッチガチに縛られてしばらく連れてかれたらしい。気絶していただけだったのでビックリしたそうだ。

「服を脱がされそうになってな」

「え゛?」

「まあ、戦場だしな。それで、私は咄嗟にしたんだ……君も、誘拐されそうになって形振り構えなくなったらやるといい」

 彼はそう言ってあることを教えてくれた。


 その時の彼の表情が忘れられない。

 本当に、本当に、冷酷で、形振り構えないんだというような、そんな顔をしていたから。


***


 響は爪先でつまらないものを転がすように白夜を蹴っ飛ばした。子供のようなあどけない顔で眠る男が転がる。肩口からきれいに切られた腕からはとくとくと血が溢れていた。

 放っておけば、もうじきに死ぬだろう。

 だから響がやるべきなのは、この男の死体をどこか遠くに棄てることだけだ。


 鉛人形のように重くなったその体を引きずりながら歩き出す。

「おい、どこに行くんじゃ。紛いの子よ」

 ……否。

 煙でできた蝶が、周囲の視界を塞いだ。その向こうから現れたのは花魁のような服を着た女性だった。

「なんでしょうか。私は今、忙しいのですが」

 煙管から昇る紫煙を燻らせながら女は、嗤った。

「惚けるのが巧くて羨ましいわ。じゃがな、妾はお主のためを思うてこのように声かけておるのよ。見れば軒先すら持たなさそうなくノ一と死にかけの小童。医者の宛があるとも思えぬ。加えて今日はこんなにも冷える……放っておけば、その小僧は死ぬじゃろうな」

 煙が昇る。

 鼻腔をついたのは甘い――甘い?

「じゃが妾には医者の宛があれば金もある」

「……何を、いいたいのですか?」

 蝶の紋様の施された帯が揺れた。金色の瞳が、冷たく煙のなかで輝く。


「そこな小僧は妾のものよ。置いていけ、小娘」


 威圧、と言うのは生ぬるい威圧が肩に降り注ぐ。帰蝶はただ、響を見下ろしていた。思わず膝をついた響を彼女はただ見下ろしている。

 不意にそれがふっ、と蝋燭の灯火のように消えた。

「じゃがのう、土蜘蛛の末裔。妾はこう見えても慈悲深いゆえ、このように忠告しているのじゃ」

「何を……!!」

「お主は知らんじゃろうて。人を殺した時の感触に魘される夜を。誰かを殺すことでしか生き延びれぬ地獄を。困窮した帝都の民が、如何にしてあの地獄を潜り抜けたかを。のう、響。土蜘蛛の末裔」

 昇るばかりの紫煙は、甘い甘い毒の香りがする。

「一度戦場に出たものは、例え逃れようともただの人にはなれんのよ」


 ガリッッと手を噛まれた。

「なっ……!!」

 白夜が、死に物狂いで響の腕に噛みついている。引き剥がそうとしても屈強な顎は決して響の手を離さない。腕を切られて、どこからそんな体力ができたのかと問いたくなる程に強い力で。

「なっ、あ、貴方、は……!!」

 腕を落とされたら足で。足を落とされたら口で。


『拉致されかけたら思いっきり噛むといい。人間の噛む力も存外バカにはならないものさ』

 人の良い青年の言葉を思い出す。腕を噛みちぎろうとする、その一心で噛み付く。腕が落とされたせいで重心が上手く取れない。だからこそ。

(ここで離したら殺される……!!)

 口の中が鉄の味になってきた。響に振り払われ、白夜は地面を転がる。

「白夜!!」

 鈴音が駆け寄ってきた。その刀が優しく傷口を撫でて殺す。生えてきた腕を握ったり開いたりした。それはまるで切り取られたことなんて嘘だと言いたげだ。

 喉のクナイをとり、そちらの傷も癒される。

「……ありがと、鈴音」

「ううん。いいの。体は?」

「平気だよ、これくらい。戦場で受ける傷よりずっとましだ」

 と言いつつも貧血のようで視界が安定しない。だが。

(…………)


 鈴音と彼女を戦わせるのは、あまりに酷だ。

 そんなことを、戦争を、仲間を殺さねばならない地獄を、知らない少女に教えるのか?


 ……無理だ。

 白夜には、それを選べない。

「…………宵闇。構えろ」

「白夜!?」

「あの子の糸は一撃必殺だ……鈴音を死なせるくらいなら、僕が挑む」

「でも貴方の体、全然平気じゃない!! そんな体で互角に戦うなんて」

 鈴音の青い瞳がこちらを見る。分かっている。だけれども今は、秘密の維持よりもずっと、大切なことがある。

「できない訳じゃない……やらなかっただけだ」

「おやおや、ずいぶんな強がりですねえ」

「やらなかっただけだなんだよ、本当に。僕だってさ、別にやりたくて君達の心を、秘密を暴いてる訳じゃないんだ」

 剣先で響を指し示す。

 目眩、貧血、頭痛。コンディションはこれまでで一番最悪だが――一番最高だ。


「ねえ響ちゃん。君は、何に恐れているのかな?」


 その瞬間、無数の糸が放たれた。それらを一瞬で宵闇が食らい尽くす。打ち漏らした数本の糸が白夜の皮膚を削った。だが、切る前に、切る。

「恐れているとは、何を……知ったような口を!!」

「事実でしょ? 指摘されて激昂するのは真実だって裏付けしているようなものだ」

 龍が振るう腕のような切り傷が、空間を抉り、糸を切り刻む。

「君は恐れてる。そうじゃなきゃ、そんな風に必死にならない」

「いいえ、いいえいいえいいえいいえ! 私は、私は、必死じゃないッ!! 女郎蜘蛛!! 呑み込みなさいすべてを! 要りません要りません要りません要りません!!」

 彼女の叫びに応じるように糸が更に放たれる。背中を割るように生えた八本の節操からも更に糸が伸びて、周囲の瓦礫をつかんだ。

「ッ……“暁”」

「おぅっら!!」

「“灼熱地獄”」

 千夏の大剣と、鈴音の刀が瓦礫を破砕する。その破砕された瓦礫を飛び写る。


 響の前の地面に滑り込み、見上げた。宵闇を腰に納める。月明かりが、空からその空間を覗き込んだ。肺を冷たい空気が満たす。

「ッ…………!! 土蜘蛛!! 堕ちた神よ! その怨念を、叫べ! 【女郎蜘蛛】!!」

「――言葉は不要。ただ斬るのみ」

 その瞬間、刀身が僅かに黄金に煌めいた。それは、眩く輝く巨大な、からす。

「”八咫烏“」

 夜明けの光を思わせるその煌めきが、八本の節操を切り落とした。

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