天寿 《紅月の極夜》
ぱんのみみ
第一幕 飛燕、千の夏
第1話
幸福とはなんだろうか。
祈りとはなんだろうか。
愛情とはなんだろうか。
或いは、『人』とはなんだろうか。
人は皆、己を救いたい。
人は皆、己を正したい。
その救いが過ちそのものであったとしても。
その祈りが過ちそのものであったとしても。
その正しさが過ちそのものであったとしても。
だから私たちは定義しなければならない。
己は何者なのか。
己は何になるのか。
どのような存在なのか。
どうして戦い、どうして傷つき、どうして生きるのか。
それこそが存在理由。それこそが自我の定義。
「……だから、逃げちゃダメなの」
それこそが意義。正しくても、間違っていても、私たちは生きている。
「決めなきゃ、決めるのよ、
涙ながらにそう自問した少女はもう傷だらけだった。けれども深い青の瞳は、まるで海の底のように深く深く――けれどもそこにも確かに光があると知らせるようだった。
***
極楽浄土。
それは誰もが夢を見る。例えばそれがなんでも願いを叶えてくれる島だとかいうのならそれはもう喉から手が出るほどに欲しいに違いない。実際、男……
いやまあ、現状はちょっと違うというか。本当はちょっと違うわけだけど。
まあ似たようなものだろう。
白夜は京都の外れにある個人経営の情報屋で無数の古本を開いていた。
ここには数年前から密かに囁かれている噂があった。白夜はゆったりと顛末を話すのは好まない。端的にいえば要するに天空島の噂だ。
天空島!
それもなんでも治外法権なんでもやりたい放題の島!
更には食べるとなんでも願いが叶う果実もあるとかなんとか。
なるほど。
そんなんめっちゃ行きたいに決まってるじゃん。
だが図書館をいくつ巡ろうともまともな話が出てこない。それどころかその天空島のての字も出てこなかった。
「……はぁ。こんなに探してもないってことは、この世のどこにもないのかなあ」
「お兄さん、何してるの?」
いきなり声をかけられて白夜は驚いて体を起こした。そこにいたのは真紅の髪の少女だった。古都ではあまり見かけないチャイナドレスに真っ青な瞳だ。そう、まるで海のような青い瞳を輝かせている。あまりの青さに当てられてしまいそうだ。
「えっと。君は?」
「え? 私? 私は名乗るほど通りすがりの者じゃないものよ。ただの剣士よ……あれ? 今なんか変じゃなかった?」
「うーん。強いていうなら順番はめちゃくちゃかな」
「名乗らないのって難しいのね。なら聞いて驚きなさい! 私はリンネ! 愛野 リンネよ!」
リンネと声高らかに宣言した少女はえっへん、と(無い)胸をはった。
リンネ、とは輪廻転生のリンネだろうか。だとしたらとんでもない名前をつける親がいたものだ。
「ちなみにリンネは鈴に音でリンネよ! よろしくね!」
違った。
下世話な疑問を抱いたことは一生胸の奥にしまっておくことにした。墓場まで頑張って持って行こう。
「お兄さんは?」
「えっと、僕は不知火 白夜だ」
「ふうん……不知火って
「あはは。名前だけは持っていっていいって感じで追い出されたからねえ」
「じゃあじゃあ、私とお揃いだ」
人はそれを大体勘当というのです。
しかし、ということはこの愛野サンは偉い家に生まれているのだろうか。
それを聞こうと顔を上げると、少女の後頭部の緑のバンダナがヒョコ、と動いた。何か得体の知れないものを見た気がする。彼女は何かを確認するとおもむろに立ち上がった。
「ごめん、お兄さん、もう行かなくちゃ。合縁奇縁っていうし、またどこかで会ったら私と仲良くしてね! バイバーイ!」
少女は、嵐のように去っていった。本当に嵐のように気まぐれに。
後に残された青年はただぼんやりと彼女の去っていった方を見ていた。それから残された本を片そうと思って――指が、止まった。
「……
古くより人間の流刑先として使われていた空を飛ぶ幻の島。人ならざるもの、多く住まう里。
「蓮角の里の――天寿の果実」
その指先が掴んだのは、僅かな取っ掛かりだった。
***
不知火家は彼女、鈴音が言う通り帝都の貴族のひとつだ。白夜はその家の嫡子で、勘当されたので古都に身を寄せている。
帝都と古都にそれぞれ、中世で言えば貴族に該当する家紋がある。
不知火、
特に中でも獄幻家と織田川家は格が違う。
帝都の権力者となった鶴野家や不知火家でも両家には頭が上がらない。
けれども彼女の名乗った愛野家、と言うのは聞いたことがない。
「ねえ、こーちゃんは知ってる?」
『……知る分けねえだろ。何電話してきてんだよ。カイにばれたらテメェ、そこで首を吊って死ぬってのはどうだ?』
流暢な日本語でそう返された。なるほど。
「でもさー、こーちゃんくらいしか知らないでしょうよう。僕が知らないってことは弱小貴族だろうし」
『ぶち殺すぞ権力者』
「僕知ってるんだよ。世の中の権力者、片っ端から殴って歩いてるでしょう?」
『…………テメェ、鼓膜ついてんのか?』
鼓膜はついてるし一応脳もある。
こーちゃん、と言うのは胡蝶ちゃん、と言う少女だ。少女らしくない話し方だけど仕方ない。だって彼女、堅気の人じゃないもの。
「ねえ、ほんとーになんもしらないの?」
『……愛野家は獄幻家の分家だ。知らねェのも無理はねぇ。ずぅっと昔に分家になり歴史から名前を消された家だからな。悪いけど首を突っ込むのはオススメしねぇぞ』
「こーちゃん、僕に隠し事かい?」
『白夜。オレは気が長いほうだと思うぜ』
話が、変わった。
電話越しでもわかる冷えた声が淡々と告げられる。
『けど、触れちゃあならないラインってもん、間違えられちゃオレだってキれざる終えねぇだろうがよ。なあ、殺していいか? ぶち殺していいか? その息の根を確かに止めていいのか? オレとテメェはまだ対等な関係で、まだ友達だと思うから文句いいつつ電話に出てやってる――そうは、思わねえんだな?』
「僕が悪かった。確かに見誤ったね」
白夜は非を認めた。彼女が触れるなと宣告した一線を越えれば、どうなるか。それは何度も目の前で見てきたことだ。
『そう言うことだ。愛野と接触するなら十分気を付けろ。あれはオレらの望む結末じゃねェ。少なくともシグレは止めとけっつってた。確かにあれは、オレのもんじゃあねぇ。分かったなら首突っ込むな。自殺方法くらい選べアホ』
「こーちゃんって、優しいよねえ」
『よし分かったくたばれ……あ、それと言い忘れてたけど今日からそっちに織田川のヤツが行くことになったから、どんぱちやるなら気を付けてやれよ』
「は!!? え!? ちょっ、こーちゃん!!? ………………き、切れた、だと??」
悲しく電子音を吐き出す受話器を戻して白夜はため息をついたのだった。
取り敢えず愛野家がなんなのかは分かった。
少なくとも胡蝶はなにかを隠しているが教えてくれることもなければ協力してくれることもない。助力もなし。むしろ――
「……織田川の家の子、どうやって部下にしたんだ……」
――本気で、妨害してくる。
あれはそう言う宣告だ。ところでシグレって誰なんだろう。
「仕方ない、か。僕に情報を貸してくれてるだけで今はプラスなんだ。これ以上はあまりにも卑怯だしな」
それに気になるポイントが多すぎる。
『あれはオレらの望む結末じゃない』ってどう言うことだ?
胡蝶の果てのない望みなら兎に角、白夜の願いすら叶えられないと言うのか?
「取り敢えず、呑もう……こういう時はお酒が」
「わあああああああ!! そこにいる人! 退いて退いて退いて退いてー!!」
「…………え゛?」
空から落ちてくるのは白。白。白。そして、深く深く吸い込まれそうな青い瞳。
「あ」
「っ!!」
白夜は手を伸ばし少女、鈴音の体を掴んだ。それと同時に空から降ってきた男を蹴飛ばして遠ざけた。
「いい蹴りね!」
「き、君は、鈴音ちゃん?」
「うん、私、鈴音! お兄さんはえ~っと……あ、白夜さんね。うん、覚えてる覚えてる。取り敢えず理由説明してる暇ないから走ろうか! 私、追われてるの!」
「……は?」
ほら、と鈴音が指したのは暗闇の中、駆けてくる足音が……なんか、両手より絶対多い。
「え!? いや、あれ逃げるの無理くない?」
「行ける! ダイジョブ! 虎に追われてるって思うのがコツよ!」
「コツでもなんでもなくない!!?」
まずいなあ。
白夜は、反射的に腰の刀に手を当てた。
帯刀が許されたのは数年前。魔法、と言う力によるテロのせいで人が死んでからだ。それ以降、武器の保持が許されるようになった。
勿論白夜のそれはお飾りだ。
刀の柄に手をかける。
「白夜……?」
息を吐く。そして。
ほとんど、一息だった。峰打ちで一人目の男が倒れた。そのまま片足を軸にして次の男を蹴りで倒す。あと十人。思ったより少なくて助かった。
「行こう!!」
「……ええ!」
差し出された白夜の手を鈴音は戸惑わずに取った。
しばらく走ると目の前に壁が見える。鈴音と白夜は手を離すと一気に踏み込み塀に足をかけて一気に登った。軽々と降りる。
「すごい、すごいわ! 白夜! 白夜は魔法が使えるんだ!」
「まあ、触りだけならね……鈴音!」
すぐに両手をクロスさせて待つと勢いよく白夜を飛び台に鈴音が跳んだ。彼女が伸ばしてきた白い手をしっかりと掴み、屋根の上に飛び乗る。
「ま、待てぇえええ!」
「白夜、行こ!」
「うん、走ろうか」
草履で瓦の屋根を蹴る。そのまま振り向いて白夜は登ってきた黒装束の男を叩ききった。その遺体を一気に蹴飛ばして登ってこようとした男達を振り落とす。
「おおお!」
「こっちだ!」
二人は長屋に入った。
……外を足音と声が遠ざかっていく。
「……はあ。よかった……今日も夜明けまでわんつーさんしのランニングかと思った」
「わあ、持久力すごいね」
白夜の方はこの距離の全力疾走でいっぱいいっぱいだ。苦しくてついつい一生懸命酸素を吸おうと細かい呼吸を繰り返していた。
「で、君が昼間に言った通りに僕らはまた出会うことになったわけか」
「あれはただの挨拶よ。ここで出会ったが百年目〜みたいなね」
「……僕は君のことが分からないや……」
うなだれたままそう返した。とにかく疲れた。
彼女は姿勢を正すとワクワクした表情をしている。その神界の瞳が楽しそうに煌めいているのだ。
「ねえねえ、白夜ってすごい剣士だったんだ。私にはその太刀筋、きちんと見えたよ」
「へえ、そりゃすごい」
「うん。まず白夜は最初の男を刀をくるって返して峰で顎の下を打ったでしょ? この喉仏のところ。それからね、次の男は走ってきたところをバランスを崩してこの、首の後ろのところにえーっと、そう、柄を当ててたじゃない?」
白夜は、呆然とした。
そんなことも構わずに鈴音は淡々と白夜の剣筋を解剖していく。時にフワッとした説明だったがすぐに分かった。彼女はあの瞬間、恐らくかなりの速度で振るっていた自分の剣を細かく検分して見せたのだ。
笑いたいのに笑えないと言うのは、こういうのを言うのかもしれない。ひきつった顔は笑顔の前の不格好な顔で止まっていた。
「……見えたの?」
「うん、勿論。あ、そっか、私白夜にはきちんと自己紹介してなかったわね」
少女の細い白樺のような指先ががしり、と力強く白夜の手首を掴み、押し倒した。それはけして劣情のようなものではなく。
「――私、鈴音。愛野家の嫡子の、鈴音。それで最近巷で噂になってるヒトゴロシの、
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