第3話

 胡蝶の十の懐刀。或いは胡蝶の十の夢。夢十夜。

 胡蝶が連れている十二人の部下の総称であり、彼女ら彼らはそれぞれ隊を率いることを許され、胡蝶から直々に名をいただいている。


 その一人が織田川 帰蝶。

 胡蝶が事前に白夜に派遣すると言った、織田川の家系の娘だ。

 ……いや、派遣するとは言ったが。確かに派遣するとは言っていたが。まさか、が来るなんて思わないじゃないか!

 それにまさかその日のうちにやってくるなんて聞いてねえし! と内心で胡蝶にクレームを立てておいた。面と向かって言った時の場合の命の有無が計れないからだ。内心で我慢する。

「しかしのう、胡蝶の言っていた白夜とはお主か。なんとまあずいぶんな美丈夫じゃが……」

 帰蝶は白夜の価値を見定めるように見る。

「……胡蝶の好みからはちと外れているようだのう」

 そう、付け足した。


「は、離しなさいよっ、ていうかなんなのよ貴女!」

「ふむ。妾は残念ながら喧嘩は好まぬゆえ、このように拘束させていただいた。ほら、妾、一応淑女だからのう」

 ふらりふらりと立ち上る煙のように。

 帰蝶は煙管からふうっと紫煙を吐いた。匂いは煙草の匂いとは違う。どちらかと言えば香のような。

「喧嘩より蹂躙が良い」

「鈴音!!」

「とりあえずやってみるッ……!!」

 赤い閃光が迸り、煙の帯が切り裂かれた。帰蝶の黄金の瞳が驚いたように見開かれる。鈴音は全ての帯を塵のように切り刻むと白夜を自らの方に引き寄せた。

「――霞を斬る剣士か。なるほど。言い得て妙な技よ。じゃがのう」

 伸ばされるのは革手袋に覆われた手。

 周囲の空間に飛び立つのは黄金の羽を持つ蝶。

「妾へのそれは、むしろ逆効果じゃ」

「鈴音! 逃げるぞ!」

「うん!」

 壁を切り捨てる鈴音と、前に手を伸ばす白夜。再び固体へと状態変化と言うのも烏滸がましい変化を行い帯へと戻る煙。

「来い、宵闇の剣よ」

 喚ばれて、呼応するようにその手に収まった黒い艶に覆われた剣を白夜は迷わずに抜く。帰蝶の伸ばした煙の帯を簡単に切り捨てた。

 そのまま夜の乙女の衣に彼らは身を隠した。


 帰蝶は己の口角が上がるのがわかってしまった。

「《帝都の沈ます太陽》の行く末を知る男、か」

 耐えられない。歓喜と興奮が入り交じったなんとも言えない感情が脊椎を弾けるように昇った。

「やはりツワモノとは、こうでなければなあ……!」

 その瞳が魔王を示す赤に染まったことを、誰も見ていなかった。


 脳内に迸るドーパミン。必死に白夜と鈴音は夜道を駆け抜ける。

「ねえ! あの別嬪さん誰なの!?」

「あ、あれは織田川 帰蝶――彼女は織田川家の正式な跡取りだ。なんてことはなくてね、織田川の家系は女系なんだよ。社交界でも彼女は本名ではなく帰蝶を名乗ってた……間違いない」

「そんな人がどうしてここに!?」

「胡蝶が派遣したんだ。目的はわからないけど……ッぁ、がっ」

「白夜!?」

 喉に食い込んだのは見えざる手だ。否。恐らくは空気中の酸素を気体そのまま固体化したものだ。その感覚をどう言えばいいのかわからない。

 形がなく触れないそれが、確かに固体としてそこにあるのだ。それも酸素が温度変化して変わった固体としてではなく、ただ気体が固体になっただけのようなイビツな状態で。

「逃げられると思っていたとはのう。なんと浅ましく健気な思い込みよ」

「ッ……おだ、がわ」

「妾の手から逃れることが可能だと? それは愚かな一夜の夢よりも浅はかな呪いよ。妾の手は果てを手に納めても尚、余るものじゃ」

 視界が酸欠と涙で滲んでいく。首の骨が軋むのだ。気管が絞められてるとか、そう言うことじゃなくて。ただ純粋に骨が。


「――魔法がない状態を“蘇生”する」


 それは妙に落ち着いた鈴音の声だった。それと同時に彼岸花の細く頼りなくのびる、あのどうしようもなく放射線を描く花弁が空に描かれ。

「……!」

 煙が、細切れになった。

 帰蝶は驚いたように目を見開いた。指先が何かを命じるように動いたにも関わらず、煙は空へと溶けた。その瞳が深紅に揺れる。まっすぐと、帰蝶の動きを見張っている。

「そなた、よもや天寿の使用者か?」

「だったらなに?」

 鈴音は冷たくそう吐き捨てた。天寿の実。それは白夜の探し求める、願いの叶う果実――!

 すがるように見上げた白夜に僅かに悲しそうに笑った、気がした。

「白夜にはあんまり見せたくなかったんだけどね。これが、天寿を授かった者よ。と言うわけで改まって名のってあげるわ」

 深紅の刀が帰蝶を指し示す。

「私の通り名は《紅刃》。帝都の《沈まぬ太陽》を沈める者。そして、《蘇生》の天寿を持つ者よ。私は生かしながら殺すの」


 《蘇生》

 それは単純で生易しいものではない。

 なにかを生き返らせるということは同時になにかを殺すということだ。


「……なるほど。それが妾の魔法を破ったからくりか」

 鈴音は答えなかったが、それはまるで肯定のようだった。


 彼女は魔法がない状態を《蘇生》した。そして理論上、その場合は魔法がかかっている状態ではないのだ。スイッチのようなものだと仮定してほしい。鈴音はそれをオフにした。オンとオフは両立しない。

 死にながら生きることはできないし、生きながら死ぬことはできない――そんな話だ。

 勿論現実、中間も時としてはあるのだが鈴音の天寿、つまり固有の魔法はそうではない。半ば無理やり、もうひとつの状態を《殺害》するのだ。


 そこから先は卵が先か鶏が先かみたいな話で、斬ったから蘇生されたのか、蘇生したから斬られたのかはもうわからない話だ。

 少なくとも鈴音は霞を斬り、魔法は崩壊した。

 勿論どちらでも成立する。要するにこれは辻褄を会わせているだけなのだ。


 死んでいる状態ではなくなったから生きてる、みたいな。

「……ふむ。やめじゃな」

 不意に帰蝶はそう言ってどかりと女性らしからぬ仕草で地面に胡座をかいた。

「止め? どう言うことよ」

「しごく簡単な話じゃ。この先もやりあうと言うのならばその方らのどちらかを嫌でも殺さねばならなくなる故な」

「殺せるとでも言うの? 貴女より私が下って言うわけ?」

 苛立ったようにまくしたてた鈴音のその言葉に帰蝶は黄金の瞳が細くなる。


「……か。かか、カカカカカ、カカカカカカ!!」

 織田川、帰蝶。

 帰蝶とはそもそも織田信長の妻、美濃姫の別の名だ。それを織田川の家の娘が持つなんて、それはただの偶然なのか、それとも。

「妾に殺せぬ命があろうてか。命はみな、均しく塵芥よ。例えそなたが霞を斬る剣士であろうと、妾の方が遥かに優れておるわ」

 必然、とでも言うのか。


「じゃがなあ、妾とて殺せるならば不安要素は取り除いておきたいがのう……それをすると胡蝶の主義に触る故な。それができぬのよ」

「こーちゃんの? どう言うことだい?」

「どう言うこともなにもな。妾はただ胡蝶から直々に忠告を賜っただけじゃ――『天寿の捕食者とは交戦するな』と言う、珍しい忠告をの」


 話は数日前に遡る。

 夢十夜だとか、懐刀だとか称される十一人の幹部はまず呼ばれることがない。胡蝶に言わせれば最終決戦兵器だとかなんだとか言うが、癖の強い駒が多いと言うのも事実だろう。

 実際、帰蝶もその癖の強い幹部の一人だ。

 織田川の系図である、と言う以外に特に役に立ったりする訳じゃない。


 そんな自分が呼び出されたのだ。心踊るものがあると言うわけで。帰蝶は執務室に入った。

 執務室の中央に立つのは銀髪の少女だ。銀と言うか鉛色のその髪は光に輝き、本当に金属のような鈍い煌めきを持っている。胡蝶、と呼ばれる少女は少年のような表情でこちらを見ていた。


 彼女はこちらを見るとにこりと笑った。

「時間とらせてわりぃな、帰蝶」

 軽く、少女とは思えない口調。

 彼女のそれは周りの男性になめられないようにと模倣した口調であり、微笑ましいものだ。シャツから伸びるやや不健康な青白い腕はあまり微笑ましくないけれども。

「構わん構わん。して、妾を呼び出した理由はなんじゃ?」

「簡単だ。今回の任務についてちと話してェことがあってな。別に面白い話でもねェんだけどよ」

 その粗暴な口調の裏に苛烈な思いやりがあることを帰蝶は知っている。

「今回は向こうに由縁のあるテメエを抜擢した。任務内容は簡単で今流行りの辻斬りを捕縛してこい。あれはオレらには有害だ」

「うむ。分かっておるわ」

「で、それに対してはオレから三つ命令だ」

 三つ。

 珍しい。三つもあると言うことがかなり珍しい。


「まずひとつ。今回の件は全部テメエに預ける。オレの名もテメエの武器も好きに使え。責任はオレに被せろ」

 これは彼女がいつも言うやつだ。

「それなら二つ目。白夜とどんぱちやるなら好きにやれ。オレはこれについては知らねえ。お前、一回腕あわせしたいつってたろ」

 止めもしないが進めもしないところは彼女の美点だ。

「んで最後の。天寿の服用者とはやりあうな」

「…………は?」

「そのままの意味だよ。天寿はテメエじゃあ身に余る。殺しても殺しきれねェ。よっぽど相性が良くねえとな」

「待て、胡蝶。妾は強敵と死あうのが」

「なあ、帰蝶。オレはテメエをどうすればいい?」

 黙ることにした。

 直接脅さないのは彼女の美点だと思う。それは遠回しに告げられる死刑宣告にも均しいわけだけれども。帰蝶はしらない素振りを通すことにした。

「あと、オレはテメエに死んでほしい訳じゃねえから。そこも分かっとけ。今回の件はテメエに預けたから確認は後でいい。好きに扱え」

「……分かった。妾も身を弁えて動く」

「別にそう言うつもりじゃねえよ。オレはテメエのそう言う直感とかも買ってるから、好きに動けって意味だ。そう言う意味合いでもテメエに全部丸投げする」

 分かったなら行け、と追い払われた。隣にいる銀髪の青年はその間、一言も発すること無く黙って本を読んでいた。

カイ、なんか言うことは?」

「いや、オレからは特に無い。そもそも帰蝶さんはオレの部下じゃないからな」

「ならいいわ。つうわけで上手くやれよ、帰蝶」


 と、まあ、そう言う半ば雑な扱いを受けて派遣されたのだ。

「まあ、じぇっと? と言う空を飛ぶ鉄塊に乗っている間に胡蝶からそなたが天寿を求めてるからますます気を付けろと言われてな」

「……えっと、じゃあ帰蝶さんはなにか別の目的があってきたんですか?」

「うむ、そうじゃ、その通りじゃ」

 天寿や白夜はおいておいて、本来ならば帰蝶が一目散にやらねばならないことがある。それこそが今回、胡蝶から言いつけられた『おつかい』だ。


 ところで彼女はあんなに粗暴で粗野だが意外にも規律にうるさい。規範的であり、規律に正しく、規則にのみ膝をつくような人間だ。ルールや法律がもっとも偉いとまでは言わないが、守るべきであるし優先されるべきだと考えている。

 不自由さによる自由を愛しているとも言える。

 だからこそ許せないことがあるのだ。アゲハが己の君臨した地区に敷く規律を犯すような、つまり彼女のメンツを汚すような人間が。


 それを犯されて黙って泣き寝入りするような少女ではない。先日、京都にあるアゲハの区画で一人の人物が殺された。それが彼女の逆鱗に触れたのだ。

「――辻斬り、飛燕」

 白い死に装束を着た長身の

 織田川 帰蝶は下手をすれば紅刃よりも遥かに有名なその辻斬りの名を出した。

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