第71話 遊戯

 玉藻前がまた一歩、足を進めた。一行はいつでも攻撃を仕掛けられるように気を張った。玉藻前のみならず、身を取り巻く全てのことに気を配る。相手はあの玉藻前だ。何が起きても不思議ではない。


 「さあ。まずほんの小手調べ」

 玉藻前が歌うように口ずさみながら、右手を掲げた。途端、地面のところどころに生えている野草の葉が、吸い寄せられるように玉藻前の元へ集まっていく。それらは玉藻前を中心に、フワフワと浮いているように宙を漂った。


 刑部と同じ術だと、全員が考えた。狐狸妖怪の使う、木の葉を使用した術だ。


 「同じではつまらん。こんなのはどうだろう?」

 玉藻前が、全員の思考を読んだかのごとく、言い放った。その途端、浮いている木の葉たちに火が灯った。揺らめく赤い炎たちが、玉藻前を取り囲むように浮かんでいる。勢いよく燃え盛るそれらは、夕焼けに照らされる玉藻前をより強く照らした。火の玉や人魂、狐火と呼ばれる怪異だ。


 「この程度では、倒れてくれるなよ」

 玉藻前が冷たく言い放った。


 刹那、玉藻前の周りに浮かぶ火の玉たちが、一斉に一行の元へ飛来した。夕暮れ時の薄闇を照らし出すようにしながらそれらが飛んでくる光景は、幻想的であるとすら言えた。しかし、危険な玉藻前の妖術であることは確かだ。何か秘密もあるかもしれない。ただし、そのスピードはそれ程ではない。刑部の術と比べても遅いくらいだ。明らかに、玉藻前の本気ではない。

 

 一行はその飛び来る火の玉に攻撃を仕掛けた。皆、冷静に狙いをつけ、銃弾や投げナイフを放つ。皆の腕前を証明するかのように、火の玉が撃ち落とされていった。火の玉に銃弾や投げナイフが衝突し、その場で砕け散るようにして細かな火の粉へと変わる。さながら小さな花火の様だ。


 全ての火の玉が撃ち落とされ、一行は呼吸を合わせるように同時に狙いを玉藻前に向けた。


 だが、そこに玉藻前はいなかった。


 「そこではないぞ?」

 玉藻前が言った。極めて冷静な口調だった。


 玉藻前が、一行のすぐ近くに移動していた。正確に言えば颯の目と鼻の先。手が届く距離だ。癖なのか、再び顎に手を当てた格好で立っている。一見隙だらけの姿だ。


 一行は何が起きているのか、一瞬理解できなかった。玉藻前が飛ばした火の玉に気を取られていたとは言え、決して目を離した訳ではない。ほんの刹那、まばたきでもする間に、初めからそこに居たかのように玉藻前が立っていた。瞬間移動のような術は刑部も使用していたが、明らかにそれを越すものだと肌で感じさせた。


 それでも、一行はすぐさま反撃に出た。予想外のことにでもすぐさま対処できるのは、プロの退治屋たる所以ゆえんだ。


 最初に攻撃を仕掛けたのは颯。目の前の玉藻前に、投げナイフを投げるのではなく、そのまま突き刺すことを選択した。残像が見えそうなほど素早い、正確無比な突きは、玉藻前の白い喉元を狙った。


 だが、その突きが届くことはなかった。玉藻前が喉の前で掲げた掌に、それは阻まれていた。見た目は華奢な細腕だが、傷一つ負っていない。鋭いナイフの先端を、その掌で完全に防いでいた。


 颯は素早くそのナイフを引き戻すと、ナイフをクルリと回転させ、逆手に持ち替えた。そして二度、三度とすばやく斬撃や刺突を繰り返した。胸元や首筋を狙うが、その全てが掌や指先で簡単に防がれ、いなされる。


 真っ先に加勢に回ったのは印付だ。一番近くにいたこともある。素早く玉藻前に駆け寄ると、渾身こんしんの力で玉藻前を殴りつけた。銃を使用しなかったのは、間近の颯には当てないようにする意味もある。


 だが印付の突きも、玉藻前に容易たやすく防がれた。颯の時のように、開いた手で軽く受け止めている。颯の攻撃を防ぐ手とは逆の手だ。目線は印付へ向いている。颯の攻撃は見もしないで、いなしている状態だ。牛鬼すらしとめる印付の打撃を、玉藻前は何でもないように防いだ。


 印付は突きを防がれたことに驚かず、モデル59を突き付けた。銃口が玉藻前の顔面に密着するほどの距離で、素早く二度引き金を引いた。それと同時に、颯も玉藻前に切りかかりつつ、反対の手でもう一本ナイフを取り出した。意識が印付に向き、両手を防御に使っているその隙をつくように、コートからナイフを取り出す動作のまま玉藻前の腹部を刺しにかかる。


 しかし、銃弾もナイフも玉藻前に届くことはなかった。印付が至近距離で放った二発の9ミリパラベラム弾は、玉藻前の顔のすぐ前で浮いていた。颯のナイフは、手ではなく玉藻前の尾で防がれていた。九本ある尾の内の一つだ。腹部を守るように体の前へ回したその太い尻尾に、ナイフが受け止められている。


 玉藻前が、ナイフを防いでいる尾を鞭のようにしならせ、颯を強烈に打ち据えた。颯が車にでもはねられたように、後方へ跳ぶ。同時に玉藻前が眼前に浮いている銃弾に、フッと軽く息を吹きかけた。途端、二発の銃弾は、印付の元へ返るかのように飛んだ。この距離では避けようもない。銃弾は二発とも印付の胸部のプレートキャリアに命中した。さらにダメ押しのように玉藻前が印付の胸部へ掌底を見舞った。掌底と言っても傍から見たら軽く小突いたようにしか見えない動きだ。しかし、その威力は相当なものの様だ。印付も力なく後方へ吹き飛んだ。


 颯と印付が倒されるまで、瞬時の出来事と言えた。


 「結構結構。中々面白かった」

 玉藻前が呟いた。颯と印付に僅かに目をやった後、一行を見回す。


 「印付さん……、颯さん……」

 源が自然と二人の名前を呟いていた。微かに口元が震えているのが自身でも分かった。


 「手加減はしておいた。早く助けないと不味いかもしれないがね」

 ささやくように小さかった源の独り言も、玉藻前は聞こえていたらしい。玉藻前の言う通り、二人とも地面に倒れたままではあるが、息はあるようだ。両者とも意識が朦朧もうろうとしているのか、起き上がることはできそうにない。


 「いたぶりながら殺すなんて、余裕があるんだな」

 現が普段と変わりない口調で言った。


 「それでなくて、何の意味がある? 遊びだと言ったろう? それこそがやりたかったことなんだ。ただ殺すだけでは、私の中の、何一つも満たされはしない。人間に倒され、長らく物言わぬ石として過ごすしかなかった屈辱。言葉で伝えても分かるまい」

 玉藻前の透き通った声は、一行の鼓膜を嫌に刺激した。


 「まずは二人。次は誰かな?」

 玉藻前の口調は、ひどく楽しそうに聞こえた。

 

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