第98話 三回戦とふーふー

「どうしたその紅葉。」


 右頬にある見事な紅葉痕を見た朱堂が真白に問いかける。


「かくかくしかじか。」


 簡単に説明すると、朱堂は「ご愁傷様、でも美味しい思いもしたんだから良いだろ。」と返されていた。


 先発メンバーは野手を除き123回戦と全て代わり、一辺倒を避けていた。

 村山弟、村山兄、朝倉とそれぞれ2回、1回、1回と継投をして中盤を迎える。


 それぞれ3失点で4回を終えた時点で既に9点を失っていた。


 一方で、桜高校も打撃自体は悪くなく、6点を奪い4回終了時点で6対9と3点差ビハインドではあるものの、追いつけない点差ではない戦いをしていた。


 ベンチとスタンドからはちょっと厳しめのヤジ的応援が飛び交い、叱咤激励される中での試合であった。


 13時30分から始まった第三試合。


 太陽の洗礼を一番受ける中での試合であった。


 しかしそれは相手も同じ条件であり、思い通りのパフォーマンスを出せないのは変わりがない。


 疲労と気疲れは、気合と根性、古臭いと言われたとしても、奮い立たせるのはそういったモノが左右する。


 桜高校が練習試合で戦ったメンバーは、所謂1軍、今甲子園で戦っているメンバーは数人しかいない。


 ベンチとスタンドを行き来するような、1軍半の戦力との練習試合だった。


 そのため、メンバーの少ない桜高校はほぼ全てのデータを取られ、相手のデータは一部しか見れていない。


 ここに来て、その微妙な差を見せられている結果であった。


 5回にマウンドに上がった2回戦では好リリーフを見せた卯月であるが、正光学園の流れを止める事は出来ず2失点。


 桜高校はついに二桁失点を許してしまったのである。


「山田、肩は作れているか?」


 吉田監督の言葉に山田は頷く。それは次は行くぞという事だった。



 ほぼ真上にある太陽、額だけでなく身体中から湧き出る汗は体温を奪い、頭を朦朧とさせる。


 身体的にしんどいと感じるのは皆同じであるが、その感じる程度の差は個人によって違う。


 交代する投手と違い、野手は守備時には炎天下の中常に晒られている。




「あぢぃ。」


 マイペースに呟くのは恵。とてもヒロインの出す呟きではない。


 身長高め女子であるため、ない胸と合わさってスレンダーであり健康美的ではあるのだが……頬を流れる汗が妙に色っぽくも映っている。


 映っているのだが、それを指摘する人間は同じ女子であるマネージャーの澪くらいしかいない。


 ベンチの中は空調が入っているため、グラウンドよりは過ごしやすい空間となっているが、それでも暑いものは暑い。


 手の甲で頬の汗を拭うが、それでも防止の隙間からは新し汗が、滴り始めている。


 

 5回の裏、猛攻を見せてチャンスを作り、そのチャンスを広げ留まる事を知らない桜高校ナイン。


 四球を交えて、送るべきところでは送り、打つべくところで打ち、6-11から始まった5回裏の攻撃で10-11の1点差まで詰め寄っていた。


 そこで吉田監督は奇を狙ったのか、先ほどは送り出そうと思っていた山田を呼び止め、まだ待てと伝えた。


 もう1イニング卯月で行くという事を伝えた。



 結果として、それが裏目に出てしまい、再び失点。10-14となってしまっていた。


 二死を取りランナーを2人残したところで、先に1年生塩原を投入。


 打者一人を打ち取ったところで6回表を終了した。


 

 投手交代でベンチに戻ってきた卯月であるが、軽い熱中症の症状と軸足となる左腿を攣っていた。


「すまん。身体は大丈夫か?」


 吉田は失点した事よりも、身体の心配をしていた。


 それもそのはず、監督は指導者であると同時に引率する教師なのである。


 生徒の体調や怪我無く過ごさせる事も、義務付けられているようなものである。


 守備に付いていない他の部員や、スコアを付けていない恵の献身もあってか、大事には至らなかったようだった。



 7回からバトンを受けたエースの山田は、それまで猛打を誇っていた正光学園の攻撃を0に抑えた。


 試合が止まったとも言える山田の投球は、流石というか圧巻である。


 7回からの3イニングで山田は1安打されたものの、完璧に抑えていた。


 取られたら取り返す桜高校の攻撃は、やられたらやり返す精神を持つ恵の影響なのか、13-14と再び1点差まで詰め寄っていた。


 9回裏、1点ビハインドで迎えた最終回の攻撃は、いきなり真白がツーベースを放ち球場内を大いに沸かせていた。


 声が枯れるのでは?という声援は常にベンチからも起こっており、その筆頭である恵の身体は大量の汗で輝いていた。


 いつも脇役である事の多い、七虹の弟である小倉。


 正光学園5人目の投手からセカンドの頭を超える同点タイムリーヒットを放った。


 右中間真ん中という事もあり、真白の激走はチャレンジの必要もないくらいに生還したのであった。


 打球の落下位置を、小倉のバットから離れた時点で弾道を予測し、頭の中で想像出来ていたからこその激走である。


 一歩間違えばライトフライからのダブルプレーとなってしまう恐れもある。


 そうならないだろう予測が、真白の頭の中で瞬時に描かれていたからこその走塁。


 アウトカウントを考えれば、無理は出来ない場面だったのである。


 

 その後サヨナラのチャンスを迎えた桜高校であるが、送りバントで2塁まで送りヒットこそ続いて塁に出たものの1塁3塁で止まり、白銀が申告敬遠で歩かされ二死満塁となったが、朱堂はあっさりとアウトになってしまったのである。



 



 桜高校は初のタイブレークを経験する。残念ながら練習試合でも経験をしていない。


 守備練習としては、タイブレークに対する練習は行っているものの、試合の緊張感の中のタイブレークは初めての経験だった。


 3イニングを投げた山田には外野の守備に回って貰っていた。


 本来は抑えとして投げている真白が、10回表であるタイブレークのマウンドを託される事となった。


「いや、流石にこの場面で投げるのは緊張だけでは済まないっしょ。」


 真白は、打たれた時の言い訳にも聞こえる言葉を、誰に向かって言うわけでもなく口にしていた。



 その言葉が耳に入ったのか、左肩に手を置いた恵が囁くように真白に伝える。


「1点取られたらケツバット、2点取られたらケツバット、3点取られたら本気の蹴り。さぁ気張って抑えてこい!」


 最後に背中の背番号「5」を叩いた。


「絶対女子が口にする言葉じゃねぇ。ましてや激励には聞こえねぇ。」


 決して「背中を叩きやがって痛ぇじゃねぇか」、などの文句ではなかった。


「じゃぁ、0点で抑えたら膝枕で耳かきふーふーだな。オプション料金なしで。」


 返事を聞かずに真白はベンチを後にした。


 ベンチから恵の「にゃっ、にゃんだと!?そ、そんな事出来るかー!」


 両手を上げて反論をしていたが、観衆で真白には何を言っているのかわからないようだった。


「しれっと、何を要求してるんだろうね、うちのクローザーは。」


「本当に、付き合ってから要求すれば万事オッケーじゃん。」


「どっちにしてもリア充滅ぶべし。」


「俺には?」


「しないよ。」


 最後、それこそしれっと八百が澪にお願いをするが、澪は淡々と拒絶を示した。



「俺も嫁さんに何かお願いしようかな。」


 監督も便乗していた。それは帰ってから個別に勝手にやってくださいとツッコミを受けていた。


 

 先頭バッターを、送れるものなら送ってみろと投げたボールを打ち上げてしまい、キャッチャーフライで塁を進ませなかった。


 後続をショートゴロゲッツーに仕留め、流れを桜高校へ引き寄せる良い守備を発揮した。



 ピンチの後にチャンスあり、ファインプレーをした選手が試合を決める、など色々ジンクスの存在する野球であるが、10回裏の桜高校の攻撃は……


 先頭の八百が送ると一死二三塁とサヨナラのチャンスを、先ほどゲッツーに取った壇ノ浦へと回った。


 スクイズでも犠牲フライでもサヨナラの場面、そして本日1ホーマーでもある壇ノ浦。


 場合によっては内野ゴロでもサヨナラという、非常に緊張する場面。


 正光学園が取った作戦は、壇ノ浦を歩かせ真白で勝負をするというものだった。


 どの道、外野の頭を超えればサヨナラ、ある程度の外野フライでもサヨナラ、野手の間を抜ければサヨナラ。


 それならば、ホームゲッツーを理想とし、最低でもホームだけでも刺しておければという選択肢を選んだのである。


「これ、テレビで見てたら外野フライくらい打てるだろ。という場面だよなぁ。」


 バッターボックスに入った真白が呟いた。


 ボテボテの内野ゴロであれば、ホーム生還の可能性が高くなる。


 外角での変化球の線は捨ててバッティングに臨んでいた。



 予測が当たったのか、内角低めにストレートが投じられた。


 見逃したらボールかストライクか判定に難しい投球。


 既にカウントは2-2となっていたため、見逃し三振を避けたいと真白はバットを振るう。


 コォンッと、芯ではあるが飛んだ方向はショート後方、前進守備のレフトの前であった。


 打球を気にせず走っていた3塁ランナーは、ワンバウンドでもすれば生還する。


 レフトがイチかバチかダイビングキャッチを試みるが……


 打球は空しく、グラブの手前で落下し、無情にも後ろへと転々としていった。



 打ち合いを制した桜高校が、初出場でベスト8進出を決めた瞬間だった。



 項垂れるレフトの選手を、ショートとセンターが肩を叩いて慰める。


 決して悪い攻めではなかったが、結果としてヒットになっただけである。


 

「そういや、膝枕耳かきふーふーしなくちゃいけないのか?」


 校歌が流れ校旗が掲揚されている中、恵が澪に耳打ちして訊ねていた。


「知らないわよ。」



 3-2の二回戦とは違う、15-14という三回戦の一点差ゲームは、共に違う意味での心身の疲れを桜高校のメンバー達を襲っていた。





 試合後宿舎に帰り、選手達は荷物を置いた後一旦入浴を済ませ身を清める。


 これはこの宿舎に宿泊する試合後の学校は全て同じである。


 そのため、ユニフォームこそロッカーで着替えてはいるが、身体は試合後そのままであるため、汗と土に塗れた状態である。


 早々に洗い流す必要があるため、着替えとタオルを持って順次大浴場へと向かうのである。

 

 そして入浴を済ませた部員達が自分の部屋へと戻る中、事件は起きた。


「おまっ、何度目だと思ってやがるんだぁぁっ!」


 再度部屋を間違えた真白と八百、つい昨日やったばかりの着替え中の部屋間違いによるラッキースケベを二日続けてやってしまったのである。



 そして今度は右頬に紅葉を作る真白であった。


 そしてその夜。


 フロント前にあるラウンジにて。


「ふー、ふー。」


 横長のソファーに座る恵の太腿には真白の頭が乗っている。


 そして備え付けの綿棒で耳掃除をした後、真白の耳の穴に向かって吐息を吹きかける恵の姿があった。


 

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