第73話 夢現
現がAPXの銃口を玉藻前に向けたまま、
「頼んだ」
磐船の体を辰宮に預けた現は、簡潔にそう呟いた。そうしている時も、視線と銃口は玉藻前から外さない。
「さあ、もう良いか?」
玉藻前が言った。その目線は現に向けられている。辰宮に連れられて後ろに下がった磐船には、もうお役御免とでも言わんばかりに興味を失ったようだ。正確に言えば幻術を使う現という人間の存在に、強く惹かれたと言えるだろう。玉藻前がこの戦いを遊びだと例えたように、玉藻前にとっては新たな
玉藻前に話しかけられても現は口を閉ざしていた。APXをしっかりと構えたまま、今度はゆっくりと玉藻前に向かって前進する。
「幻術を使えるなんて、何の妖怪の血筋なんだ? ん?」
玉藻前の人を
「まずはどんな事を――」
次いで言おうとした玉藻前の言葉は、途中で止まった。玉藻前は、自身の腹部に目をやった。腹から、長い刀身が突き出ている。背中側から串刺しにされた格好だ。次の瞬間には、同じように何本もの刃が、玉藻前の腹や胸から突き出ていた。
玉藻前はゆったりとした動作で自身の背後を見た。そこには何人もの人間が立っていた。手には刀や槍、長巻と言った刀剣類。細部は違えど、全員が甲冑を着込んでいる。着用した兜や面頬のせいで表情は分かりづらいが、皆が皆、その目元に強烈な殺意を浮かべていた。
玉藻前はその姿に覚えがあった。かつて戦った武士たち。朝廷に取り入り、国すらも意のままに操ろうと目論む玉藻前。その企みを阻止せんと、血を血で洗うような死闘を繰り広げた勇猛な武人たちの姿だ。数百年という気の遠くなるような年月を経ても、その強烈な印象は忘れることがない。
今この場にいるはずなどない武士たちと対峙している。その不可思議な光景を目にし、玉藻前も思わず目を見開いた。
「ふふ。良い質の術だ。痛みも圧も、まるで本物の様だ」
一瞬、
現がAPXを発砲した。三連射。
現が発砲した三発の.40S&W弾は玉藻前の顔面直前でブレーキを掛けたかのように急停止し、地面に落ちる。
「あんなものを見せるだなんて、
玉藻前は言いながら、再び背後を見た。そこにはもう武士たちの姿は無い。勿論傷も負っていない。
「私の番だな」
玉藻前が言った瞬間、現は鋭い痛みを感じた。目の前に、二人の武士がいた。二人とも、憤怒の表情だ。それぞれが手にしている鋭い太刀が、現の胸を貫いていた。胸部は流れ出る血で真っ赤に染まっている。声を上げる間もなく、武士たちがさらに深く太刀を刺し込んできた。耐えがたい激痛が、現に襲い掛かった。思わず、その太刀を抜こうと胸に手をやる。
パン、と乾いた音が鳴った。玉藻前が
「どうだ?」
玉藻前の言葉に、現は我に返った。思わず体を丸め、しゃがみ込んでいた自分に気が付く。手は胸元を握りしめるように押さえていた。武士たちの姿は消えている。体にも怪我は無い。だが、呼吸は乱れ額には大量の脂汗がにじんでいた。体験した痛みや苦しみは、現実のものとしか思えないものだった。たとえ幻術を掛けられると身構えていたとしても、実際味わってしまったら耐えられるものではない。
「少々やりすぎてしまったかな?」
玉藻前の挑発するような言葉に反応するように、現はしゃがみ込んだまま顔だけを上げた。怒気と苦痛によって吊り上がった目で、玉藻前を睨みつける。
次の瞬間、玉藻前は今まで見たことがない物を見ていた。石や岩がゴロゴロと転がっている緩やかな傾斜の山肌を下った先。そこにずらりと装甲車が並んでいた。そして空にはヘリコプターが飛来していた。旋回しながら、高度を落としてくる。勿論、玉藻前はそれらの存在を知らない。だが、それらが兵器であることは即座に理解した。
八つのタイヤを持ち、迷彩色で彩られた装甲車は、その車上にベルト給弾式の40ミリグレネードランチャーを備えていた。車内から上半身を出し、ヘルメットと覆面で素顔を隠した兵士たちが、そのハンドルを握っている。その大きな銃口は、全て迷いなく玉藻前を狙っていた。
ヘリコプターは騒々しい音を響かせながら、着実に下降してくる。機体横のドアからは、凄まじい威力を持つであろう大きな機銃が突き出ているのが見えた。
「今の世にはこんな武器もあるのか。凄いものだ」
玉藻前が興味深そうにそれらをしげしげと眺め回しながら呟いた瞬間、装甲車たちのグレネードランチャーが一斉に火を吹いた。40ミリの榴弾が飛来する鈍重な音が、玉藻前の鼓膜を刺激する。次の瞬間には、玉藻前は全身を焼かれ、熱い金属片で引き裂かれる感覚を味わっていた。
「ふうむ。先ほどの方がまだ良かったぞ? もうこれ以上は期待できなさそうだな」
玉藻前が言葉を発した瞬間、出し抜けに現に向かって一枚の木の葉が飛んだ。玉藻前の足元に生えていた雑草だ。それは、しゃがんだままの現の頬を深く切り裂きながら掠め飛んだ。その衝撃で現は背後へひっくり返るように倒れた。
現の術が玉藻前に効かなかった訳ではない。榴弾で身を裂かれるという、体験したことも無い痛みを、幻術の中ではあるが玉藻前は確かに味わった。しかし、精根も尽きようとしている現の術はその精度も落ちている。しかも相手は玉藻前。現の術が簡単に破られるのは当然であった。
玉藻前が現にとどめを刺すべく、ゆっくりと腕を持ち上げた。周囲に生えていた草の葉が、その腕の周囲を取り巻くように集まっていく。顔にはもはや薄笑いも浮かべておらず、能面のように無表情だ。
玉藻前の目に映るのは、闇が迫りつつある山肌と、そこに
立っているのは三名のみ。辰宮、磐船、源だけだ。全員、武器は構えているが硬直したように動けずにいる。当然のごとく、眼下に連なっていた装甲車の列は既に消え失せていた。
玉藻前に聞こえるのは夕闇の中の山肌を舐めるように吹き抜けていく風と、耳障りなヘリコプターのローター音のみ。
玉藻前が音のする元へ視線を向けた時、息も絶え絶えながら力強い現の声が聞こえた。それはヘリコプターのローター音の中でもはっきり聞こえた。
「悪いな。そいつだけは本物だ」
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