第68話 化狸

 刑部が吠えた。人語ではなく、肉食獣の咆哮だった。先程まで人であったとは到底思えない。周囲の空気をビリビリと震わせる。


 そして、刑部が跳躍した。立ち入りを防ぐ為に設けられている柵を易々と飛び越え、広場にいる一行に真っすぐ飛び、襲いかかった。


 一行は四方に散り散りに、飛ぶように回避した。銃口は刑部に向けたままだ。刑部が地面に着地するかしないかの瞬間、四方から銃弾と投げナイフが撃ちかけられた。刑部を囲うようにしている一行から、その中心にいる刑部に向けて銃弾と投げナイフが殺到する。


 刑部は全身にその大量の銃弾と投げナイフを浴びた。体が巨大な分、退治屋たちにとって攻撃を命中させること自体は容易たやすい。刑部の全身に生えた剛毛と骨肉が飛び散り、鮮血が噴き出した。その衝撃で、刑部が自然と頭を下げた縮こまったような姿勢を取った。


 しかし、刑部はそのことをあまり気にも留めないような様子ですぐさま顔を上げた。攻撃を受けた箇所から、白煙が上がっている。そして瞬く間に、その傷が治っていった。流れ出ていた血は止まり、抉れた肉も、生えている茶色の剛毛も元通りになっていく。


 玉藻前に分け与えられた妖気によって、刑部の妖怪としての力が予想以上に高くなっている。皆がそう察知した瞬間、刑部が正面へ駆けだした。四足走行のスタイルだ。ヒョウのように俊敏な動きだった。


 その方向には磐船がいた。磐船もパニックにはおちいらない。ネゲヴをしっかりと肩に付けて構え直し、四足走行で向かってくる刑部の頭部に狙いを定め、引き金を引いた。


 小気味良い連射音と共に5.56ミリ弾が撃ち出された。その全てが刑部の頭部を貫いたかと思われた瞬間、その姿が消えた。パラパラと木の葉がその場に落ちていく。刑部の妖術だ。姿格好は変わっても、その能力は健在だ。


 刹那、磐船は頭を下げるように、身をかがめつつ背後に旋回していた。ネゲヴの銃口もそちらへ向ける。それをさせたのは、妖怪との戦闘の中で培われてきた勘や本能と言える。


 結果としてそれは正解だった。磐船の背後に現れていた刑部が、鋭い爪の生えた腕を横薙ぎに振り抜いていた。一瞬前まで磐船の頭部があった空間を、その爪が切り裂く。間一髪だ。


 磐船は姿勢を戻しつつ、ネゲヴを連射した。至近距離での発砲だ。刑部の巨躯の腹部から胸元にかけて、5.56ミリ弾が撃ち込まれ、血しぶきが飛ぶ。


 しかし、少し怯んだ様子を見せた刑部だったが、その動きは止められなかった。反対側の腕を、再び横薙ぎに振り抜いた。その攻撃は磐船ではなく、磐船が持つネゲヴを捉えた。凄まじい金属音と共に、その鋭い爪がネゲヴの機関部に食い込んだ。ネゲヴがひしゃげ、ベルト状に繋がった5.56ミリ弾が千切れて宙を舞った。ネゲヴが使えなくなったのは明らかだった。


 磐船は即時次の行動に移っていた。壊れたネゲヴからはすぐに手を放すと、プレートキャリアに取り付けたM67破砕手榴弾を取り外した。ピンに指を引っ掻けるようにして手にしたそれを、躊躇なく刑部の口内へ殴りつけるようにして叩き込む。そして鋭い牙に引っ掛けるようにしてピンを抜くと、刑部の体を蹴飛ばすようにして背後に飛び、距離を取った。流れるように素早い行動だった。


 磐船が刑部から離れた瞬間、全員も攻撃を再開した。皆、磐船の意図を理解し、申し合わせたかのように同じ行動を取っていた。刑部の首から上に攻撃を集中させる。手榴弾を吐き出させることを防ぐ目的だ。


 M67破砕手榴弾は、信管に点火後、五秒で爆発する。間もなくそれは爆発した。


 凄まじい威力だった。水っぽいような、くぐもったような音が辺りに響き、刑部の頭部が言葉通り木端微塵こっぱみじんとなって吹き飛んだ。首から上は完全になくなり、上半身にも大怪我を負っている。首元から立ち上っている煙は手榴弾によるものか、刑部の妖気によるものかは判別できなかった。


 刑部はそのまま背中から、大の字になるように倒れ込んだ。地面に血が広がっていく。


 全員、一言も言葉を発せないまま、刑部に武器を向けていた。磐船は刑部から目を離さず、後ずさりしながら離れた。いつの間にか手に握られていたスプリングフィールドXDも、しっかり刑部に向けられている。


 印付が磐船に駆け寄ると、MDRXとマガジンを突き出した。視線は刑部を見据えたまま、反対の手ではS&W モデル59を構えている。

 

 「良いのか?」

 「ええ、僕は拳銃の方が得意ですし」

 磐船はスプリングフィールドXDを仕舞うと、MDRXとマガジンを受け取った。当然、その最中も警戒は怠らない。


 「流石にこれで――」

 印付が呟いたその瞬間、頭部を失った刑部がその身を跳ね起こした。


 そのまま、再び四足で弾かれたように駆け出す。そちらにいたのは辰宮だ。出し抜けのその行動に、辰宮も攻撃より避けることを選択した。咄嗟に体捌きを行う。突進する勢いのまま薙ぎ払われた右腕の爪が、半身になった辰宮の腹部を捉えた。黒板を引っ掻くような雑音を響かせ、辰宮が着用していたプレートキャリアのセラミック板がもぎ取られた。


 首のない刑部は突進の勢いのまま辰宮の傍を通り過ぎる。プレートキャリアのお陰で命拾いした辰宮も、軽い足取りのバックステップで距離を取った。無惨に引きちぎられたプレートキャリアは、辛うじて右肩のベルトで体にぶら下がっているような状態だった。辰宮はその破壊力に肝を冷やしながらも、素早くそれを脱ぎ捨てた。


 刑部が振り向いた。いつの間にか、失われたはずの頭部が治りつつあった。首元から、立ち上る煙に隠れるようにしてジワジワと首が生えていく。動画を逆再生するように、骨や血管、筋肉、皮膚といった組織が形成されていく。


 「……これは予想以上だね」

 辰宮が呟いた。MP7のグリップを持つ手に、無意識に力が入っていた。


 

 


 


 

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