初恋の花 〜糸が繋ぐ想い〜
しおり
初恋の花【Short Version】
これは、私の初恋の始まりと終わりの物語
その葡萄の木は私が生まれる前から村はずれにあって、この村と隣町を繋ぐバス停の前でバスを待つ人を真夏の強い日差し、凍える冬の風、時折降る雨や雪から守ってくれている。
隣町から来る朝一番のバスは9時頃ここに到着する。バスがやって来て、人々の乗り降りを確認してバスが去って行くのを見届けるのが、学校がない日の私の数年来の日課。
待っている間、何もしないなんて時間がもったいないから、オヤを編む。
オヤの中でもイーネオヤは絹糸と縫い針さえあればどこでも編めるし、手芸上手だったおばあちゃんから教わった中でも、私が一番好きで得意な手仕事。一目一目、結目を作っていくと次第に3センチ位の立体的な花のモチーフが出来てくる。今は白い糸で編んでいるから、地面に落として汚さないように特に注意する。
作り溜めたモチーフを繋げてアクセサリーにしてもいいし、布の端をぐるりと一周編み込めば、ハンカチやスカーフが出来上がる。自分や家族が使う以外に、人への贈り物にも、町の市場に持っていってもらえば女性にとっては貴重な現金収入にもなる。
昔はいい嫁ぎ先を得るための花嫁修行にも欠かせない技だったっておばあちゃんが言ってたな…
*****************
彼と初めて会ったのも、このぶどうの木の下だった。
その日はあたしの10才の誕生日だったからよく覚えてる。朝から誕生会の準備でいろんな人がうちに来ていて、母さんも父さんも忙しくて、主役のはずなのにじゃまもの扱い。
つまんなくて家の中をうろうろしてたら、村外れのエミルのおばさんのところへのお使いを言いつけられた。
たぶん、お使いを終えてうちに帰ろうと外に出た時に、珍しいちょうちょを見つけたんだと思う。ちょうちょを追いかけて村の外に出て、ぶどうの木の下まで行ってしまったのだ。
そのぶどうの木の下に、彼はいた。
背中に大きなリュックサックを背負って、ヨレヨレのTシャツにジーンズを履いて、黒い髪の毛だけど見慣れない顔立ち。大きな地図を広げていたから、遠い国から来た旅人だとすぐに分かった。
あたしに気がついた彼はにっこり笑って、こう言ったんだ。
「コンニチハ! ココに木の家はアリマスカ?」
カタコトだったけど、意味は分かった。あたしはコクンと首を縦に振ると村の方を向いて、ちゃんと彼がついてきているかときどき振り返りながら、あたしの家まで彼を案内した。
あたしの村の家々は木と白い土の壁で出来ているのが『ユウメイ』みたいで、遠くから見に来る人がいることは知っていた。
あたしの家もそういう古い家の一つ。
産まれた時からずっとここに住んでいるから、何がそんなに『トクベツ』なのかは、よく分からないけど。
その後のことはあまりよく覚えていない。何年か後に私が写真を見ながら母さんから聞いた話ではこうなる。
お祝いの日に現れた旅人を村人は総出で歓待した。旅人も持ち前の天真爛漫さを発揮して、誰かが持ち込んだ伝統楽器のサズをギターを弾く要領で弾いて見せたり、母国の珍しい話をしたり、村の人達が誰も見たこともないくらい立派なカメラで記念撮影をして、私の誕生日に花を添えてくれた。
宴会はいつにも増して盛り上がって、気づいた時には木造建築を勉強しているという旅人を父さんが気に入って、しばらくうちに泊めることになっていた。
それを知った時、『あたし』は飛び跳ねて喜んだそうだ。
次の日からあたしはその旅人にぴったりくっついて、何にでも珍しそうに写真を撮る彼を得意げに色々なところに案内した。
家の中。
家の周り。
村の端から端まで。
それがあたしの世界の全て。
彼はあたしたちの言葉を少ししか分からなくて、あたしは彼の言葉を何も知らなかった。
彼が持っていたあたしたちの文字と彼の文字と絵が描かれた不思議な絵本を指差しあって、何となくやり取りした。
彼に名前を聞いたら『
よく聞いてみたら彼の名前は『オダ ユズト』というらしい。
あたしの名前は『アイシェ』だって教えた。ユズトは優しく目を細めて『アイ』は彼の国の言葉で『
お客さまをもてなすとは言っても、ずっと遊んではいられないから、ぶどうの木の下でユズトがあたしたちの言葉と文字を練習している間はオヤを編むことにした。
ユズトが読むあたしたちの言葉を聞いて、ときどき発音を教えて、代わりにユズトの国の言葉を教わりながら手元ではオヤを編む。
前におばあちゃんに教わったチューリップのモチーフが一輪ずつ増えていった。
別れの日にユズトはあたしが作り上げたばかりのピンクと黄色のチューリップのオヤで縁取ったハンカチを買うって言い出した。大人が作ったちゃんとした物をプレゼントするってみんなが言ってるのに。
「アイシェのオヤがいい」
お金はいらないと言う父さんとちゃんと買うと言って聞かない彼はちょっともめた後、出来たばかりのハンカチと取り替えっこで、彼は大きくて銀色にピカピカ光る彼の国のコインをあたしの手のひらにのせてくれた。
「これは古いコイン。次にアイシェのオヤを買う時は、金色のと交換しよう。またここに帰ってくるから、それまで忘れないでよ」
そう言って彼はニコニコ笑いながら大きく手を振ってバスに乗って帰って行った。
たわいもない約束。
本当に守ってくれるとは村の人達も10才の子どもでさえも本気にしてはいなかった。
だって、彼の国は晴れた日だけ遠くに見えるあの山のずっとずっと向こう、大陸の端まで行って海を渡ったその先にある島国なのだと、その時にはもう知っていたから。いくら飛行機で移動できると言っても、びっくりするくらいのお金がかかるらしい。
こんな何も無い所にまた来てくれるわけない。
他にも見たい場所、行きたいところがあるに違いないのだから。
ユズトが去って半月くらい経って日常が戻ってきた頃、外国から写真の入った手紙が届いた。
手紙には『また来年この村に帰って来たい』と辿々しいけれど、しっかりとした文字が、そこには添えられていた。
それから毎年、私の誕生日の少し前になるとたくさんの異国のお土産を抱えて、ピカピカの金貨を持って、彼はこの村を訪れるようになった。
なんでも、研究論文の題材にこの村の建物を選んだから、毎年大学が休みになると研究の為にここへやって来るのだそうだ。本国でも私達の言葉を学んでいて、来る度に上達していった。
村のあちこちの写真を撮り、大工さんに弟子入りして家の修復を手伝う。昔の家の設計図を作ってみたり、土壁の材料を混ぜて実際塗ってみたりする。
合間に私と言葉や文字の勉強をして、最後に私の編んだオヤと金貨を交換して帰途につく。
いつしか彼の来訪がこの村の夏の風物詩になり、彼が乗ってくるかもしれない朝一番のバスをオヤを編みながら葡萄の木の下で待つのが、私の夏の日課になった。
*****************
これから春になろうという2月の終わりにひょっこりやってきた年もあった。
その頃の我が家は、わたしが来年学校を卒業した後、成績の良さから上の学校に進むか、手先の器用さを生かして親戚の経営している絨毯工房に勤めるかで揺れている時期だった。
ユズトがやって来て数日経った雪の降る日。家の中から外の雪景色を撮っているユズトにわたしが温かいチャイを手渡した時に不意に質問された。
「アイシェは、どうしたいの?」
「え?」
「来年、学校に行きたいの? 仕事をしたいの?」
「…………」
そう聞かれて、初めて気がついた。
そして気づいた自分に、驚いた。
今まで誰もわたし自身に「どうしたいか」を聞かなかったし、わたしも自分が「どうしたいか」をきちんと考えてこなかったことに。
近くにあった木の椅子に座って、手元にあったクッションを抱えて、改めて考える。
そして、つまりながらも今の自分の気持ちを言葉にしてみる。
「分からない……手仕事も得意だし、働いて稼いで、育ててもらった父さん、母さんに早く恩返ししたい。でも……」
「でも?」
「ユズトみたいに色々な国を見てみたい。色々なことを知りたい。たくさんの人と会って話してみたい。その為にもっと勉強したい、とも思う……」
「そっか……」
ユズトは静かに頷いて、チャイを一口啜った。
その後、ユズトと父さんが何を話したのかを、わたしは知らない。
ユズトはいつものように村で過ごしていつものように帰って行った。
でも、それから私は上の学校に行くための試験を受けられることになり、合格してエミルと同じ別の町の学校に通っている。葡萄の木の近くに停まるバスに乗って。
そしてそれからの私は、夏以外でも休みの日は朝のバスを待つ。
ユズトがいつ来ても、一番に出迎えられるように。
*****************
その年の夏もこの村に来たユズトは、わたしが上の学校に通えるようになったと報告すると、すごく喜んでくれた。そして入学祝いに書き心地のいいボールペンをたくさんくれた。それから時間の許す限り、同じ学校に通う予定のエミルと私に彼が教えられる勉強を教えてくれた。
ユズトが帰る前日、私は勇気を出して彼に話しかけた。
これまでの感謝を伝えたくて。
「ねえ、明日帰っちゃうんでしょ?」
「うん。また来年来るよ」
「寂しくなるな…」
「そうだ。来年は彼女と一緒に来るよ」
「え? 彼女?」
「前から来たがってたんだけど、中々予定が合わなくてね。来年こそはバイトの休みを取るんだって、今から来る気満々だよ」
「こい、びと?」
「あれ? 言ってなかったっけ。アイカって言うんだ」
「アイカ?」
「アイシェと名前が似てるだろ?」
そう言って、彼は目を細めて照れたように微笑んだ。
わたしの名前を初めて聞いた時と同じように。
「アイシェにも会いたがってるよ。」
「わたしに?」
「あいつ不器用だからさ。アイシェのオヤを見ていつもびっくりしてるよ。毎年上達してるし。今年のスカーフも楽しみにしてると思う」
てっきり、お母さんか妹さんにあげてるんだと思ってた…
「そうなんだ、嬉しい……」
そう言うのが、精一杯だった。
彼が帰った後でエミルに聞いてみたら、男だけの宴会では前から話題に出ていたらしい。大学を卒業したら、一緒に住む約束もしているそう…
文化が違うから一緒に住むからと言って結婚するわけじゃないらしいけど、わたし達の感覚ではもう結婚しているようなもの。
なんでこんなにショックを受けているのか、自分でもよく分からない。
茫然としていても、日々の習慣で彼の去った翌日も朝9時になると無意識に葡萄の木の下に座っていた。でもオヤを編む手は止まってばかり。頭の中ではぐるぐるとユズトと想像上の恋人の顔が渦巻いている。
わたしにとってはユズトの滞在は一年の中でも特別な期間だったけど、ユズトにとっては研究に必要な事務的な旅行だったのかもしれない。そんな後ろ向きな考えが頭から離れない。
頭を振って無理やり暗い感情を振り払って、大きく息を吸ってゆっくり全部吐き出す。
改めて考えたら、わたしはユズトが普段どんな生活しているのかも、いつも何を考えているのかも、将来何をして生きていこうとしているのかも、なぁんにも知ろうとしなかった。
半年前、自分の将来について真剣に考えていなかったのと同じように。
でももう、わたしは気づいてしまった。
気づいたからには、変わりたいと思った。
*****************
隣の街から続く道の先から、土煙を上げてバスがこの村へやってくる。
私は編み上がったばかりのモチーフと針を手提げ鞄に仕舞うと立ち上がって、お尻の埃を叩いて乾いた風で乱れた前髪を整える。
あのバスには久しぶりに会う
明日開かれる私の誕生会と彼らに内緒で計画している二人の結婚式に参加する為に。
去年上の学校に進学した私はたくさん勉強をして、様々な人と語り合い、世界を広げて行っている。
エミルから
そして今回の旅は、入籍したばかりの二人の新婚旅行なのだそうだ。一生に一度の記念の地に我が村を選んでもらえたから、村民みんなが張り切ってお祝いしようとしている。
私も贈るだろう。
さっき作り上げた最後の一輪をまとめた、白い花々で彩られた花嫁の髪飾りを。
彼らへの結婚祝いとして。
初恋の花 〜糸が繋ぐ想い〜 しおり @ShioriBookmark
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