第6話

「――鈴音」

「あ、千夏」

 白夜の家に白夜の家の風呂を借りて、千夏は湯あみをして戻ってきたところだった。白夜は後ろのソファーでもう寝ている。

「少し話したいことがあってな」

「え、なあに?」

「あいつの、最後に言った言葉、覚えてるか」

 その言葉に僅かに顔をしかめてしまった。


 疎らに響く拍手。

「いやーよかった、うんうん、すっごく大団円じゃないか」

 そう言った白夜はニコニコと嬉しそうに笑っていた。顔色は真っ青だが、大胆円であることをどうやら心のそこから喜んでいるらしい。

「……ありがと、白夜」

「ううん。礼を言うのは僕のほうだ。これでようやく、対等な契約を結べる」

「白夜?」

 怪訝そうに尋ねれば彼は冷たい笑みを浮かべた。

「うん、改めて名乗ろうかなって」

 白夜は丁寧にお辞儀をした。その所作に優雅さが滲む。そういえば不知火家はボンボンだと聞いたことがある。


「僕は古都で探偵をしてる不知火 白夜。なんてことはないただの探偵……だけど、僕は誰も知らない《沈まぬ太陽》の行方を知ってる」

「……え? 沈まぬ太陽の、ゆく、え?」

 それは鈴音が喉から手が出るように求める人物の、その行方だ。

「待て、それはてめえが太陽に信頼されてるからだろ。なんでそれを今言う?」


「……明けぬ夜がないように、暮れぬ空も終わらぬ朝もない。世界はいずれ黄昏へと至る。でも彼は未だに沈まぬ太陽と呼ばれている」

 ならば、それは沈むべきだ。沈まなければ、ならない。でもそのためには彼を裁かなければならない。

「巨万の栄光を断罪しなければならない。栄光の裏には罪禍がある。なら、誰かがそれを引きずり下ろして、その罪を暴かなければならない」

 白夜は語る。妄執に囚われた声はぞっとするような甘美さを持っていて、それでいて――。

「全ての秘密はいずれ白日の元に晒される。千夏、君の秘密が暴かれたように、皮膚の下に隠した醜い秘密を、泣いて喚こうとも、明らかにして裁かれるべきだろ」

「それとこれと、なんの関係が……」

「白夜は、それを私たちにさせようとしてるの?」

 彼はその言葉に諦めたように笑う。

「いやならしなくていい。僕が僕の手で太陽を殺すだけだ」

 帝都はいずれ新しい太陽を見つける。古都は龍の傷を忘れる。でもそのままこれだけの傷を残したものが英雄とされるのだけは、耐えられない。

「その為に僕を天寿の果実のある森に案内してくれ」

「……は?」

「大丈夫。僕は君たちの味方だよ。心の底から、ね」


 白夜はそう言った。その時の影も闇も感じさせない声でそのあとはずっと飄々と、いつも通りに振る舞っていた。

「…………あれを連れてくのか?」

「うん。白夜は黒龍をそこに連れてくと言ったわ」

「だからって」

「白夜の言う通りなら、白夜の秘密もいずれ白日の元に晒されるもの。なら、そのあとに判断しても遅くない……それに」

 嘘だとわかれば戸惑いなく、切り捨ててやる。

 言葉にしなかったその考えに千夏が苦笑いをした。多分、何となくわかったんだろう。


 それに、紅様の仇を確実に殺せると言うのならそれは安い犠牲ではないだろうか。天寿を使うかどうかはあくまで白夜の判断だ。鈴音には、関係ない。


 眠る白夜の横顔を、チラリとみながら納得しない頭がくるくると回った。


***


 我が儘だろうか。

 恐れてほしかったわけじゃない。ただ、ただ、アイされたかったんだ。世の中のみんながもらってる、その無償のアイがずっとほしかった。


 でも、不知火 白夜がそれをもらうことはなかった。アイをしることも、アイを感じることも、アイを与えられることもない。

 これまでも――そして、これからも、だ。


 ぱちり、とその朝焼けの瞳をくるくると丸くしながら白夜はひあ、と息を吐いた。

 汗ばんだ額を掌で拭う。なんだか嫌な夢を見た気がする。そう思った瞬間、鳴り響いたスマホのコールに顔をしかめる。

「……はいー……不知火です」

『はっ!! ずいぶんなご挨拶じゃねえか、白夜!』

 ……楽しそうな胡蝶の声が携帯の向こうから聞こえてくる。

「こーちゃん、小言なら今日は」

『天寿の実について教えてやるよ』

「…………どういう風の吹きまわしだ?」

『帰蝶から話を聞いたぜ。全ての秘密は白日の元に晒されるべき、か。はははは! 天下の白夜サマも落ちぶれたもんだなァ! 一番秘密の多いテメエがそんなこと言うなんてな! あはははは!』

 悪辣なまでに笑った。笑っている。

 まるで馬鹿にしているようだ。いや、たぶん馬鹿にしてるんだろう。

『っ、あ? あー、わかったっつーの。はいはい……は!? オレ……あ、アタシ、は。あー黙れ。分かったよ。チッ……取り敢えずな』

 何か後ろで誰かと離した後、胡蝶は舌打ちをした。

『帰蝶からその話を聞いて忠告された。オレもお前に情報を渡さないと不公平だと。はっ! 馬鹿げてるよなァ……でもオレはお前が友達だと思ってる』

「……そんなに信頼してもらえてるってのは嬉しいけど。まあ、ありがたいから聞くよ」

『ああ。そんでお前、果実じゃなくて概念としての天寿については知ってるか?』


 天寿の概念。それは白夜も知っている。全てのものには寿命がある。天に定められた寿命。それこそが天寿だ。

『天寿の果実は、その天寿を歪ませる叶え方をする人工遺物だよ』

「…………は?」

『獄幻家の目的は二千年、全く変わらない。同じ一点を目指し続けている』

「それは、目的の修正もなかったってこと?」

『ああ。あの古く腐った家にとっては目的を叶わぬと諦めることこそが最も難しかった。そしてそれは分家となり交流の断絶した愛野の家でもそう変わらねえだろうな』

 二千年。永遠に一点を目指し行進し続ける妄執の群れ達。だとしたら分家となった理由も分かるような気がした。

『そもそも分家は手段を違えるためだ。もし愛野の家で極致へと至れば、すぐにお取り潰しが行われて愛野の成果と技術は御館様――クソジジイの手に渡る』


 目的地が定まってるのならば、交通手段を変えれば良いと言うことか。そして着いたのならばその交通手段に本家は乗り換える、と。

「……気が狂ってるよ」

『そう言うことだ』

「…………諦める人だって、出てこなかったのか?」

 電話口で彼女が嘲笑った。

『ンなの、生かしておく価値がねェだろーが』

 ……ああ。つまり、どこまでも独善的、と言うことだ。そのひどく歪んだ価値観は白夜にはどこか馴染み深い気もした。

『天寿は、目的を果たすために作られたひとつの手段だ。愛野の家は獄幻という家系が死なないための保険みてェなもんだからな。ヴァルハライドしかりレプリカントしかり二十七の滅びしかり……あの家はろくなものを産み出さねェ』

 そのろくでもないもののひとつが天寿の果実らしい。

『ンで、天寿の果実がある蓮角の里。不法地帯であり、罪人達の流刑地。そこの当主が愛野家だ。テメエは今から死地に赴く。いいか、くれぐれも嘗め腐るなよ。今のお前は黎明が応じない、ただのぼんくらだ』

「……忠告、ありがと。今度こそきちんと守るよ」

『ああ。白夜。オレとお前は同類だ。だからこそ、その道行きを心から案じ、その結末がいかなるものであろうとも祝福しよう』

 彼女らしい言葉だった。

 多分、自分が何を選んだのかは分かってるのだろう。彼女はそれさえも見透かして、そしてあくまでも悪辣に、偽悪的に、言葉を紡ぐ。

「ありがと」

 電話を切ると肩から力が抜けた。

 蓮角の里。そして愛野家。天寿。

 不安要素があまりにも多い。それでも望む結末を描くためならばその全てをコントロールできそうな気がした。


 黎明、とかつて呼んでいた宵闇をそっと撫でる。

 日が明けると信じていたことを思い出させるそれは白夜にとっては“傷”だ。目に見える形での傷だ。


 愛してもらえると信じていた。

 無償の愛を誰かがいつか恵んでくれると信じていた。誰にも望まれなくても誰かが愛してくれると本気で信じていた。

 太陽は全ての人を照らす。白夜はだから、全ての人を等しく愛した。


 それが無為と知ってまでも。


 そして太陽は時に残酷だ。宵闇に隠してしまいたい秘密すらも白日はいずれ照らし、晒しあげる。

 その時に皮膚の下はどんな風にうつるのだろうか。

 剥き出しの心はどんな風に見えるのだろうか。

 晒された人々の悲鳴は、どう聞こえるのだろうか。


 その時に。


「…………鈴音」

 あの深紅の少女のことを白夜は呼んだ。深い深い深海の青。溺れそうな蒼を思い出して虚空に手を伸ばす。今となれば希望の象徴のような、あの、引きずり込むような碧を。

「君は、私をどんな目で見てくれるのかな」

 その海に太陽が沈むのは、きっともうじきだ。


 確信に満ちた思いで白夜は唇を歪めた。

 空はもう、白み始めていた。

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