第9話

 なんでそうするのか、尋ねる。

 白夜の手が止まった。奏は首をかしげたまま止まらない。

 確かにそうだ。白夜は、何度だって聞いてきた。それは時に人を殺すために己を正当化せんとして聞くことであったこともあった。或いは刃を納める理由を探してさ迷うようでもあった。

 戦争中だってそうだ。


「ワタクシのエゴですもの、聞かなくても良いのです。でも、貴方が聞くことでワタクシ、報われた気持ちになるのです」

「…………では、聞いてもいいかな」

 ひとつ、気になっていることがあった。聞きたくなかったか、と問われて頷くのは嘘となるくらいには、気になっていた。

「貴女は……貴女は、何故妹以外の全てを殺そうとする? 何故、妹を生かそうとする」

 愛しいと言ったけれど。でも今、白夜に焼け付くような愛を押し付けたように、彼女のそれは全てを愛しているような代物なのではないだろうか。


 彼女はくすり、と笑った。

「白夜。ワタクシの家、篠森の家は神家五家のひとつです……と言っても、最早生き残りはワタクシの妹ただ一人でございますが」

「……神家五家?」

「はい。神社を、と言うより先祖の血に神の混ざっている、神主の家系です。神の混ざった血筋ですので神社経営をしている家系です」

 篠森の家も、その一族だった。


「我らに混ざった血は蜘蛛神の血。しかし、蜘蛛神信仰は途絶え、我らの神は妖魔に堕ち、源頼光に討伐されました。そして我らは逃れるように天空へと至りました」

 血は廃れていった。


 神秘は損なわれていった。篠森家は失われていくにつれだんだん頑固にその血を守ろうとするようになった。奏からすれば、それは愚かなことだった。

「この身を蜘蛛に捧げたこともございました。然れど、篠森の巫女としてワタクシは懸命に生きておりました。そこに生まれたのが妹の響だったのです」

 奏は首をそこでかしげた。諦めるような、仕草だった。

「響は生まれた時から、天寿に適合しておりました」


 人は狡猾だ。

 信じるにはあまりにも汚れすぎ、狡猾すぎる。

「母も父も、響を己の子とは思っておりませんでした。神々が遣わした仔だと思っておりました。彼女は、響は、父と母から見れば蜘蛛の仔だったのです」

 それが奏は憎くて憎くて仕方がなかった。

 毎日蜘蛛蔵につれてかれる彼女の窶れて表情を失った顔に気がつかずに信仰と言う美酒に酔いしれる両親が。だってそうだ。


 奏にとって響は幼い自分だった。


「ある日響がワタクシに告げました。父と母を殺さないでください、と。ワタクシ、その時どのような顔をしていたのでしょうね。でも決めてたんです。この家を殺そうと。ワタクシ、罪がいくら積み重なろうとも痛くも痒くもございませんもの」

 彼女は包帯で覆われた眼孔を慈しむように撫でる。

「殺しました。殺しましたわ。罪に濡れて飛べなくなろうとも構わぬと。ワタクシ、碧瑠璃を選びました。響は泣いて叫びました。目を見ただけで分かってたと。ワタクシがエゴで、父と母を殺したと」

 人殺しと責め立てられた。

 そうだろう。でもどうしてそのままにできる?

 美しい花であろうとも、それが毒草であれば躊躇いなく抜かねばならない。誰かが死ぬよりも前に。


 響の訴えに耐えられなくて、だって愛していたのだ。愛を、愛を、愛を。だから、奏は。

「この目、抉りましたわ」

 これで許してくれと、両目を抉った。

「憎まれていても構いません。ワタクシが響を愛しておりますから。あの子がワタクシを憎んでくださるのであれば、それこそが、他ならぬワタクシの愛の証左でしょう?」


 届かぬ愛は歪んだままだ。

 でも奏はそれで良かったのだ。

「でもあの子が今も誰かに利用されているかもと思うと辛いのです。だから、利用できなくしようと思い、ここに降り立ちました」

 その果てにすべての命を殺し尽くそうとも。


 碧瑠璃が青を帯びる。

「……」

 目覚めたあの日。自分を起こした人間は言った。

 悔いのない人生を生きろと。

 二度の生だ。やりたいようにしろと。


 でもしょせん、やりたいことなんてこんなものだ。それに奏は。奏は。

「……ありがとう。ワタクシの心を聞いてくれて。これで心が楽になりました。さあ、白夜、戦いましょう」

「奏……」

 白夜の手から宵闇が滑り落ちた。

「どうしたのです、白夜。何故、刀を」

「戦えって言うなら! ……なんで、貴女こそ、武器を構えないんだ」


 奏は、まるで受け入れるように手を拡げていた。その笑みは穏やかで優しいものだ。

「どうぞ、この首をお切りください」

「なんで」

「白夜。ワタクシは、愚かですけれども……どうしようもなく、愚かですけれども。ひとつ、分かっていることもあります」


 愚かだった人生だ。

 愛に狂い、愛を憂い、愛のためだけに生きてきた。

 身を捧げたのだって、そこには家族と、己に流れる神の血への敬愛があったからだ。だから悔いはない。


 あるとすれば、あの日。

 違いに剣を突きつけあい、殺しあったあの日。

 己と同じように愛に狂った子供に、なにも言えなかった。なにも話せなかった。


 “貴方はワタクシと同じだ。”

 “だからワタクシは貴方を。”


 未練と言うにはあまりにもささやかなその思いを、果たすためだけに地獄から舞い戻った。

 勿論、響への狂愛もまた、奏のひとつのあり方だ。

 もしできるなら。あの日、首を落とされなければ、奏は、響のために全てを殺したはずだ。だってそのために、戦争に出たのだもの。


「死者が、生者の行く末を阻むこと程、愚かしいことはありません」

 首の皮など繋がらなくて良かった。

 こんな夢を見るくらいなら、墓の下で伏せていたかった。白夜はその感情を理解したように髪をくしゃくしゃにする。

「奏」

 すがるように呼ばれた名前に奏は微笑んだ。

「昔日は去りて、実を結ばぬ徒花はただ地に還れば」

「奏、僕たちは」

「ダメですよ、白夜。それは。ダメです」

 もしも例えば、違う出会いで、違う世界で、違う時ならば。言葉にできないもしもが溢れる。

「いいえ、違います。もしもはあり得ません。間違えたなんて、そんなはずありません。貴方は今日より昨日も、今日より明日も、正しいのです。貴方がそうと信じる限り」

「…………奏」

「それに例え間違えていたとしても、それは遥かなる日々の彼方にあれば。如何にして正せましょうか」


 白夜は、重たい頭をどうにか持ち上げる。黒曜石のような黒い瞳が、やるせなく奏を見つめた。

「終わりに致しましょう。ワタクシは、もう……疲れました」

 魔力が渦巻く掌でそっと、彼女の頬に触れる。それは骸のような冷たい温度しかなかった。愛に狂った二人だからこそ。

 指先がツン、と額の鉱石に触れた。

 青く濁ったそれにヒビが入ると同時に、梅の花びらが散った。包帯がこぼれ落ち、紫の瞳がすうっと白夜を見つめる。

 かつてえぐったはずの、目。

「…………良かった。これで、良かったのです……」


 身体が梅の花びらとなり崩れていく。

「白夜。恐ろしい貴方。決して愛を求めないと誓った人。どうかどうか、もし――また、逢えたのならば」

 彼女の顔が綻ぶ。

「きっと、ワタクシ、貴方と友達になりますわ……ああ、でも」

 冬の末に咲く白い梅の花の嵐のなかで、奏は穏やかそうに目を閉じた。もう身体のほとんどが崩れているのに、彼女は。

「ついぞ、友達と言うものを得ませんでしたから。ですから、ワタクシ――……」


 カラン、と渇いた音をたてて彼女の瞳と同じ色の鉱石が地面に落ちた。それをそっと手にすると、内側から砕けたそれが四つの破片になった。

 胸の前で、祈るように抱き締める。

「…………二度も、首を、落とせるわけないだろ」

 白夜の呟きにあわせて、ぽとりと最後の梅の花びらが地面に落ちて、やがて灰となって消えた。


 昔日は去った。

 忌まわしくも愛しい日々に決別をして――。


 ポタリ、と赤がアスファルトに落ちた。

 白夜は訳も分からず己の体を見る。

 一本のクナイが、喉を貫いていた。そこが熱くて、寒かった。口の端から血がポタポタと落ちる。

「………………………………え?」

「あはっ! 残念ですねえ。互角かそれ以下と思っておりまして、てっきりかと思っておりましたが……まぁさか、生きていらっしゃったとは」

 顔をあげると、篠森 響がたっていた。

 いつも笑みを浮かべているその瞳は今日は残酷なほどに青い色をして見下ろしている。それはまるで、死の使いと言うように。

「ふふ、世の中まだまだ分からない、と言うことでしょうか。とは言えこれで最悪手である鈴さんとちなっちゃんさんの死亡は防げました」

「…………な……にを」

「お疲れさま、と言うことですよ」

 響が虚空で手を握ると同時に白夜の左腕が吹き飛んだ。

「あ……ああ、あああああ!!」

「煩いですね。未来を予測することすらできない残念なムシケラの腕が一本取れたところで、誰もうろたえはしないでしょう。さ、さっさと死んでくださいな」


 次の瞬間走った熱が、どこを走ったのかは確認できなかった。ただ遠退く意識の彼方で忌まわしい蝶の使いが、紫煙と共に口を開く。


『――死ぬぞ』


 忠告として下されたそれを、白夜は今さら思い出しながら、気を喪った。

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