第2話
それが劣情だったら、熱を持っていたら、良かった。彼女の白いチャイナドレスから伸びるすらりとした肢体は白夜の体を押さえつけている。
「……くれない、やいば」
「そう。信じてくれないならきちんと証明してあげるね?」
熱い吐息なのに温度がない。湿度もない。ただ淡々と、刻々と、愛が冷めていく音がする。
「あのね、じょーずに私が、この腕、斬ってあげる。大丈夫。安心して? きちんとくっつくように斬ってあげるもの。痛みは一瞬よ?」
指先がツゥ、と腕をなぞった。
ゆうに、想像できた。
冷たい剣がひゅるりと腕を走って、それから斬れてることに気がついて、熱くて熱くて熱くて熱くて。
「みーんな、死にたくはないでしょう? なら、教えてよ。ねえ、白夜は『黒龍』って剣士を知らない?」
黒龍。
「そ、それは東西戦線の英雄の」
「そう。沈まぬ太陽って恐れられてた帝都の侍さん。その後にあった第三十八次食料戦線には出てたかなあ。どうかなあ」
「ま、待ってくれ! なんで君はその黒龍を探して」
「殺されたの」
あお。アオ。青。蒼。
真紅の髪も十分に目を引くけれども、彼女の目は誰よりも青くて。
「私の師匠、
彼女は狂ったようにそう告げた。
「だから殺すの。殺してあげる。黒龍っていう男。殺さなきゃ。命は命で洗うのよ。そうでなければその罪は雪がれない。復讐なんて間違ってるってよくみんな言うけど、でもそんなのおかしくない? なんで黙って殺されてあげたのに、そっちはなんで黙って殺されてくれないのかな。あ、白夜はそんなこと言われても困るよね、だって白夜は黒龍じゃないんだもの。あれ、でも白夜は嘘、ついてないのかな? 本当に嘘ついてないのかな? もしももしも白夜が嘘をついてたらどうしよう」
「どうしようって」
「ううん。心配しないで。その命をヒラいて魂を審査してあげる」
今度こそ本当にゾッとした。
例えばコンビニで銃を振り回してるチンピラがいたとしても白夜は嘘だな、と思う。そこには覚悟が伴っていないのだ。人を殺す覚悟。けれども、彼女は。
本気で、白夜の命をひらこうとしていた。
「ま、待ってよ!」
「……安心して。まだ白夜のこと、殺さないよ? だって白夜、私のこと紅刃だって信用したじゃない?」
「……え、あ、うん」
今の剣幕で信用しないで誰か死んだんだな。白夜は悟った。
「それに見ての通り私追われてて困ってるのよね」
「あ、それ。あれ警察じゃなかったけど」
「あれね、私のお家の人たち。もーすぐに追いかけてきちゃうんだもん。困っちゃうよね」
白夜は鈴音を即刻摘み出した。
「サヨウナラ、厄介ごと」
扉を勢いよく閉めて――刀が扉から飛び出てきた。白夜の心臓がばくばくと早打ちする。切り口から鈴音の青い瞳が覗いた。
「白夜……追い出されたら私、斬っちゃうかも……白夜のお・な・か」
「あごめんとりあえずヤバいものだけでも片させてください」
高速詠唱でことなきを得た(命)。流石に死ぬかと思った。まあ殺されかけたんだけど。でも事なきを得た。そう! 事なきを得たんだよ!!
「わー私ってばもしかしてヤンデレの素質あるんじゃない?」
「はは、ありすぎると思うしそれはもう何か違う素質」
鈴音は座布団に座って酢イカを食べていた。一時間で一万年分の力を使い果たした気がする。
「……鈴音は料理とかできないのかい?」
「できるわ。安心して、今日のご飯くらいは私が作ってあげる」
そう言ってととと、と軽やかに駆けて行ってしまった。なんとも言えない少女だ。
「……………………紅か」
その深紅の髪が柔らかく揺れた。
***
「辛ッッ!!!?」
肉じゃがを持っていた箸を投げた。
辛いとかではない。痛い。口の中にダイナマイトをぶちこまれたみたいな痛さがある。痛い。めちゃ痛い。なんだこれ、なんだこれ!!?
良く海の向こうの国では麻の辛さ(要するに花椒)と辣の辛さ(要するに唐辛子)が違うと言うが、これはなぜかその二つが悪魔的な合体をしてる。というかその隙間に鼻に来るわさびの辛さも合間って控えめに言って。
「うぇ…………」
不味い。
美味しくない。
これは人工由来の不味さではない。砂糖と塩を間違えたとか、味が音痴とかそういうことではない。強いて言うなら辛すぎて美味しくない。不味いわけではない。痛い。美味しくない。
「白夜? もしかして、口に合わなかった……?」
「え゛? なんで食べれてるの?」
「?? 美味しいじゃない。刺激的な味でしょ?」
鈴音はもう一口、食べた。
訂正しよう。味音痴だ。
取ってもらったティッシュで涙を拭う。
「……これ、なんなの?」
「これ? あのね、特性辛い辛いスプレーをかけた肉じゃがよ?」
「殺戮兵器じゃなくて?」
仮にこれを催涙ガスとして発売したら多分、捕まる。それくらい危険な代物なのでできれば永年封印を施したいくらいだ。
「あ! もしかして辛いの苦手だった!?」
「今さらそこに至ったの!?」
「わー、ごめんね。私ったら、自分が好きなものはみんなが好きだと思ってて……お詫びに甘い甘いスプレーかける?」
「うーん、丁重に断ろうかなあ」
なぜそう極端な方向に走るのだろうか。このままではいけない。ものすごくいけない。だって既に厄介ごとの気配がしているのに、更に追加で持ってきそうだ。おかわりはお好み焼きだけでいい。
と、そんな風に頭を高速で回転させながら回避行動を行おうとしている時だった。玄関の方で扉を叩く音がして振り向く。白夜は逃げるように扉を開けた。
「はーい!!」
「あ、ちょっと白夜!」
「どちら様……で、す…………か……」
白夜は絶句した。
そこに立っているのは“異様”だった。
雨の一滴も振っていないのにさしている蛇の目の傘。その影に見えるのは錦の重ねて着た着物と、わざとらしくはだけられて見えた、艶かしい程の色気を帯びた肩だった。
「――もし、お兄さん」
絡めとるような指先を思い出させる声。着物の下には書生の着るようなシャツを着ているのが見えた。ゆっくりとその面があげられていく。
「よろしければ、一晩泊めてくださいな」
黄金に輝く、狡猾な蛇のような瞳が細められた。
ある種、デザイン化された花魁の、その艶かしさだけを抽出したようなその姿にしばらく惚けるところだった。
「すみません。実は今日は先約がありまして」
「……そうなのか。妾を泊められぬと、お主はそう申すのか」
「ええ、まあ」
そう言えば、先ほどから煩かったあの鈴音がずっと静かだ。どうかしたのだろうか、と思い振り向こうとした瞬間だった。
「では妾も力強くで今晩の宿を手に入れるかのう」
女の声が、聞こえた。それと同時に腰の刀を抜こうとした手が動かなくなる。
拘束しているのは『煙』だった。そこにあれども何かをつかむ程の力はない、形のないモノであるはずの、煙が、白夜の腕を掴んでいた。
「なっ、物質を」
「固体化する魔法じゃ」
女は蛇の目の傘を畳み、高下駄を履いたまま部屋に上がる。その帯の柄は黒地に銀の糸で織られた蝶で。
――そんなふうに蝶を意匠に使う組織なんて白夜が知ってるのは一つだけだ。
「…………まさか、君は」
「ふむ、そろそろ名乗ろうかのう」
彼女は艶やかに煙管をふかした。
「妾は織田川――織田川 帰蝶。十本の懐刀。その五本目、と言ったところじゃ」
黄金の瞳をニヤリと細めて女は名乗った。胡蝶の十の懐刀、その一本としての名を。
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