第二章 運命の呪縛
《贋作》 白梅の愛を奏でる
第7話
あれから数日。
世界は、驚くほどに平和だった。
白夜は今日も今日とて自宅で湯浴みをしていた。これには深いようでかなり浅い理由がある。それは勿論、千夏の処置だ。
幸いにも――幸いか? いや、幸いにも、千夏の捜査をしていたのはアゲハだった。
彼女らが千夏を保護したと一言言えば、警察なんてもう手を出せなくなるし、そもそも千夏が犯人なんていう証拠は鈴音と白夜しか知り得ないものだったのだ。アゲハとしても犯行がこれ以上起こらないなら、と引き上げてくれた。
今は帰蝶が慌ただしく処理を行っている。胡蝶に仕事をあげようとしたら罵倒されたらしい。仕事の割り振りというよりは押し付けの天才である胡蝶に帰蝶はしばらく嫌味を口にしていた。
被害者の方にも一応処刑したと説明したらしい……幸いにも上層部で始末したいものがあったそうだ。ヨノナカノヤミダネ。
そしてその結果、蓮角の里に行くための足の用意が遅れているらしい。帰蝶が手配はしてくれているのだが、こんな状況でスムーズに進むわけでもないし、なんなら地図にもないので苦戦してるらしい。
「……はあ」
思わず漏れた溜め息と共にぱしゃり、とカメラのシャッター音が鳴り響いた。思わず動きが止まる。そうするとまたぱしゃり、とシャッターが切られた。
「………………え? 何?」
風呂場は比較的死角が少ない設計になっている。全裸で後ろから切られたとか笑えない死因だし。でもだからこそ、そんな音がするはずなくて。
「ぐへ、ぐへへ。りんさんもちなっちゃんさんも冷たいんですよ~。私を差し置いてなぁにをしているかと思えば。こんなイケメンと同棲なんて!! けしからん! ふぁ……いい筋肉ゥ……」
白夜は上を見上げた。
天井に張り付くのは和服の少女だ。張り付けたような笑みを浮かべながらカメラを操作してる。やべえ、多分あれだ、変態だ。
「はあ、はあ、同じ屋根の下でりんさんとちなっちゃんさんと男。なにも起こらないはずがなくぅ?? あーーーーーー!! もーなんて破廉恥なんでしょうか!! 風紀の乱れがすっごーい! ……って、あら?」
笑ったままなのに彼女がこちらを見たとはっきり分かった。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
沈黙が世界を支配する。見つけた変態の対処に白夜は困った。成人男性としてどうすべきなのかが分からずに脳みそがバグってすっごく冷静になってきた。
一方で天井に引っ付いているくノ一も冷静になってきていた。やべえ、盗撮ばれた。これはお縄だ。
「あのー、写真は勝手に取るんでできれば自由にしていてください」
「ああ、うん、そうだね」
白夜は体を洗おうとタオルを手に取った。くノ一もカメラを構えた。
「ってそんなわけないでしょぉおおおおお!!?」
「ですよねーー!!」
逃げようとした少女を白夜が取り押さえる。
「きゃーーー! スケベですよう!」
「誰がスケベなんだよ!! 君だよねえ!!?」
「押し倒されました~! え、あ、これもしかして響ちゃんの
「筋金が入った変態だ!!! きゃーーーへんたいーーー!!」
絹を裂いたような声で白夜が叫ぶ。ちなみに押し倒してるのは白夜である。
次の瞬間、扉が(ぶち壊されて)開いた。
「白夜!! 悲鳴が聞こえて――」
脳の奥で「あ、終わったな」と思った。
恥辱された身ではあるが、仮にも恥辱犯とはいえ女性を、しかもぼんきゅっぼんの女性を押し倒したとあらばどちらが加害者か等一目瞭然。ちなみに白夜は肉体面のそう言うのにこだわりはありません。
「ご、ごめん、ほんと、こんなつもりじゃあ」
「なぁにやってんじゃボケァ!!」
「へぶしっっ!!」
千夏のアッパーが無事に響を自称する少女の顎にクリティカルヒットした。吹き飛ぶ少女を身ながら全裸で混乱したままの白夜の脳みそ内をクエスチョンマークが乱舞する。
取り敢えず白夜はそばにあったタオルを引き寄せたのだった。
「非道いですよぉ……今回ばっかしは響ちゃんがショーシンショーメー被害者だったじゃないですかぁ!!」
狐目の少女は縄に縛られたまま抗議の声をあげる。
「…………?? どうみてもお前が加害者だったけど」
「ええー! 響が白夜にセクハラしなかったの?? 私ビックリだなあ」
「くっ、同い年、同じ門下生とは思えないほどの侮蔑の目……あ、なんか興奮してきたかも」
へ、変態だ……!!
多分歴史に残る変態だ!!
「あ、私!
「お前はそこで風呂のお湯を含めるから変態なんだよ。よく分かるな」
「…………もしかして、いや、もしかしなくても私、罵倒されてます? いいね! もっと!! もっとハードな罵倒をいきましょっ、いたいいたい、けらないでくださぃい! 楽しくなりますから!」
「押しても引いてもダメじゃねえか!!」
おもむろに立ち上がると白夜は響の首根っこをつかんだ。そして、扉の外に置いた。響が顔をあげる。
「……あら?」
「…………………………ごめん。僕、さすがに変態は無理かも」
脂汗を浮かべながら白夜は扉を閉めた。
これで安眠できる。これで安心できる。そう、これで。
「ふふ、そんなことを言って、ふふふ、響ちゃんにはお見通しですよぅ? これはそう、放置プレイと言うやつでは!? はぁ、はぁ、はぁ……そう思ったら早速興奮して参りました。ふふふふふふふ」
「びゃ、白夜ぁああぁあああぁあぁあ!! しっ、さっかりしなさいよ!!」
しっかりとは?
それに傾いてるのは自分じゃなくて地面の方で……。
千夏がため息をひとつ着いた。そして、勢いよく扉を開くとギロリ、と響を睨み付けた。
「ちなっちゃんさん」
「おい、響。私はあんまり浮気には寛大じゃねえ。そうやってあんまり人を誘惑ばっかしてると、もう二度と、付き合わねえぞ」
「……あ、ぅ、ちなっちゃん、それはあんまりですよぅ……私、女の子も男の子も人ならみんな好きなのに、それ知ってるのに、そんなこと言うんですぅ?」
「少なくとも治せない限りは同じ屋根の下で寝れねぇな」
「ひ、ひどいですよ!! 先に私をおいていったのはちなっちゃんでしょ!!?」
「でも私は別に女がいい訳ではないし。お前が付き合ってほしいっていったから、お前だからそうした。あと、おいていったのはお前が遅いから」
千夏が響の抗議を全てするすると流していく。いや、まて、気になるのは本当にそこか? 流していくところでいいのか? いやでも、どこから突っ込むべきか。
結局、突っ込みをし損ねた白夜が複雑な顔で立ち尽くすだけだった。
「と言うわけで、篠森 響ともうします! 改めましてどーもどーも! その筋はお世話になりました!」
浴衣を着た響が調子よく挨拶をする。
「いや、まあ、うん、どうもしたい気持ちはあるんだけど、そのぉ……」
白夜は力なく両手をあげたまま苦笑いを浮かべていた。よろしくと言って浴衣を着た響は白夜の頸動脈のある位置にクナイを当てたまま微笑んでいた。
「で、できれば、はずしてほしい、かも」
「あは。そんな反応をするんですねえ」
「ど、どういう」
「匂いますよ、白夜さん」
語尾にハートマークでも付いてそうなほど甘い声で響が囁く。その柔らかく、薄紅色の潤った唇が耳元まで寄せられて。吐息の音すら聞こえる距離で。
「血の、あまぁい匂いが……」
鳩尾と、脊椎の辺りに、痺れが走ったような感覚があった。恐怖とも、快楽とも、嫌悪とも、付かぬ感情が脳裏を埋め尽くす。
絡め取られた蜘蛛の糸の上。逃げることも叶わないのは分かっていた。けれども脳裏に犇めくのは、白夜の暗い記憶だ。
山のように積み重なった屍。
己を呪う怨嗟の声。
黒い刀は黒かったことを忘れさせるほどに赤く、美しく滴ってすらいた。
忘れてはいけない。忘れてはならない。忘れることは業で、忘れることは罪、で。
「ふふ、ふふふ、こう簡単に引っ掛かれると困りますねえ。かき乱しやすい者は忍び足る響ちゃんからは美味しい獲物なんですがねえ」
ふと鼻腔を擽る甘い香りに気が付いた。咄嗟に口許を被い距離を取ろうとあがく。毒だ。クナイに毒が塗られている。
よく使われた手だ。
金属に付着して金属が変質しないのは魔法を使った毒で、大抵が鼻に付く甘ったるい匂いを撒き散らす。効果は、幻覚と麻痺、中毒死と言ったところだろう。
現にしびれた身体はうまくもがけずに地面に落ちた。
「あ、はは、もしかして僕、殺される?」
「それもそれでいいんですが……貴方に手伝って頂きたいことがあるんですよ、白夜さん」
「うん、あの、殺されないならなんでもいいかな」
「では改めて紹介させていただきましょう。私の名前は篠森 響……んふ、先見の天寿を得た一介のくの一です」
張り付けた笑顔の隙間から、なにも読めない青い瞳が見えていた。
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