第2話 穏やかなヴィンテージ

 呼び止められて振り返ると近所の老婦人が一輪車を押しながら近づいてくる。荷台の上には20本程のトマトの苗がポットに入れられて並んでいた。家庭菜園の趣味があるのかと感心していると、少しもらってくれないかという。トマトは毎日食べる程の好物だが、自分で作るのはちょっと遠慮したい。何せ野菜を育てたことなど一度もない。観葉植物ですら、水やりや日当たりの良い場所に置く以外のことをしたことがない。

「穴を掘って埋めるだけだから」と諭され、仕方なく3本の苗を分けてもらった。老婦人も御裾分けに授かったというより、押し付けられたという感じがした。3本中1本はすでにピンポン玉程の青い実が生っていた。


 庭に穴を掘るのも億劫なのでプランターや肥料などホームセンターで調達した。ネットの動画で反芻した大体の手順を頭に作業を始めようとしたが、どうも土と肥料を混ぜ合わせるための道具が要るようだ。

 物置小屋を物色すると手ごろな農具が見つかった。すっかり色褪せた竹細工で作られた笊だった。随分と年季が入っていて、所々破損しているが使えなくはない。どうせ家庭菜園の真似事をするだけだから十分だろう。

 手に取ったその時、指先に鋭い痛みを感じた。擦り切れた竹の端が鋭角に尖っていて、それが刺さったらしい。幸い出血するほどではなかったが、他にも危ないところがあるといけないので全体をくまなく調べてみると何やら文字が見て取れた。痛みを忘れるほどのずしりとした重みが伝わった。

 昭和35年10月吉日─

 物置小屋の片隅に置き去りにされていたのは60年物の農具だった。まさか、身の回りに自分よりも旧いものがあるとは。

 農具の持ち主はおそらく昨年、他界した主ではないか。引退後はもちろん結婚する前からも農作業をしていたことは聞いたことがあった。

 夏の日、麦藁帽子を被り一輪車を押して畑に向かう後ろ姿が目に浮かぶ。よく今年は豊作だ、不作だと口にしていたが、食卓に並ぶのは天候に左右される偶然の産物ではない。主自らが太陽と土と水を巧みに融合させた鍛練の賜物だ。

 主の真っ黒に日焼けした両手が思い出された。そこにはいくつもの深い溝が刻まれていた。家庭菜園やガーデニングなどと思い付きで始めることではない。これは土仕事だ。傷だらけの現役はそれを諭したかったのだろう。

 主は終始穏やかな人だった。時を重ねても、時が流れても印象が変わることは一度もなかった。その生き方にあることを教えられた。

 人は水から生まれやがて土に還るだろ。作物は水を与えられ土から育まれていく。そう、人は土と水なしでは生きていけない。

 幼い頃の遊び場は殆どが土の上だった。走り、転び、また走り。いつも膝小僧を真っ赤にしていたあの頃を思い出そうと、ジーンズをたくし上げ膝を土の上に下ろしてみた。食いついた大小様々な小石を払おうとして手が止まる。そこには50年前の擦過傷の痕が残っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る