第8話

 先見。つまり、予知の天寿。

「なんでもありだねえ」

「いや、お主、何故妾の執務室におるんじゃ。とくとうせよ」

「きーちゃんは僕がいるのは嫌?」

「尻の軽い男は嫌いじゃ……ま。妾は主と命の奪い合いをしたいゆえ、邪険にはせんがの」

 数分前と打って変わって上機嫌に帰蝶はそういった。彼女は最近、古都の執務室に箱詰めにされているのだ。

「先見か。まあ確かになんでもありじゃがのぉ。はてさて、他の天寿に比べればまだ分かりやすい願い事なのは分かるの」

「ええ? 本当に?」

「目星が付いているのにその顔をするのが主の悪いところじゃ。先見と言わば未来予知。明日を知りたいと言う願いなど底が透けて見える。妾は好かぬ類いのものじゃ、とだけ」

 ちなみに響の話を鵜呑みにするのであれば千夏の天寿は“捕食”の天寿らしい。

 捕食、蘇生、そして先見。

 捕食に関してはよく分からない。

「して、何を手伝えと脅された?」

「うん、ここら辺で暴れまわってる侍を殺せって」

「侍?? 聞いたことがないの」

 おや。きな臭いのは最初から分かっていたが、さらにきな臭くなったぞ。帰蝶はふむ、といいながら万年筆を動かす。周りでは目の書かれた紙を揺らす使いの者達が書類をパラパラとめくり始めた。

禿かむろ、何か分かったか?」

「ううんー」

「姐様、全然ないよぉ」

「そんなのなぁい」

 目隠しを張った子供達が口々に答えた。

「ではこおり

「すみません、こちらも……」

 この部屋で帰蝶と白夜以外で目隠しを付けていない少女が答えた。なるほど。

「と言うことはお主ら殺されるのじゃな」

「死ぬこと前提で話し続けるな殺すぞ」

「かかっ! 怖いのぉ……」

 帰蝶は立ち上がった。白く透き通った指が白夜の頬に触れる。紺の紙をそっと持ち上げられて、彼女は笑う。

「ま、お主、気を付けよ――死ぬぞ」

 その死の言葉だけが、やけにリアリティーを帯びて呟かれた。


***


 帝都の英雄は多い。どの英雄も文句無しの英雄だ。

 棒振り、無銘の黄昏、黒死の蝶、雨垂れの賢者――渦中の人物である、沈まぬ太陽も同様だ。


 では古都は?

 東西戦線だったのだ。当然、古都にも英雄がいる。その一人にいたのだ。

 沈まぬ太陽に匹敵する武者が。


 泥水が跳ねる。沈まぬ太陽の、黒龍の身体が簡単に投げられた。その手に輝くのは朝日のように輝く白金の剣だ。相対するのは、女だった。

 若い、女だった。

 巫女のような格好をしていた。額の中央にはアメジストが輝いていた。うらわかく美しいはずの彼女の身体を彩るのは異質な機械を覆う配線、のようなものだった。いや、血管と言うべきかもしれない。

「……素晴らしい。称賛に値します、黒い龍。アナタは、アナタは、妖刀を扱うワタクシと互角の存在。素晴らしい、素晴らしいのです」

 彼女は唇を持ち上げた。黒龍は黒い羽織と金と白の混じった髪を靡かせながら女を睨み付ける。

「関係ない。力が互角かどうか、等。貴女を殺せば私は欲している褒章が手に入る。ならば私は貴女を殺すだけ――徒花の姫」

 その後の顛末は話さなくても分かるだろう。


 徒花は頚を落とされた。

 沈まぬ太陽が?

 否。無銘の黄昏と恐れられる男の無慈悲な一撃で、徒花は、死ぬことになったのだ。


***


「鈴さんとちなっちゃんさんがこのままだと死ぬのです……他でもない、その下手人の手で」

「…………つまり僕一人でやれってことかぁ。うん、分かった、分かってるんだ、うん」

 平気とは口が裂けても言えないけれども。

 腰に下げた刀が重い。

 それの重みを感じるのは久しぶりのことすぎて泣きそうだ。


「では、すみません、私はこちらを探して参ります」

「うん、頼んだよ」

 響の姿が路地の向こうの雑踏に消えた。彼女を見送って自分も、と足を踏み出したときだった。


 雑踏の中に、一人の少女が足っていた。

 俯くのは美しい水色の髪の頭。巫女のような服を着た、彼女の肌の表面に這うのは血管そのものだ。

「………………待て、待ちなさい、貴女が――」

「抜刀」

 青紫の光が放たれた。白夜は咄嗟に跳躍し、抜かれ振るわれるよりも前にその刀を抑えた。白夜の腹から血が吹き出す。

「ッ……」

 危なかった。

 こんな人混みで振るわれれば何人死ぬか分かったものじゃない。


 妖刀 碧瑠璃へきるり

 異質のヴァルハライド。何をどうしたかは分からないが、一振りで地平線を作ると言われる刀。使用者の血を吸い続ける刀であり――かつて、沈まぬ太陽が敗れた刀。


 その使用者こそが徒花。

 実の付かぬ花。


「…………ですね」

 彼女は剣を控えたまま淡々と語る。その声に感情はない。ただ、首を縫い止める黒い糸が痛々しく。

「あ、貴女は! 死んだはずだ! 他ならぬ無銘の黄昏の手で、痛々しくも慎ましく、死んだはず!!」

「ええ、そうですね。一度、ワタクシは死にました。生を手放しました。して、それに如何なる意味があるのでしょうか。大切なのはあの時死んだこと? ならば、貴方……ここで死ねばよろしいでしょ?」

 碧瑠璃が青い光を放ちながら回転した。白夜は咄嗟に顔を庇う。レーザーのようなそれは、腕を切り裂いた。

「ッ……! 徒花!!」

「徒花ではない。今のワタクシは、徒花ではなく、ただの姉。妹を思うがゆえに不死しなずを体現せんとするただの女。篠森 かなでです」

 奏――篠森、奏。その名が示した意味に白夜の顔が鈍く歪んだ。

 そうか。

 そうか。あのくの一。

「…………分かった。なら僕は白夜だ。ただの、棄てられた子供。不知火 白夜だ」

「良いでしょう、白夜。貴方を殺しましょう。ワタクシが、貴方の悲しい哀しいカルマを立ち斬りましょう。こちらです、付いてきなさい」


 二人がやってきたのは、人のいない廃墟だ。

 奏の読みは正しい。ここなら存分に、宵闇を放つことができる。

「ふふ、ふふふ、あははは。壊れても構いませぬ。壊れようとも厭いませぬ。ワタクシ、ワタクシは、貴方を殺しましょう! その哀しい因果、ここで殺すが慈悲となれば!!」

 次の瞬間、放たれた斬撃を見切り踏み出す。漆黒の刀は今一度、天へと抜き放たれた。魔力を込めた刀身が全てを飲む光を放つ。

「吼えろ」

 どっ、と水のように溢れた黒い光の中で奏に人差し指は天を示す。

「碧瑠璃……花浅葱」

 碧瑠璃の写し身が八つに分かたれ、落ちてきた。咄嗟に飛び退く。地面に八本のヒビが入った。


 さすがに腕がなまっている気がする。龍のように低く唸りながら白夜は斬撃を交わしつつも間合いに踏み込んでいく。それに対する奏の回答は常に“拒絶”だった。

 踏み込み、斬撃。

 踏み込み、踏み込み、斬撃。

「甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い!! カラメルのように甘いです、白夜!! 白い夜だと貴方が言うのならばその力を際限無く引き出しなさい!!」

 じゃなければ――。


 梅の花が、空で綻び実を結ぶ。

 地面から咲いた、青い光の梅の木が花を結ぶ。


「ワタクシという梅雨が、夜を塗り潰しますよ?」

「ッ…………!!」

「【梅雨、冷ややかに降り注げば】」

 桜の花が雨垂れのごとく降り注ぐ。それは幻想的だが同時に――無数の斬撃だ。ひとつひとつの花弁がはじけるたびに肌が弾けて血が飛び散る。

「うふふふふふふ、あはははははは!! 足りませぬ! まるで足りませぬ! どうしたのです、どうしてしまったのです!! いつかの日、確かに渇いていたその心、飢えたようなその魂! 飢餓のままに貪る獣のような振る舞い!! 何故、出さぬのですか白夜!!」

「それ、は」

 白夜には戦う理由がない。

 戦争の時の、あの熱を帯びた感情を思い出せない限り宵闇は答えてはくれない。


「ふっ、戦う理由がないと言う顔をあからさまにしますね。ならば教えましょう。白夜、ワタクシは」

 彼女が一気に踏み込んできた。その唇が言葉を紡ぐ。

「今日、愛しいワタクシの妹以外を皆殺しにするためにここに参りました」

 白夜の黄金の瞳が怒りで開かれるのを見て、奏は言葉にできない歓喜に包まれた。


 振るわれた一撃は千の暴風のようだった。梅の花は粉々に砕かれる。血を溢しながら白夜は憎悪を思わせる瞳で奏を睨み付けた。

 その射殺すような視線に奏の背筋がぶるりと震えた。それは歓喜を、より上の感情へと持ち上げていく。もし、この感情に名を付けるとすれば、それはきっと“アイ”だろう。

 最も、それはあまりにも利己的で狡猾で歓喜だけにぬれた、浅ましい感情だけれども。


「ああ、ああ、ああ……!! 白夜、いいです、その憎悪。たぎる灼熱のような感情! ワタクシ、きっと貴方を愛してしまいますわ!!」

 その熱烈な告白に舌打ちが思わずこぼれた。

「僕はもう、今さら愛なんていらない」


 剣戟が喝采の如く鳴り響く。

 情愛と自らの死に狂った巫女は踊るように妖刀を振るい、すべからく全てを平らに拓く。応じる男は天性のポテンシャルだけをいかして魔力で圧倒していく。

「いい、いい、いいのです!! ああ、こんな御無体ですわ神様。ワタクシ、死後にこんな昂り、知りたくなかった!! しったらもう、降りれませんもの!」

 同情も、憐憫も、愛情すら不要だ。

 必要なのは罰と燃え盛るような怒りだけ。


 宵闇の魔力のタガが外れて、周囲の障害物が瞬発的に魔力に喰われた。だがそれが奏に届く前に妖刀は光で瞬殺する。

「ねえ、白夜!! ワタクシ本当に心のそこから思ってるのよ!? ええ、そうよ、そう。ワタクシの妹となりなればよいのです。そしたらかつて望んでた、切望してた、渇望してた、アイを! 有り余るほどに!! ワタクシが降り注ぎますのに」

「だから、アイはもういいんだ」

 冷たく吐き捨てた。

 どうだっていいんだ。そう、どうだって。


 刀と刀がぶつかる。奏は首をかしげた。おおよそ、ここまでの打ち合いで彼女がはじめて疑問を感じた瞬間だった。

「……貴方。何故聞かないのですか?」

 それはストレートに言葉となって出てきた。白夜の顔が不自然に歪む。奏は、更に言葉を重ねることにした。

「貴方。いつも聞くでしょ? なんでそうするのか」

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