第4話

 辻斬り飛燕についての逸話は諸説ある。

 身長は二メートル、華奢だが身の丈よりも遥かに長い剣を振り回す。菅笠。襟が反対になった死に装束を着ている。死んでも死なない、などなど。

 鈴音の名乗る紅刃はかえって都市伝説化している部分もあるが飛燕は違う。週に数回、飛燕と思わしき犯行があるのだ。


「僕も警察に相談されたよ……って、なんでそんな意外そうな顔してるの?」

「だって意外だわ。白夜って仕事があったのね……」

「人を無職みたいに思ってたの!?」

 それひどいことだ。

 実際、白夜自身も自分は無職っぽいとは思っているがそれはそれ。大事の前の小事なので無視することとする。

「で、なんでその辻斬りが同じ犯行だってわかるわけ?」

「まあ、辺り差し障り無く言うとある辻で斬られるってのもあるんだけど、それ以上に現場にあれが残されてるんだ」

「あれ?」

 首を鈴音は傾げた。

 そう、あれだ。


 簡単に言えば私が殺しました、と言うような自白紙のようなあれだ。どこかで昔の辻斬りもそうしていたと聞いている。天誅、何て言葉で飾り立てられていたと言うのも。

「飛燕ってのも、その紙に書かれてたんだ」

「ふうん、これがそうなの?」

 安い半紙に、血で文字が綴られている。

「……『飛燕の愚かしきは空に霞む煙の如く』」

 簡潔な、一文だった。

 ただ一言、意味も脈絡もないその言葉が白い紙に滲んでいた。ただ一人、鈴音を除けば誰が見てもわからない文章。


「………………そう、なるほどね」

 そう呟いた鈴音の表情を、白夜はよく見ていなかった。


***


 愛野 鈴音と言う少女は、決して幸福な人生を歩んできたわけではなかった。むしろ不幸な人生だった。

 五歳までは愛野の家の奥に幽閉され、叔母である紅に引き取られてから十年後には、帝都の沈まぬ太陽、そのように恐れられた男の黒龍によって一人になる。

 それでも鈴音は不幸じゃなかった。

 彼女の傍には叔母であり師匠である紅が残した、道場の仲間がいたからだ。


 そのうちの一人が榎原 千夏と言う、少女だった。


 鈴音は露天で買った金平糖を指先で弾き、口に放り込んだ。その表情が姉貴分のような少女を思ってるのかは不明だった。

 ただ待ち合わせもなくまるで夜にさ迷う霊のように彼女はそこにいた。


 そもそも辻と言うのは十字路を四つ辻と言うように通りが交差しているところだ。標的と反対側からやってくれば必然的に不意打ちができる。そう言う意味でも辻で斬られることに意味があるのだ。

 この場合、鈴音は待っている訳だから辻斬りとしての条件としてはかなり最悪だ。

 勿論、それは江戸斬りといわれ、幕末に流行した歩きながらの居合斬りの場合だけけど。だがそれを抜いても条件が悪いことは変わらない。何故ならば相手はこの襲撃を知っているからだ。


 だが――その人物は来た。

「……久しぶりね、千夏」

 鈴音の声に大男、この場合は大女と言うかもしれない、その人物は答えなかった。背中には話通りに巨大な剣を持ち、高下駄を履いている。なるほど。あの大きな剣が他人を威圧して二メートルの大男に見せていたのか、と思った。

「合縁奇縁って言うものね」

「お前はその言葉が好きだよな。アタシは嫌いだ、大嫌いだ」

 いっそ憎しみの方が生易しいような瞳で千夏は鈴音を睨み付けた。


 風が二人の髪を優しく撫でる。次の瞬間、嵐ががなった。千夏の振るう大剣が空を裂き嘶くのだ。だがそれが到達するにはあまりにも遅すぎた。

 抜かれると同時に納められる。鉄塊など溶けたバターも同然。何故ならばそれは刀にして刀にあらず。

 その刀は鈴音の分身と同じ。つまりそれが、魂の武器。ヴァルハラに呼ばれる英雄、その資格であり象徴と呼ばれる武器――。


「【阿修羅】」

 刀の銘を短く呼ぶ。刀の柄に嵌められた薄紅の鉱石が深紅の光を輝かせた。魔力を全力で刀に注ぎ込む。本当に溶けかけのバターを斬るように大剣を切り捨てた。

「それがお前だけの技だと思うな!!!」

 切れた大剣が逆再生のようにもとに戻っていく。ああ、すごい。さすが千夏だ。己の確固たる在り方を彼女は既に見据えている。でも、だからこそ。

「貴方の牙は私を殺せない」

 剣と剣がぶつかり合い、火花がチカチカと舞い散る。

「鈴音ェ!! 止めるんじゃねぇよ!!」

「ううん、止めるわ。無関係の人間を貴方が斬るなら、私、止めるわ」

 剣の冴えは互角。あとはスタミナが持った方が立つ。千夏の乱雑に振り回される大剣を鈴音は軽やかにいなしつつ避けていく。

「私達、なんでこんな風に戦ってるのッ!? 袂を、いつ別ったのよっ」

「いつもいつ、決まってるじゃないか! お前はあの黒龍とか言う下手人を殺すことにした! だけどなぁ、師匠を殺したのはこの世界そのものだ!!」

 だからアタシは。

 千夏は襟を掴んだ。その瞳が憎悪と衝動に濡れて、ぐちゃぐちゃになっている。

「……アタシは、願った。願ったんだよ!! 修羅に堕ちても、この世の全てを殺してやると!!」


 その瞬間。鈴音の刀が鯉口を斬っていた。

 深紅の花弁が空を舞い、千夏の全身に刻まれる。彼女の深海の瞳が千夏を“敵視”した。

「貴方が――修羅をッ! 語るな!!」

 明確な拒絶に千夏はなにも言わなかった。


 二人の間にできた溝が、取り返しのつかないものであると知る。これは断絶だ。あまりにもむごいけれど、あの日、袂を別ってから、もしかしたら当然予測できる末路だったのかもしれない。

 だからもう嘆かない。

 これは当然で、必然の結末。

 悲しくもないし、寂しくもない。

 ただ一抹の、まだ割りきれない複雑な、姉弟子を慕う妹弟子としての感情を、殺す。それだけでほら、簡単に。


 ――私は修羅に落ちれる。


 鈴音は地面を蹴った。もうそこに何の感情も含まれていない、そんな冷淡さに目をつぶりながら。


 月が満ちる。

 揺れる影に白夜は何の感想も抱かなかった。遠くで響く金属のぶつかり合う音は、むしろ神経を逆撫でされているようで。

「……いかなくて良いのか?」

 揺れる紫煙に白夜は唇の端を持ち上げるだけだった。

「行かなくていいだろ。僕がいなくても鈴音はやってける。むしろ僕はこと戦場においては邪魔物だろうからね」

「ほう。それが――沈まぬ太陽を曇らせた原因か?」

 白夜のオレンジ色の瞳が帰蝶を信じられないものを見るような目で見た。

「バレぬと思っていたか? 妾は胡蝶の部下ぞ」

「……なんの、話かな?」

「ふん。そもそも妙な話とは思わぬか? 不知火の子よ。帝都の沈まぬ太陽。古都を一刻で壊滅させた黒い龍。どちらの名にしてもその者の恐ろしいまでの戦果を崇めておる。そんな戦闘に根から腐り果てている男が、果たして栄光から逃れて、ただの一般兵であったはずのそなた以外に行方を悟らせずに消えることは果たして可能じゃろうか」

 帰蝶の話は正しい。


 鈴音の探し人である男、その者の本名は誰も知らぬ。だがその戦果の恐ろしさからその男は味方ていとからは沈まぬ太陽、と崇められた。そしてことからは黒龍と蔑まれた。

 男のたてた戦果は凄まじい。


 一夜にして村を壊滅させたことがあった。

 女子供にさえも容赦はなく、いっそ《鮮血の桜夜叉》と呼ばれた女のほうが余程慈悲深いとさえ言われた。


 一軍をひとりで殺し回ったこともあった。《黒死の蝶》と呼ばれる暗殺者の少女のほうが余程理性的だと誰かが言った。


 挟み撃ちにされたとき、味方を誰も失わないまま窮地から脱したことがあった。《雨垂れの賢者》の青年もそれには舌を巻いたそうだ。


 《棒振り》も、《無銘の黄昏》も。

 誰もが等しく素晴らしかったが、誰も《沈まぬ太陽》の狂いかたにはかなわなかった。そして《沈まぬ太陽》だけが。

「……彼は英雄じゃないからね」

「かか。そのようなことを言うのは古都の者だけじゃ。そういう妾とて古都出身ではあるがな、その活躍だけは確かに英雄ものであると言えるじゃろう」

 それは嘘だ。もし事実でも、彼のそれは無数の殺戮の上に成り立つ砂上の城に過ぎない。英雄は、《無銘の黄昏》のように綺麗な血で手を染めるべきだ。

 沈まぬ太陽は沈まないがゆえに大地を焦がした。

 圧倒的武力で敵を凪払い、圧倒的武力で暗殺すらもやってのけた。彼の歩いた道は、古都での名の通りに、龍が腹這いになったかのような跡が残っていたと言う。


「……さあ。僕は分からないな。少なくとも彼はもう、表に出ることを望んでない」

「そうか。それではもう帝都の太陽はよもや幽鬼に落ちたと言うことか。それもまた、英雄には必要であろう」

 帰蝶は煙を吐いた。その匂いは別に嫌いじゃない。白夜は夜の果てを見ようと目を細める。


「じゃが、行かぬのは感心せんの」

「え?」

「そなたは天寿を追い求めているのであろう?」

 胡蝶の部下に言われて思わず笑みがひきつった。彼女に止めておけと言われたことを思い出す。

「よいよい。胡蝶もそなたが止めるとは思ってない。ただあやつの性格的に忠告をせねばならぬと口にしただけよ」

「……それは」

「天寿の果実。願いを叶える万能の果実。獄幻家の忌まわしい異物の一つ。のう、白夜。それが常に傍にある、というのはどのような暮らしなのじゃろうか」

 煙は上る。白く、白く、空へ上る。


 帝都には魔法がある。古都よりも遥かに発展し普及している。古都にも異才と呼ばれる特殊能力や魔法から派生した陰陽道などが今なお息づいているが天寿とそれは全く別だ。

「そなたは彼女を見届けると定めたはずだ。であれば、この戦いもまた、そなたが責任をもって見届けるべきであろう、と妾は思うが。違うかえ?」

 白夜は少し唇を噛んだ。

「……多分、それは正しいね」

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