第3話 特別のCLOSED
最後の一杯──
それを心から感謝したい人に出したいと決めている。
店を閉めることをマスターから聞かされたのはほんの一週間前だった。
高齢であることや今の時世など理由はいくつか考えられたが、
特別なことでない限り詮索するようなことは避けた。
当日は少しだけ緊張感があったものの普段と何ら変わりなかった。
鼻孔の奥にまで染みついたブレンドの香り。
小さな窓から見える四季の移り変わり。
開店以来レコードを掛けているというジャズ。
明日自分はもうここにいない。
そう思うと柄にもなくブルーな気持ちになった。
マスターは店を閉めることを誰一人伝えていないという。
そういうの苦手だからというが少し弁解じみている。
もともと口数が少なく店でも口を開くのは挨拶程度。
もう少し客と会話すればいいのにと思ったことも何度かある。
常連客がいつものように美味しいと言ってコーヒーを飲み、
いつものようにまたと言って帰っていく。
またがないことを知っているだけに後ろめたさを感じる。
ぎこちない笑顔を返すマスターも同じ想いのはずだ。
長いようで短かった1日が終わった。
店頭のプラカードをCLOSEDに変える。
最後のお客様はいらっしゃらなかったですね。
マスターはそれには答えず黙々とコーヒーを淹れる。
いつもの一杯、されど最後の一杯。
長年、付き合った友との別れを楽しんでいるかのように
マスターの口元は優しげだった。
やがて、その一杯は目の前に差し出された。
今日までありがとう。
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