第66話 変貌

 刑部が手を殺生石から離したとき、欠片が殺生石に張り付いていた。飲み込まれていたと言った方が正しいかもしれない。殺生石から、欠片がとげの様に突き出ている。誰もが、欠片が殺生石に取り込まれてしまったのだと察した。


 「少しばかり、時間が掛かるかもしれないな」

 そう言った刑部の姿は、徐々に人間とはかけ離れた姿になっていった。顔にも手と同じような剛毛が生えていく。目はこじ開けられるかのように大きく開かれていき、虹彩の色も鈍い黄金色に変化していった。頭頂部からは、突き出るように耳が生えてきた。人間の耳ではない。丸みを帯び、これもまた全体が茶色い毛で覆われている。獣の耳だ。口は耳まで裂け、その歯の一本一本が鋭い牙へと変わっていった。


 印付と磐船が発砲した。それぞれが構えているアサルトライフルとライトマシンガン。MDRXとネゲヴだ。同時に颯も右手に持った投げナイフを三本投げつけた。印付はセミオートで的確に胸部に二発。磐船はフルオートでの射撃だったが、キレの良いトリガー捌きで三発のみ刑部の腹部に叩き込んだ。颯の投げナイフは刑部の喉元に飛んだ。


 銃弾と投げナイフが命中した衝撃で、刑部の上半身が僅かにのけ反った。


 「……残念」

 刑部が呟きながら、のけ反ったような体勢のまま片手を持ち上げた。銃を持ったその右手も、茶色の毛で覆われている。源が持っている銃と同じ、モデル360 SAKURA。銃口は印付に向いていた。


 印付が背後に勢いよく倒れ込みながらMDRXを発砲するのと、刑部が引き金を引くのはほぼ同時だった。リボルバーとアサルトライフルの銃声が交錯する。


 印付の回避行動もむなしく、刑部が放った.38スペシャル弾は印付を捉えた。まるで仕返しとしての一撃のようだ。しかし、それが印付の体を貫くことはなかった。プレートキャリアのお陰だ。銃弾はセラミックプレートで潰れるだけに終わる。ただし銃弾の衝撃まで消える訳ではない。相応の痛みとショックに、印付も小さく唸り声をあげた。


 印付が放った5.56ミリ弾は真っすぐ刑部まで飛来し、持っていた銃、SAKURAに命中した。印付も狙って撃った訳ではない。真っすぐこちらへ突き出されていたその銃に偶然命中しただけだ。5.56ミリ弾は、SAKURAの短い銃身やシリンダーの一部を削るように飛び、砕けた。バキンと耳障りな音がし、火花が弾けた。破片が散弾のように刑部の上腕や肩へ食い込む。


 「おおっと、ビックリした」

 刑部は何でもないように言った。使い物にならなくなったその銃――警察官としての証明でもあるその銃を、顔の前に持ってきて一瞥いちべつだけすると何の未練も無いかの様に後ろに放り捨てた。その際、腕の傷から血が飛び散った。


 それを見て、一行も活路を見出していた。高い霊力と妖気を持ち合わせた人物。だが、決して無敵でも不死でもないことを理解したからだ。不意の事で集中が途切れたからなのか、他の理由があるのか。とにかく、一部の隙も無く確実に攻撃を防ぐことができる訳ではないらしい。怪我を負い、血を流すならば倒すことができる。


 倒れた印付もMDRXを構えつつ起き上がった。


 「……本当に戦わずに済ます気は無いんだな?」

 刑部が、その異形と化してしまった顔で一行を見回しながら言った。源の顔を見た時だけ少し表情を変えたが、その本心は読み取れない。


 「ああ。玉藻前の復活は止める。アンタは殺す」

 現はスカーのトリガーに掛けた人差し指に、意識を集中させた。


 「仕方ない。お前たちも――」

 刑部が喋った時、辺りが一瞬、眩い光に包まれた。


 余りの眩しさに、一行は思わず目をつぶった。皆銃や投げナイフで手が塞がっている為に、前腕部で目を覆い隠すような格好をとった。目の前で何かが爆発したかのような光量だ。目を閉じていても、瞼ごしにその明るさが分かる程だ。


 突然のことであったが、一行はすぐに行動を起こした。それぞれが持っている武器を構え直す。光は一瞬だけ辺りを包み込んだだけで、もう収まっている。何が起きたか、理解しようと努める。


 刑部が体を捻り背後を見ていた。その目線は少し上空を向いていた。先ほどまで、殺生石があった場所には何も無くなっていた。


 代わりに地面から三メートルほどの中空に、妖怪が浮いていた。刑部の目線の先だ。背格好は人に近い。


 その姿を認識した一行は、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。鳥肌がたつ。冷や汗が流れ、心の奥底から自然と恐怖心が湧き上がってくるのを感じた。


 若い女性に見えた。真っ白な小袖と呼ばれる着物を着用し、際立つような朱色の細帯を巻いていた。履物は無く、裸足だ。陶器のように白い足が、小袖の裾から覗いていた。一切の癖も無い黒髪は長く、腰まで垂れている。顔は作り物のように整っていた。絵にかいたような口元や輪郭。不自然なまでに通った鼻筋。形の良い目は眠っているように閉じられていた。


 そして最も目を引くのは、その体から生えている尾。山吹色の豊かな毛で覆われた太い尾だ。先端だけ白くなっている。その尾が九本、その背中側に扇状に広がるようにして生えていた。


 玉藻前だ。正真正銘の。


 玉藻前が、空中からゆっくりと、スローモーションのように降りてきた。刑部が、それを呆然とした表情で眺めていた。退治屋たち一行は武器を構えてこそすれ、呆気にとられたように誰も攻撃に移れない。


 玉藻前が地面に降り立った。閉じていた目を静かに開いた。その瞳は、刑部と同じ黄金色をしていた。


 玉藻前の復活。最悪の事態が起きていた。

 


 

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