第96話 激戦の幕
「まさかの展開でしたね。解説の山下さん。」
実況のアナウンサーが隣に座る、元高校球児であり大学・社会人と活躍、プロでも数年活躍した後に社会人野球チームの監督を務めた事のある、解説の山下真司郎氏へと話を振った。
「そうですね。開幕試合からとんでもないものを見せられました。どちらの学校も素晴らしかったと思いますよ。」
そう言って話を続ける山下。
甲子園球場では、勝利高校の校旗の掲揚と校歌が流れている。
スタンドからは惜しみない拍手と、校歌を一緒に歌う応援に来ていた在校生達の声が響いていた。
「まずは試合終了まで両チーム共にノーエラー。これは本当に素晴らしい事だと思います。開会式直後の第一試合、通常であれば緊張で普段通りのプレーをする事自体が難しいです。それは名だたる強豪校であったとしてもです。」
「さらに、両チーム共にノー四死球。これもまた普通そうそう出来るものではありません。両チーム共に継投をしており、複数の投手に渡って賞賛に値します。プロでも簡単に出来る事ではありませんね。」
「流石元球児で社会人野球でも監督を務めた事のある山下さんですね。指導者としての視点でも分かり易く伝えてくれます。」
「いや、本当にどちらの監督も良く選手を育てましたよ。普段から信頼関係が成り立っていないと中々思うようには育ちませんし、選手としても人間としても成長は難しいです。」
「その守備については、初出場の桜高校には鬼コーチと呼ばれている女子ノッカーをしているマネージャーがいるとの事ですからね。試合前のノックでもその名が伊達ではない事を見せていましたが。」
「確かにそのような情報がありますね。聞くところによりますと、昨年彼女がノックを始めてからの公式戦、練習試合も含めてノーエラーらしいですね。正に鉄壁の守備。その鉄壁の守備を作り上げたのは間違いなく彼女ですね。指導者に欲しいところですけど……私はもう監督すら引退した身ですからね。」
「鉄壁の守備。まさしくMTフィールドですね。」
実況のアナウンサーが突然おかしなことを口にする。
「??」
何を言ってるの?という表情で山下は実況の顔を見た。
「あぁ、彼女の名前からアルファベットを取ってM(恵)T(種田)フィールド。ひと昔前に流行ったアニメから連想しました。」
よくわかっていないのか、解説の山下は華麗にスルーする。
「そういえば今大会はかつての抽選方式に戻った組み合わせなんですよね。」
かつての夏の甲子園は1回戦最後の試合の開始前に2回戦の組み合わせ抽選を行っていた。
3回戦の組み合わせは2回戦最後の試合前に行われる。
次にどこと対戦かわからない方が面白い、かつての組み合わせに戻して欲しいなどの意見が増えたため、ベスト8までの組み合わせが決まっていた従来の組み合わせを試験的に廃止したのである。
「確かに、どこのブロックはどこみたいなのは、ある意味差別にも繋がり兼ねませんでしたしね。私も古い人間なので当時のドキドキ感は今でも忘れられませんよ。」
山下とアナウンサーの会話の間に、両チームはそれぞれのスタンドに対し礼を終えていた。
そして敗戦チームは、一部は泣きながら、一部は平然としながら甲子園の土をスパイクの袋へと詰めていく。
「しかし本当にこの試合、大きな動きは少なかったですが、今後の高校野球界の記憶と記録に残る試合となりましたね。」
「そうですね。両チームノーエラーノー四死球。開幕戦にも関わらず初出場チーム側の初安打にホームラン。その2点を守り切っての勝利。」
「これは世間的には番狂わせと呼ばれるのでしょうけど、決してそれだけではないモノを持っていました。それを惜しみなく出し切れた結果である事は間違いありません。運やマグレも必要ですが、決してそれだけでは達成出来ない努力を行ってきたからこその勝利だと思います。」
解説の山下が発した通り、試合は2-0のまま桜高校が勝利した。
大方の予想に反してのジャイアントキリング。相撲で言うならば金星。
世間がどう判断するかは、見たもの聞いたものでそれぞれ違うだろう。
新聞やネットニュースでの結果や数字だけを見ただけでは理解出来ない、確かな人生が詰まった2時間強であった。
敗戦チームである大阪陰陽高校が先にグラウンドを後にする。
次いで勝利チームである桜高校の面々がグラウンドから姿を移していった。
インタビュアーはそれぞれ監督、主将、エースと話を聞きに行く。
それにあわせ、カメラのシャッター音とフラッシュがあちこちから発せられていた。
テレビに映るのは得てして勝利側。
負けたほうは、テレビ局の実況が談話として伝えるのみである。
それは名門だろうと出来たばかりの新設校だろうと関係ない。
そこが、そのたった少しの差こそが勝者と敗者の差でもある。
ただし、翌日の新聞がどう描かれるのかは、新聞社によって違うだろう。
まさか優勝候補筆頭が!?と書かれるのか、大金星!!と書かれるのか。
緊張気味の吉田監督のインタビューに始まり、主将の八百と本日の立役者、投の山田と打の柊と続いていった。
「うちは怖いマネージャー達がいますからね。監督は優しく、マネージャーが厳しく、部内はそれでバランスが保たれてます。」
という柊真白のちょっとお茶面な返しが、試合内容とは別の意味で波紋を呼んでいた。
「それであの鉄壁の守備が生まれたというわけですか。」
インタビュアーもそれに乗っかったのが運の尽き、試合に対して聞くというよりは、野球部について根掘り葉掘り聞き出したいかのようだった。
当然宿舎に戻ってから制裁を受けた事は言うまでもない。
廊下に正座させられていた柊真白と、何故か横で付き添って正座をさせられていた八百の姿を、桜高校の野球部員だけでなく、同じ宿舎に宿泊している他の2校の部員達にも目撃されていた。
正座する二人に対して、お土産売り場で2000円で売っていた木刀を片手に説教をしている、怖いマネージャー2人の姿も目撃されていた。
8月11日、1回戦最後の試合が始まる前、昭和後期の甲子園を見ている人達には馴染み深いボードがアンパイアの後ろ付近に置かれていた。
そして始まる1回戦を勝ち抜いた15チームの抽選が始まる。
開幕試合を勝ち上がった桜高校の2回戦は既に決定していた。
出場49チーム目との対戦である。
そしてこれから行われる17チーム目は、〇〇対●●の勝者という表記となる。
1回戦は全部で17試合。次々試合からは2回戦となる。
初戦が2回戦からの試合を含め、全16試合となる。
次はどこと対戦なのかな?というドキドキ感は、見ている方も対戦する方も高揚するものがある。
八百がクジを引きたければ、次の2回戦を勝ち上がり3回戦へ進出しなければならない。
49校目の登場となる、桜高校の次の相手は春の選抜ベスト8でもある愛媛県代表、山松商であった。
「結局、大阪どころか兵庫すら遊びに行けてないよな。」
「いや、俺達野球しに来てるんだから仕方ないだろ。」
「俺達バランス良くじゃなかったっけ?」
試合のない日は練習と休養を程よく行っている。
流石に練習試合を組むことは出来ないが、練習する環境だけは提供されている。
普段の部活動くらいの時間程度の練習量をこなし、宿舎では決まった時間の入浴と食事を除き、後は自由時間である。
普段といっても、午前午後で2時間ずつくらいであるが、桜高校の練習量が他校と比べて多いのか少ないのかはわからない。
あまりやりすぎても、試合に影響してしまうと思うのはどこの学校も同じである。
そうはいっても何もしなければ試合で実力を発揮しきれるはずもない。
「そういや、木刀を持つ種田の姿はホンマモンのレディースみたいに見えたよな。」
「女ヤンキーを一括りにレディースと言ったらどっちにも失礼だぞ。」
「お前ら、ノックで直撃を喰らいたくなければ、それ以上は言わない方が良いぞ。あの日の事は心の内にしまっておけ。」
何事もバランスが大事である。
適度な緊張感を持つことも大事である。
雨で順延する事無く大会は進み、8月13日。
桜高校の2回戦が始まる。
1回戦とは打って変わり、1年生がスターティングメンバーに名を連ねていた。
レフトとライトに村山兄弟、先発ピッチャーは塩原の名前が挙がっていた。
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