第70話 生気

 刑部がその場に崩れ落ちるその様に、全員目を離すことができずにいた。起きてしまえば実に呆気ない、一瞬とも言える出来事だった。皆、言葉を失ったままその状況を眺めていた。


 我に返ったように最初に動いたのは辰宮だった。一行は全員大なり小なり怪我を負っている。その傷を治すために行動を起こしていた。折り畳みナイフを取り出し、自らの前腕部を切りつけた。今後の行動にできるだけ支障が少ないであろう箇所を選び、ナイフの刃を突き入れた。当然、その切り傷からは真っ赤な血がダラダラと流れ出る。


 辰宮は皆に素早く駆け寄ると、順番にその傷口に血を振りまいていった。辰宮自身も怪我を負っているにも関わらず、その行動に迷いはなかった。


 「すみません」

 源は、足首の傷を治癒してもらいながら言った。そうしてもらいながら、スカーは現へ返す。血をかけられた傷口が、やはり手品のように瞬く間に治っていく。何度見ても目を疑うような光景だ。


 「大丈夫。ただ少し治るのが遅いかも。私も怪我してるし、霊力が安定してない」

 辰宮は源の言葉に答えながら、今度は現の傷を治癒しにかかった。

 

 「治してもらう立場で言えた義理じゃないが、無理するなよ。お前はもうプレートキャリアも無い」

 「ええ」

 現が辰宮のことも気遣う。辰宮が言うように、霊力を使った術にもある種のバイオリズムのようなものがあるようだ。使い手の体調や気分、その場の環境等によって異なってくるのだろうと、源も治っていく傷口を眺めながら思った。


 「玉藻前が」

 既に治療をしてもらった印付が、モデル59のマガジンを交換しながら言った。自然と全員が玉藻前の方へ注意を向ける。


 玉藻前は、倒れた刑部のすぐ近くへ移動していた。仰向けに倒れている刑部の顔を見下ろすように、その傍へ立っていた。


 誰もが、玉藻前が移動していたことに気が付けなかった。辰宮が施してくれる治療に気を取られていたこともあるが、まるで最初からそこに居たかのように、その場に佇んでいた。


 玉藻前は不意にしゃがみ込むと、両手を刑部の頬に添えた。そして、自身の顔を刑部の顔に近づけた。二人のひたい同士がくっつくような体勢となる。


 刑部の口が力なく動いたのが、一行からも見て取れた。何と言っているのかまでは分からなかった。


 次の瞬間、脱力していた刑部の体が痙攣し始めた。手足も胴体も、異常なほど震え出す。そして、その全身から煙が立ち上り始めた。量が多い。その煙は煙幕のように、刑部と玉藻前の姿を覆い隠した。


 一行は武器を構え直した。残弾が少ない者はマガジンも交換する。いつでも玉藻前に攻撃を仕掛けられるように身構えるが、まだ実際に攻撃はしない。一行の脳裏には等しく、銃弾や投げナイフを容易く跳ね返され、怪我を負った先ほどの光景が浮かぶ。


 すぐに、その煙は晴れた。


 そこには玉藻前が立っていた。刑部はその足元に倒れたままだ。しかし、刑部のその姿は異なっていた。完全に化け物と化してしまった姿ではなく、少しばかり人間に近い姿に戻っていた。だが、それはいびつと形容できるものだった。片脚は人間のものだが、もう一方は化狸のままだ。両腕は人間のものとほぼ同じ見た目だが、鋭い爪が指先から不自然に生えている。胴体は筋肉で大きく膨れ上がったままであり、ところどころから獣の毛が化け物であった証のようにまばらに生えている。


 「少々拍子抜けだったが、まあ良しとしよう」

 玉藻前が喋った。その姿はほぼ変わっていないが、その声や見た目からにじみ出る威圧感は増しているように思えた。


 「この者のお陰でだいぶ目も醒めた。それに、起き抜けには中々良い妖気も頂けた」

 玉藻前が一行に向けてゆっくりと一歩を踏み出した。刑部の方は一瞥いちべつもしない。一行に言いようのない緊張が走る。


 「妖気を吸収したのか?」

 「そうだ。先ほど与えた代わりに、今度は頂いた。

 現の言葉に玉藻前が答えた。人形のように整っていながらも、無表情なその顔からは何も心情が読み取れない。ただ、刑部のことはもはや気にも留めていないことはその語気から感じ取れる。


 「睡眠を終え、十分ではないが失った妖気も補うことができた」

 玉藻前が続けて喋る。


 「次は、遊びでもしようか」

 玉藻前が、僅かに笑みを浮かべて言った。

 

 


 

 

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